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新約:止まった懐中時計は、神様をひとり隠している  作者: ぽんさん
第二章 狼少女は帰る場所を探す

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第一話 ~骨付き肉は森で盗まれた~

 森へ入ると、街道の空気が変わった。

 頭上では枝葉が重なり、朝の光を細かく砕いている。

 足元の湿った土には木の根がのぞき、落ち葉が散っている。ところどころに、名前も知らない草が伸びていた。

「……道はあるんだな」

 結人は周囲を見回した。

 森の中へ伸びる街道は、荷車が一台通れる程度の幅がある。

 昨日までの道ほど歩きやすくはないが、完全な獣道というわけでもない。

「ご主人様」

「うん?」

「先ほどから、足元より周りをご覧になっている時間の方が長いです」

「そんなに?」

「はい」

 言われて。

 結人は視線を下げた。

 ちょうど木の根が、道を横切るように土から盛り上がっている。

「……気をつけます」

「お願いします」

「ほんとアイリスはよく見てるな」

『何を当たり前なことを言っとる』

「当たり前が難しいんだけどな」

「ご主人様は注意が散漫ですので仕方ありません」

「アイリスまで!?」

『そうじゃな。ほれ、諦めよ……二対一じゃ』

「こういう時は特に息ぴったりだよな、お前ら」

 返事の代わりに。

 アイリスが小さく笑った。


◇


 森へ入ってから。

 結人は何度も足を止めそうになった。

 見たことのない花。

 妙に大きな茸。

 青い羽を持つ小鳥。

 枝から枝へ飛び移る、尾の長い小動物。

「異世界なんだよなあ」

『今さら何を言うておる』

「街の中だと、意外と忘れそうになるんだよ」

 魔法も魔物も、この世界の制度も、知らないことばかりだった。

 それでも、宿で起き、買い物をして、誰かと食卓を囲む。

 そんな暮らしを重ねるうちに、街の景色には少しずつ慣れてきていた。

「森に入ると、知らないものばっかりで新鮮だよ」

『だからといって、何でも触るでないぞ』

「毒とか?」

『毒草もある。痺れるものもある。触れただけで肌が腫れるものもな』

 結人の手が止まった。

 ちょうど。

 道端に生えた丸い葉へ伸びかけていたところだった。

「……これ?」

『知らぬ』

「知らないんかい」

『知らぬからこそ触るなと言うておる』

「それはそうなんだけど」

 結人は素直に手を引っ込める。

 少し前では。

 アイリスが街道と周囲を交互に確認していた。

「受付の方からも、森では街道を大きく外れないよう言われています」

「魔物が出るから?」

「それもございます。足場や植物についても、慣れないうちは街道沿いの方が安全だと」

「了解」

 結人は腰へ手をやった。

 そこには。

 一昨日手に入れた、普通の片手剣がある。

 何の変哲もない剣。

 実戦で使ったのは、剣を持った鶏を三匹倒したときだけだ。

 まだ、腰にあるだけで安心できるほどの自信はない。

『最初に握ったときよりは、ましであろう』

「ほんのちょっとね」

『そのほんのちょっとを積み重ねるしかあるまい』

「そうします」

「この先も、しばらく森でしょうか」

 アイリスが尋ねる。

『街道を進む限りは、しばらくこの景色が続くじゃろうな』

「フィリア、道分かるの?」

『大まかにはな。細かい地形までは期待するでないぞ』

「じゃあ街道から外れないのが正解か」

『そういうことじゃ』

 それだけ確認して、三人は先へ進んだ。

 少し離れた木の上。

 葉の陰から、紅い狼耳が二つ、ゆっくりと顔を出していた。

 三人は、まだ気づいていなかった。


◇


 昼前。

「この辺で休もう」

 結人は街道脇の開けた場所で荷物を下ろした。

 道から離れすぎていない。

 周囲も見渡せる。

 背後には大きな木があり、少し離れたところには細い沢も流れている。

「ここでよろしいですか?」

「うん。周りも見えるし」

『悪くなかろう』

「フィリア判定も合格」

『わらわは採点係でないぞ?』

「そう言わないでくれ。俺としては命が懸かってるんだから」

 皆の意見が一致した所でアイリスは荷物を下ろした。

「では、お昼にいたしましょう」

「そうだな」

 結人は旅鞄を開いた。パン、水、乾燥させた果物、チーズ。そして――

「今日の主役」

 包みを一つ取り出して開くと、香辛料の匂いが広がった。

 中には、焼いて保存処理された骨付き肉が入っていた。

『ほう』

 フィリアの反応が早い。

「今ちょっと声音が変わったぞ?」

『気のせいじゃ』

「いや、絶対肉見て変わった」

「ロースターソルジャーのお肉でしたね」

 アイリスが言った。

「そう」

 結人は肉を持ち上げる。

 見た目だけなら。

 普通に美味そうな骨付き肉だ。

 けれど。

 一昨日の光景が、まだ頭に残っている。

「こいつ、剣持って走ってくるんだよな……」

『焼けばただの鶏肉じゃ』

「そう簡単に割り切れるものでもないのだが……」

『あの時、食われかけたのはおぬしの方じゃろう。食うか食われるかじゃ』

「そういうのは勘弁してくれ」

「一昨日のことはもういいではないですか。三匹とも、ちゃんと倒せました」

「一匹には逃げられたけどね」

「あれは追いかけなくて正解です」

「あぁ。アイリスが止めてくれたからな」

 結人が言うと。

 アイリスは少しだけ目を逸らした。

「覚えていてくださったのですね」

「当たり前だろ?」

「そうですか」

 ほんの少し。

 嬉しそうだった。

『それより結人』

「何?」

『肉』

「まだ食べないよ」

『なぜじゃ』

「手を洗ってない」

『わらわには関係ない』

「俺にはある」

『なら早う洗え』

「食べ物絡むと急に神様っぽさ無くなるよな……」


◇


 懐中時計を胸元に収め、結人はアイリスと沢へ向かった。

 手を洗って戻り、荷物の前へ並んで座る。

 結人はパンを取り出し、チーズを置いて、骨付き肉へ手を伸ばす。

「……あれ?」

「どうされました?」

 包みがない。

 さっきまで、確かにここへ置いてあった。

「肉がない」

「え?」

『何じゃと!?』

 フィリアの声だけ、妙に深刻だった。

「いや、さっきここに置いたよな?」

「はい。わたくしも見ています」

「風で飛ぶような重さじゃないよな」

『肉が自分で歩いたとも思えぬ』

「当然だ」

 結人は周囲を見る。

 街道。

 木々。

 人影はない。

「動物かな」

「包みごと持っていかれていますね」

 アイリスが、肉の置いてあった場所へしゃがむ。

「器用だな」

「それと、ここです」

 地面を指した。

 結人も覗き込む。

 湿った土に、小さな足跡が残っていた。

 かかとの丸みと、足の指の跡。

 少し先にも、同じ形の跡がある。

「……裸足?」

「そう見えます」

「子供くらいか」

「たぶん」

 二人で顔を上げる。

「誰かいる?」

 結人が声を掛けた。

 返事はない。

「食べ物が欲しいなら――」

「ご主人様」

 アイリスが上を向いた。

「何?」

「あちら」

 枝が揺れた。

「……動物?」

『いや』

 フィリアが言う。

『今、耳が見えた』

「耳?」

『紅いのが二つじゃ』

「赤い?」

 結人は木々の葉へ目を凝らしたが、何も見えない。

「もういない?」

「隣の木です」

 アイリスが言った。

「枝が動きました」

「どこ?」

 視線を移すと、一瞬、紅い何かが見えた。

「いた!」

 その直後、上から影が落ちてきた。

「うわっ!」

 結人は反射的に一歩下がる。

 軽い着地音。

 少女だった。

 少女だった。

 小柄な身体に紅い髪。頭には同じ色をした狼のような耳があり、腰の後ろには紅い尾が伸びている。

 灰色の瞳が、結人とアイリスを警戒するように見ていた。

 そして、その手には。

「俺の肉」

 さっきまでそこにあった骨付き肉は、既に一口食べられていた。

「……」

 少女の口が動く。

 もう一口。

「いや、食べるんかい」

 さらに、一口。

「ちょっと待って。それ俺たちの昼飯だから」

 少女の耳がぴくりと動いた。

「もうリンのなの」

「リン?」

 少女がはっとする。

『リンというらしいのう』

「自分で言ったな」

「何をぶつぶつ言ってるの?」

「こっちの話だから気にしないでくれ。……っとそうだ、俺は結人でこっちはアイリスな」

「聞いてないの」

「俺だけ名前知ってるのも変だろ」

 リンには、フィリアの声は聞こえていない。

 結人が一歩近づく。

「とりあえず、その肉――」

 リンが下がった。

「取らないで」

「いや、元々俺のなんだけど」

「リンが取ったの」

「それを普通は盗んだって言うんだよ」

「取られる方が悪いの」

「すごい理屈だな!」

『いや、確かに筋は通っておる』

「お前はどっちの味方なんだよ」

「変なの。一人で喋ってる?」

「すまん。気にしないでくれ」

 結人がもう一歩近づく。

 リンの尾が膨らんだ。

「来ないで!」

「あー……」

 そこでようやく、結人は少女をよく見た。

 細い。

 服も傷んでいる。

 肉を食べる速度が、妙に速い。

「……腹減ってる?」

「関係ないの」

「その肉ならもう――」

「リンのなの!」

「まだ何も言ってないけど」

「返さないの!」

 そう言った直後、リンが地面を蹴った。

「あ、待て!」

 木の幹へ、そこから枝へと、一息に跳び上がる。

「速っ!」

『速いのう』

「リン!」

 結人が呼んでも止まらず、紅い尾が枝の向こうへ消える。

「ご主人様」

「うん」

「追われるのですか?」

「ちょっとだけ。ただ、街道から離れすぎるなら戻る」

「わたくしも参ります」

「うん。離れないで」

 結人は鞄を背負い直した。アイリスも自分の荷物を拾い上げる。

 彼女がついてくるのを確かめ、結人は街道脇へ駆け出した。


◇


「待てって!」

「来るななの!」

「肉はもういいから!」

「嘘なの!」

「本当だって!」

 リンは完全には姿を消さず、木から木へと結人の少し先を走っている。

 速い。けれど、おかしい。

「……逃げ切れるよな?」

『その気なら、とっくに見えなくなっておるじゃろうな』

「だよな」

 リンは時折、こちらを振り返っている。

「追ってくるな!」

「だから話したいだけ!」

「肉を取る気なの!」

「もういいって言ってるだろ!」

「嘘つき!」

「信用ゼロだな!」

 その時、リンが枝から地面へ降りた。

 結人も足を止める。二人の距離は十歩ほど。

「もう来ないで」

 さっきまでとは違う、低い声だった。

 結人は両手を少し上げる。

「分かった。止まる」

「……」

「肉も取らない」

「……」

「ただ」

 息を整える。

「一人で大丈夫なのか聞きたかっただけ」

「大丈夫なの」

「この森で?」

 リンの耳が立った。

「森はリンの一部なの!」

「……野生児か!?」

 言い切る顔には、迷いがなかった。

「まぁ今日森に入ったばかりの俺たちよりマシか」

「?」

「こっちの話」

 リンはじっと結人を見る。

「帰って」

「分かったよ」

 結人が一歩、後ろへ下がる。

「ご主人様!」

 少し離れたところから、アイリスが追いついてきた。

「大丈夫ですか?」

 リンの耳がそちらへ向く。

 目の前の結人と、近づいてくるアイリス。灰色の目が、二人の間を行き来した。

「……二人で取る気なの」

 リンの尾が、さらに大きく膨らむ。

「違うって。アイリス、そこで待って」

 結人はアイリスへ顔を向ける。

『結人!』

 慌てて前へ向き直る。

 リンがいない。

「どこ――」

「横です!」

 アイリスの声に振り向いたときには、もう遅かった。

 紅い少女が、目の前にいた。

「っ!?」

 結人は反射的に剣を抜いた。鉄の刃が森の光を反射する。

 リンの灰色の瞳が、その剣を捉えた。

「やっぱり!」

「違う、これは――」

「リンの肉、取り返す気だったの!」

「だから違うって!」

 リンが低く身体を沈める。結人も咄嗟に剣を構えた。

『結人。気を抜くでない』

「分かってる」

 アイリスも少し離れた場所で足を止める。

「ご主人様、お気をつけください」

「うん」

 肉を盗んだ少女と、少し話をしたかっただけだったのに。

 どうしてこうなった!?

 そして、その一瞬の隙をリンは見逃さない。

 リンは渾身の力で土を蹴り、結人の視界から消えてしまった。


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