幕間 第二話 ~狼少女は街の宿を知らない〜
雨は昼前には止んだ。
「晴れたの!」
結人の部屋に集まっていたリンが、窓から外を見る。雲の切れ間から日が差し、濡れた屋根や道が光っていた。
「今日は出るの?」
「今日はもう一泊して、買い物に行こう」
結人は広げた荷物を確かめながら答えた。
「肉?」
「それもあるけど」
「肉なの」
「まだ何も決まってないよ」
「肉はいるの」
「まあ、いるね」
隣でアイリスが紙を広げる。
「食料、水、灯りの油、布、薬。それから、傷んだ道具の補充ですね」
「いっぱいあるの」
「残っている分を確かめて、足りないものを揃えましょう。次に森へ入る前に」
「リンも行くの?」
「もちろんです」
リンの耳が立った。
「何する?」
「一緒に選んでもらえますか?」
「リンが?」
「はい。森で使うものは、リンさんの方が詳しいですから」
紅い尾がゆっくり上がる。
「任せるの!」
『嬉しそうじゃな』
「神様は何するの?」
『監督じゃ』
「何もしないの?」
『監督と言うておろう!』
「はいはい」
『雑に扱うでない』
結人は笑いながら荷物をまとめ、旅鞄を肩へ掛けた。
「アカツキ。今日も、他の人の前では」
足元の白銀の狼を見て、口元へ指を当てる。
子犬ほどの姿をしたアカツキは、静かに頷いた。
「慣れたな」
『昨日、散々犬扱いされたからのう』
青白い瞳が細くなる。
「神様、またからかってるの」
『感想を申しただけじゃ』
リンがアカツキの横へしゃがんだ。
「今日は犬って言われても我慢するの」
「……」
「リンが後で慰めるの」
「……」
「肉あげるの」
アカツキが一度だけ尾を振った。
「現金だなあ」
女将にもう一泊できることを確かめ、宿代を支払う。水を汲める場所も教えてもらってから、結人たちは買い物へ出かけた。
◇
最初に向かったのは、食料品の並ぶ通りだった。
「干し肉はこちらですね」
アイリスが店先の商品を見る。
「何日分にしましょう?」
「次の町までは?」
「地図では四日ほどです」
「じゃあ、予備を入れて五日分かな」
「はい。道の様子も聞いておきましょう」
結人は隣を見た。
「リンはどう思う?」
返事がない。
「リン?」
少し先の、肉が並んだ棚の前にいた。
鼻を動かし、塊を一つずつ見比べている。
「どうした?」
「こっちなの」
リンが一つを指した。
「これがいい?」
「うん。こっちの方が匂いがいいの。表もちゃんと乾いてるの」
店主が感心したように頷いた。
「そっちは新しく仕上げた分だよ。味も見てみるかい?」
「いいの?」
「小さいのを一つずつね」
差し出された欠片を受け取り、リンが噛む。もう一種類も試してから、少し考えた。
「こっちは塩が強いの」
「よく分かるね。少し味を変えてあるんだ」
「最初のがいいの。これだけでも食べやすいの」
「じゃあ、それにしようか」
足元では、アカツキもリンが選んだ肉へ鼻を向けていた。次に結人を見上げ、小さく頷く。
「アカツキも同意らしい」
店主が笑った。
「ずいぶん賢い犬だな」
アカツキは動かなかった。
耳だけが、僅かに後ろへ倒れる。
リンが口元を押さえた。
「ふっ」
「リン」
「笑ってないの」
「顔」
「書いてないの」
結人も笑いを堪えながら、アイリスと必要な量を確かめた。アカツキの分も含めて包んでもらい、旅鞄へ収める。
続いて立ち寄ったのは、野菜を売る店だった。
「これは?」
結人が葉物を指す。
「先に食べるの。葉っぱは傷みやすいの」
「こっちは?」
「そっちの根っこの方が持つの。皮に傷がないのを選ぶの」
リンは並んだ野菜を見比べ、傷の少ないものを指した。
アイリスが横で数を書き留める。
「では、こちらを多めにしましょう」
「でも……」
リンが葉物へ目を戻した。
「こっちも、早く食べるならおいしいの」
「じゃあ、明日出発してから食べる分だけ買おうか」
「それがいいの!」
リンが得意そうに頷く。
アイリスは店員へ値段を尋ねた。
「こちらを六つ。それと、そちらを二つお願いします」
「はいよ」
告げられた金額を聞き、少し考える。
「まとめてでしたら、少し安くなりますか?」
リンの耳がぴくりと動いた。
店員も少し笑う。
「嬢ちゃん、しっかりしてるねえ」
「旅が長くなりますので」
「じゃあ、少しまけてあげよう」
「ありがとうございます」
店を離れてから、リンがアイリスを見た。
「今の何?」
「何がですか?」
「値段変わったの」
「いくつかまとめて買いましたので、お願いしてみました」
「言ったら安くなるの?」
「いつでもではありませんよ。決まった値段で売っているお店もありますから」
「街、難しいの」
「そうですね」
「でもアイリス分かるの」
「少しだけです」
「いっぱいなの!」
アイリスは照れたように笑い、紙へ支払った額を書き加えた。
◇
食料が揃うと、今度は旅道具を扱う店へ向かった。
布や縄、灯りの油。棚に並ぶ品を、持ってきた一覧と照らし合わせていく。
「縄はこれでいい?」
結人が一巻きを手に取る。
リンは端を指で曲げてみた。
「ちょっと硬いの」
「駄目?」
「駄目じゃないの。でも、荷物をまとめるならこっちがいいの」
別の縄を示す。
「こっちの方が柔らかいの。何度も結んだり、ほどいたりするなら楽なの」
結人も二つを触り比べた。
「ほんとだ」
「布を張るなら、こっちの太いのも欲しいの」
「使うところで変えるんだな」
『おぬし、森へ入ってから何を見ておったのじゃ』
結人は聞こえないふりをして、リンが示した縄を見た。
「ほかにも、選ぶ時に見るところはある?」
「ほつれてないか見るの。あと、結んで引っ張っても緩まないか」
「なるほど。覚えとこう」
「分かんなくなったら、リンに聞くの」
「頼りにしてる」
「任せるの!」
必要な長さの縄と布を選び、油や火種も補充する。買い終える頃には、紙に並んでいた項目の多くに印がついていた。
「次は薬ですね」
アイリスの言葉に、リンが少し顔をしかめる。
「薬いるの?」
「使いましたから。包帯も減っています」
「まだあるの」
「あるうちに補充しておきましょう」
「また怪我する予定なの?」
「しないのが一番です」
アイリスはリンを見る。
「でも、リンさんが怪我をした時も、持っていたからすぐに使えました」
「……うん」
「次に必要になった時、足りないと困りますから」
「分かったの」
リンは素直に頷いた。
◇
薬屋には、小さな瓶や軟膏の容器、巻かれた包帯が並んでいた。
アイリスが補充する品を店員へ伝えている間に、結人は棚の小瓶へ目を留めた。
「これは?」
「虫除けですよ。森へ行くのかい?」
「はい」
「それなら、持っておくと助かると思うよ」
店員が蓋を少し開ける。
途端に、リンが鼻へ皺を寄せた。
「それ、匂い強いの」
「リンにはきつい?」
「うん。近くにあると、ほかの匂いが分かりにくくなるの」
結人も少し顔を近づけてみた。
確かに独特の匂いがする。人間の自分でこれなら、リンにはずっと強く感じられるのだろう。
「俺たちが使っても気になる?」
「その匂い、ずっと隣でしてたら嫌なの」
「そりゃ困るな」
店員が蓋を閉めた。
「獣人さんには強かったかな。もう少し匂いの弱いものもあるよ」
「そちらも見せていただけますか?」
アイリスが頼む。
別の小瓶を出してもらい、リンにも確かめてもらった。
「こっちなら、さっきのよりいいの」
「じゃあ、まずは小さい方を一つにしよう」
使い方を聞き、薬や包帯と一緒に包んでもらう。
店員がリンへ笑いかけた。
「森を歩き慣れているんだねえ」
「森はリンの一部なの!」
胸を張るリンの横で、結人も頷いた。
店を出てから、結人は小さく息をつく。
「助かった。俺だけなら、最初のを買ってたよ」
「当然なの」
「ご主人様」
「はい」
「これからも、買う前に相談してくださいね」
「はい」
『アイリスが一番しっかりしておるな』
結人が言い返さずに歩き出すと、リンの耳だけが楽しそうに揺れた。
◇
最後に入ったのは、小さな雑貨店だった。
「ほかに、足りないものはある?」
「針と糸を少し増やしたいです」
アイリスが棚を見ながら答える。
「肉」
リンも即答した。
「それはもう買った」
「予備なの」
「予備も買った」
「もっと予備なの」
「食べたいだけでしょ」
「ばれたの」
足元では、アカツキが静かに店内を見ていた。
「アカツキは?」
返事はない。
「あ」
結人はしゃがんだ。
「ごめん。欲しいものがあったら教えて」
アカツキが棚の一角へ顔を向ける。
布、革、金具。その隣に、大小の櫛が並んでいた。
「櫛?」
アカツキは頷き、自分の脇腹へ鼻先を向けた。
「ああ、毛並み用か」
もう一度、頷く。
リンが近づいてきた。
「アカツキ、自分でできるの?」
アカツキは自分の前脚を見た。
しばらく、そのまま動かなかった。
「無理そうなの」
耳が僅かに下がる。
「リンがやってあげるの」
今度は耳が上がった。
「じゃあ、選ぼうか」
リンが歯の間隔を見比べ、扱いやすそうな櫛を一つ取る。アカツキへ見せると、小さく尾が動いた。
針と糸、それから櫛を買って店を出る。
帰り道では、干し魚を売る露店の前でリンの足が止まりかけた。
「食料はもう買ったよ」
「まだ何も言ってないの」
「今、見てたでしょ」
「見ただけなの」
結人は笑いながら、肩の鞄を掛け直した。
「……重い」
「ご主人様、布の袋はこちらへ」
「ありがとう」
アイリスへ軽い袋を渡す。
旅鞄にはまだ余裕がある。けれど、入れた物の重さまで消えるわけではなかった。
「ずいぶん揃いましたね」
「必要なものを買っただけなんだけどな」
『追加を断っておいてよかったのう』
「肉も必要なの!」
「リン、三回増やそうとしたよね」
「二回なの」
「三回」
「二回なの」
「さっきの干し魚」
「魚は肉じゃないの」
「あれは別なのか」
リンは当然だと言わんばかりに頷いた。
◇
宿で水も補充してから、結人の部屋へ戻った。
扉を閉め、荷物を床へ下ろす。
その途端、アカツキが口を開いた。
「犬ではない」
「我慢してたの?」
「当然だ。あの店主も、私を犬と呼んだ」
「今日はまだ一回なの」
「まだ?」
「昨日より少ないの」
「数の問題ではない」
リンが食料の包みを開けた。
「肉あげるから」
「……それで許そう」
「許すんだ」
『簡単な奴じゃのう』
「神よ」
『何じゃ』
「黙れ」
『神へ向かって何たる口の利き方じゃ!』
リンは笑いながら、干し肉を一切れアカツキへ渡した。
買った物を取り出していくと、床へ置いた布の上が次々と埋まっていく。
アイリスは品物と紙を見比べ、リンは食料の包みを分け始めた。
それを見ていたアカツキが、ぽつりと言う。
「私は、今日はほとんど何もしておらぬな」
「ん?」
結人が顔を上げた。
「匂いを嗅いだくらいだ」
「肉を見てくれたじゃん」
「リンにも分かっていた」
「櫛、選んだの」
「それは自分の物だ」
「いいじゃん」
リンは袋から櫛を取り出した。
「何がだ?」
「毎日、何かしなくても」
アカツキが黙る。
リンは櫛の歯へ指を滑らせた。
「アカツキ、いるの」
「それは……」
「それでいいの」
言ってから、リン自身も少し黙った。
櫛から目を上げ、アカツキを見る。
白銀の狼は何も言わず、そこに座っていた。
隣でアイリスが小さく笑う。
「何?」
「いいえ」
「なんで笑ったの?」
「嬉しかったものですから」
「……変なの」
リンはそう言って、床へ腰を下ろした。
「ほら、アカツキ」
「何だ」
「櫛するの」
「今か?」
「今なの」
「別に急がずとも」
「買ったから使うの」
「……分かった」
アカツキが子犬ほどの身体で、リンの前へ座る。
白銀の毛へ櫛を通すと、途中で引っかかった。
「絡まってるの」
「強く引くな」
「分かってるの」
「今、少し引いたぞ」
リンは櫛を止め、絡まった毛を指でほぐした。
「毛が悪いの」
「私のせいか?」
『仲良しじゃのう』
「違うの!」
「違う」
声が重なる。
『息まで合っておる』
「神様うるさいの!」
「まったくだ」
結人は笑いながら、空いた袋を畳んだ。
◇
夕方には、買った物を旅の荷物へ収める準備ができていた。
「食料は」
「リン見るの。先に食べるもの、分けておくの」
「薬と包帯は、わたくしが持ちます」
「油と火種は俺かな」
結人は残りを見た。
「縄は?」
「柔らかい方はリンが持つの」
「では、もう一方は私が持持とう」
アカツキが言う。
「小さいのに?」
「外へ出てから大きくなればよい」
「街では駄目なの」
「分かっておる」
「じゃあ、街を出るまでは俺の鞄に入れておくよ」
結人は縄をまとめ、旅鞄へ収めた。
ほかの荷物も、使う時に取り出しやすいよう分けていく。
アイリスが全体を見渡した。
「これで大丈夫そうですね」
「うん」
「肉もあるの」
「ある」
「いっぱい?」
「十分」
「ほんと?」
「十分」
リンが食料の包みをじっと見る。
「何、その顔」
「信じるの」
「信用されてないな」
最後の包みを収めてから、結人は部屋を見回した。
「なんか、増えたな」
「荷物ですか?」
「みんなで使う物」
アイリスが抱える薬の袋も、リンが食べる順番を考えた食料も、アカツキが運ぶことになった縄も。
自分の旅鞄へ入れたからといって、自分だけの物ではない。
「誰が持つかは決まってるのに、誰の物かっていうと分かんないのが増えた」
「困りますか?」
「いや。むしろ逆」
結人は首を振った。
「みんなで旅してるって感じがする」
『森でも一緒じゃったろうに』
「そうだけど。こうやって並べると、よく分かる」
リンが胸元の時計を見た。
「神様は何か選んだ?」
『わらわは監督じゃ』
「まだ言ってるの」
『最後まで務めを果たしておるのじゃぞ』
結人とアイリスが笑う。
リンはもう一度、まとまった荷物を眺めた。
「これ、みんなの?」
「そうだね」
紅い尾が一度揺れた。
「じゃあ、旅の荷物はみんなで選ぶの」
アイリスが笑った。
「はい」
「次もリン選ぶの」
「お願いします」
「肉も」
「そこは相談だな」
「なんでなの!」




