幕間 第二話 ~初陣の相手は剣を持った鶏~
依頼書を受け取ってから、結人たちが旅人組合を出るまでに、それほど時間はかからなかった。
受付の女性が、必要な箇所へ印を入れていく。
「今回の依頼は、ユウトさんを受注者として登録いたします。アイリスさんは同行者として記録しておきます」
「同行しても大丈夫なんですね」
「はい。ただし、戦闘を義務づけるものではありません」
女性はアイリスへ視線を向けた。
「危険を感じた場合は、戦わずに距離を取ってください。依頼の達成よりも、無事に戻ることを優先していただいて構いません」
「はい」
アイリスが真面目にうなずく。
「現地で依頼人へこちらをお渡しください」
一枚の紙が追加された。
「討伐後、数を確認していただき、完了の署名を受けてください。それを組合へ提出していただければ報酬をお支払いします」
「なるほど」
「また、事前に報告された数より多かった場合や、別種の魔物が確認された場合は、無理に続行せず戻ってください」
「分かりました」
結人は依頼書を鞄へしまう。
こうして聞いていると、思っていたより普通の仕事だった。
依頼を受ける。
現地へ行く。
終わったら依頼人に確認してもらう。
報告して、報酬を受け取る。
もっとこう……掲示板から紙を一枚引き剥がした瞬間、どこからともなく音が鳴って『クエストを受注しました』と表示されるようなものを想像していた。
もちろん、そんなものはないのだが。
『何を残念そうな顔をしておる』
「いや。異世界でも仕事は仕事なんだなって」
『当たり前じゃ。倉庫仕事と変わらん』
「夢がない」
『剣を持った鶏を倒しに行く男が何を申しておる』
「それ言われると急に異世界感が戻ってきたよ」
結人は腰の剣へ手を触れた。
買ったばかりの片手剣。
革を巻いただけの柄。
飾り気のない鞘。
光らない。
浮かない。
勝手に敵を倒してくれもしない。
普通の剣だ。
だからこそ。
今日は、これで戦う。
◇
南門を出て、一時間ほど歩いた。
街道を途中で外れ、細い農道へ入る。
左右には畑が広がっていた。
背の低い作物が列になって並び、その向こうには果樹らしい木々も見える。
「ここから先ですね」
アイリスが地図と依頼書を見比べる。
「依頼人の農地は、あの石垣の向こうです」
「もう分かるの?」
「目印が書かれていますので」
「俺には文字の模様にしか見えない」
「帰ったら練習しましょう」
「戦闘前に帰宅後の予定を決めないでくれる?」
『逃げられぬぞ』
「どっちの味方なんだよ」
『学問の味方じゃ』
少し先にある小さな農家で依頼書を見せる。
畑の持ち主らしい中年の男は、結人の顔と腰の剣を交互に見た。
「一人でやるのか?」
「戦うのは俺です」
「そっちの子は?」
「同行です。戦わせません」
答えると、男はうなずいた。
「それがいい。ロースターソルジャー程度でも、刃物は刃物だ」
「やっぱり本当に剣を持ってるんですね」
「何だ、知らずに受けたのか?」
「説明は聞きました。ただ、まだ実感がなくて」
男が首をかしげる。
どうやら、この世界では鶏が剣を持っていることより、そこへ疑問を抱く方が珍しいらしい。
「昨日は四匹見た。朝にも鳴き声がしたから、まだ近くにいるはずだ」
「四匹」
「多くても五匹だと思う」
組合で聞いた範囲内。
結人はアイリスを見る。
「どうする?」
「まず、畑の外周を見たいです」
「了解」
即答だった。
アイリスは依頼人へ尋ねる。
「最近、特に荒らされている場所はありますか?」
「あっちだ。南側の畑だな」
「水場は?」
「反対側だ」
「森へ続く道はありますか?」
「南の奥に細い獣道がある」
アイリスは一つずつ確認していく。
それから結人を見る。
「南から入っている可能性が高いと思います」
「理由は?」
「荒らされている畑と、森へ続く獣道が、どちらも南側にあります。まずはそちらを確かめたいです」
「なるほど」
「それと、逃げる場合も南へ向かう可能性があります」
「じゃあ追いすぎるな、と」
「はい」
結人は少し笑った。
「頼りになるな」
「……まだ何もしていません」
「もうしてるよ」
アイリスが口を閉じる。
少しして、
「ありがとうございます」
と、小さく答えた。
◇
最初に聞こえたのは、鳴き声だった。
「コォォォッ!」
「……鶏だ」
『鶏じゃな』
「いや、思ってたより鶏だな」
畑の向こう。
葉の間から、一つの頭が出ている。
赤いとさか。
黄色いくちばし。
丸い目。
そこまではかなり鶏に近い。
ただし。
大きさが全然違う。
腰ほどの高さがあり、胴体もがっしりしている。
何より脚が太い。
地面を掴む爪も大きかった。
そして翼の付け根から伸びた短い腕。
その手に。
刃こぼれした短剣のようなものを握っている。
「……持ってる」
『持っておるな』
「何で?」
『知らぬ』
「神様なのに?」
『神ならば世界のすべての鶏が剣を持つ理由まで把握しておると思うな』
「範囲広すぎるんだよな、お前の知らないこと」
『こやつ』
ロースターソルジャーがこちらを見る。
首を傾げた。
一瞬。
目が合う。
「コォォォォッ!」
「来た!」
地面が鳴った。
速い。
太い脚が土を蹴り、大きな身体が一直線に飛び込んでくる。
結人は剣を抜いた。
訓練場で教わった通り。
足を広げすぎない。
腕だけで振らない。
相手を見る。
ロースターソルジャーが短剣を振り上げる。
「っ!」
剣を合わせた。
甲高い音。
腕へ衝撃が走る。
「重っ!」
予想よりはるかに力が強い。
結人は半歩下がったが、相手は止まらない。もう一度振られた短剣を受けると、今度は結人の剣が横へ流れた。
「うわっ!」
身体をひねって避ける。刃先が外套の端をかすめた。
『結人!』
「分かってる!」
反撃に剣を横へ振ったが、空を切った。ロースターソルジャーは、驚くほど素早く後ろへ跳んでいた。
「……これ」
息を整える。
「思ったより強くない?」
『おぬしが弱いのじゃ』
「それはもう聞き飽きた!」
遠慮がない。
しかし、その通りだった。
訓練用の木人とは違う。
こちらが剣を振れば避ける。
攻撃すれば反撃してくる。
何より。
死にたくない。
その当たり前の感覚が、身体を硬くする。
「ご主人様」
少し離れた場所からアイリスの声。
「今、こちらへ来ているのは一体だけです。周りはわたくしが見ています」
「了解」
なら、目の前だけを見ればいい。
ロースターソルジャーが地面を蹴り、また真正面から来る。
結人は、今度は剣を振らなかった。
右脚、左脚。身体が前へ傾く。
踏み込む直前、翼が少し開く。
「……そこか」
魔力を意識する。強い風は要らない。ほんの少し、横から押す。
「――っ」
風が走った。
強すぎた。
「コォッ!?」
ロースターソルジャーの身体が横へ大きく流れる。結人の予想より半歩遠い。
振った剣は、また空を切った。
「またか!」
『加減が下手じゃのう!』
「実戦中に笑うな!」
だが、さっきとは違う。風は効く。効きすぎただけだ。
狙うのは、相手が踏み込んでいる最中ではない。もっと前、力を入れ始める瞬間だ。
ロースターソルジャーが方向を変える。走り出す直前、結人は弱い風を当てた。
ほんの少し、脚の運びがずれる。
「今!」
結人は踏み込み、剣を振った。
手応え。
刃がロースターソルジャーの肩口を捉えた。
「コォッ――!」
巨体が地面へ転がる。
まだ動く。
結人は一瞬ためらった。
だが、短剣を握った腕が再び持ち上がる。
踏み込み、二撃目を加えた。
動かなくなった。
「……」
息が荒い。
手が震えている。
初めて。
自分の手で、生き物を斬った。
『結人』
「大丈夫」
反射的に答えた。
大丈夫かどうかは、正直よく分からない。
ただ。
今考えるべきことは、それではなかった。
「アイリス」
「はい」
「他は?」
アイリスは周囲を見回していた。
「今は見えません。でも――」
耳を澄ます。
「左奥から、音がします」
結人も見る。
葉が揺れた。
一つ。
二つ。
「二匹」
「三匹です」
「え?」
「一番奥にもいます」
「見えないけど」
「先ほど、とさかが見えました」
『アイリスの方がよく見ておるな』
「助かる」
三匹。
今度は、同時だった。
「コォォォォッ!」
「初仕事にしてはサービスいいな!」
一匹が正面。
一匹が左。
三匹目は少し遅れている。
全部を一度に相手にする必要はない。
結人は下がった。
「ご主人様、右へ!」
アイリスの声に、右を見る。
低い石垣。
畑を区切るためのものだ。
「使える?」
「向こう側には作物がありません!」
「了解!」
結人は石垣をまたぎ、作物のない側へ移った。
追ってくる相手へ向き直ると、石垣が左に来る。
アイリスも石垣を越え、結人の後方へ下がった。
正面の一匹は、すぐに石垣を跳び越えてきた。
左の一匹は、石垣の端へ回っている。
今なら、まとめて相手にせずに済む。
結人は正面の一匹だけを見て、踏み込んでくる瞬間に風を当てた。
今度は弱すぎた。
軌道はほとんど変わらない。
「っ!」
短剣を剣で受けると、腕がしびれた。
それでも、最初よりは余裕がある。結人は一度下がった。
「強さじゃない」
小さく呟く。
風で吹き飛ばす必要はない。一瞬だけ、相手の足を止めればいい。
足元には乾いた土がある。
ロースターソルジャーが踏み込む直前、地面すれすれに風を走らせ、足元の土を横へ払った。
「コッ!?」
爪が滑り、身体が傾く。
「これだ」
結人は剣を振り、二匹目を一撃で倒した。
「左から来ます!」
「見えた!」
石垣を回ってきた個体に対し、今度は結人から動いた。真正面を避けると、相手も向きを変えようとする。
その直前、太い脚が地面を踏み直した。一瞬、身体の動きが止まる。
結人は、その足の動きを見ていた。
結人が右へ動くと、相手も右へ向く。その直後に左へ切り返す。
ロースターソルジャーの脚が遅れた。そこへ弱い風を当てると、さらに半歩遅れる。
「よし」
結人は剣を振った。三匹目が倒れる。
残る一匹。
だが、それは向かってこなかった。
「コォッ!」
鳴き声を上げ、南側へ走り出す。
「逃げた!」
結人も走り出しかける。
「ご主人様!」
アイリスの声が飛んだ。
足を止める。
「追わないでください」
「でもあと一匹」
「そこから先は農地の外です」
ロースターソルジャーは、そのまま低木の向こうへ消えた。
「依頼で確認されている範囲から外れます。それに、先に仲間がいないとは限りません」
組合で言われたことを思い出す。
深追いするな。
報告された数より多い場合は戻れ。
「……そうだった」
『初仕事で調子に乗って森まで追いかけ、そのまま帰らぬ旅人もおるからの』
「先に言えよ」
『今言った』
「その返し好きだな、お前」
結人は剣を下ろした。
息を吐く。
倒したのは三匹。
逃げたのが一匹。
依頼人が見た数は四匹。
「とりあえず、戻ろう」
「はい」
一歩歩いて。
結人は止まった。
「……腕、痛い」
『情けないのう』
「初陣だぞ」
「怪我は?」
アイリスがすぐに近づいてくる。
「ない。たぶん筋肉痛予備軍」
「確認します」
「はい」
容赦なく腕を取られた。
「痛いところは?」
「そこ」
「ここですか?」
「痛い痛い痛い」
「では、ここですね」
「確認方法が原始的!」
フィリアが笑った。
◇
依頼人の男は、畑に倒れた三匹を確認したあと、南の林を眺めた。
「一匹逃げたか」
「すみません」
「いや、十分だ」
「いいんですか?」
「あいつらは群れで畑にやってくる。三匹やられて残った一匹が逃げたなら、しばらくは寄りつかん」
男は依頼票へ署名を入れた。
「それに、奥まで追わなかったのは正解だ。森の中であいつらと走り回るのは面倒だからな」
結人は、ちらりとアイリスを見る。
少女はこちらを見返した。
「……助かった」
「はい」
少しだけ。
嬉しそうだった。
◇
街へ戻った頃には、太陽がだいぶ西へ傾いていた。
旅人組合へ依頼票を提出する。
受付の女性が署名を確認した。
「三体討伐、一体を農地外へ排除。依頼人から達成の確認もありますので、完了として処理いたします」
「よかった」
「初回としては十分です」
女性は、小さな袋を受付台へ置いた。
「こちらが報酬です。銀貨八枚になります」
「八枚」
結人が袋を受け取る。
軽い音がした。
ちゃり。
ちゃり。
地下で人々を助け出したときとも違う。
奴隷商館で金貨を出したときとも違う。
ただ魔物を三匹倒して。
依頼人に確認してもらって。
自分たちで稼いだ金だった。
「ご主人様」
「ん?」
「見てもよろしいですか?」
「もちろん」
袋をアイリスへ渡す。
少女が一枚ずつ数える。
「八枚あります」
「そりゃそうだろ」
「確認は必要です」
「はい」
八枚。
結人には、大きな額ではない。
鞄の中には、まだ九百八十六枚もの金貨がある。
それと比べれば、本当に小さな金額だ。
でも。
「よし」
結人は言った。
「使うか」
アイリスが顔を上げる。
「何にでしょうか」
「全部」
「……全部?」
「今日稼いだ八枚」
「全部、ですか?」
「うん」
アイリスが固まった。
『ほう』
フィリアだけが一瞬で乗ってくる。
『宴じゃな』
「宴ってほどじゃない」
『よい物を食うのであろう?』
「そのつもり」
『ならば宴じゃ』
「基準が緩い」
アイリスはまだ袋を見ている。
「ですが、貯めておけば旅費に」
「旅費ならある」
「それは、そうですが」
「せっかく自分たちで稼いだんだし」
結人は組合の外を指した。
「今日はこれで、美味いもの食べよう」
アイリスは迷った。
銀貨八枚。
使えばなくなる。
残せば役に立つ。
その考え方が、顔にそのまま出ている。
「必要な物を買うのではないのですか?」
「今日は必要じゃなくてもいいんじゃない?」
「……必要でなくても?」
「食べたいものを食べる」
アイリスが黙った。
「そういう使い方もあるよ」
少し。
本当に少しだけ。
少女の口元が緩んだ。
「難しいです」
「何が?」
「選ぶのが」
「そこは時間かけるしかないな」
◇
結局、店を決めるまでに十五分かかった。料理を決めるのには、さらに時間がかかった。
選んだのは、いつもの食堂より少しだけ上等な店だった。
食卓には、焼いた肉、香草を使った魚料理、温かいスープが並んでいる。焼きたてのパンに、チーズと果物もある。
『肉をもう一皿頼むのじゃ』
「まだ食うの?」
『今日は宴なのであろう?』
「そうだけど」
『ならば頼め』
「はいはい」
アイリスはメニューを見つめている。
「決まった?」
「はい」
「何にする?」
一度。
いつものように、値段を見る。
それから結人を見る。
またメニューを見る。
指が、一つの料理で止まった。
「……これを」
「これ?」
蜂蜜と果物を使った、小さな焼き菓子。
今日頼んだ物の中では、少し高い。
「食べてみたいです」
結人は何も言わず、一瞬だけ笑った。
「じゃあそれ」
「はい」
注文する。
それだけだった。
誰かの役に立つためではない。
安いからでもない。
旅に必要だからでもない。
食べてみたい。
ただ、それだけで選んだ。
運ばれてきた焼き菓子を一口食べて。
アイリスはしばらく無言になった。
「どう?」
「……甘いです」
「見れば分かる」
「とても」
「美味しい?」
また一口。
「はい」
それから。
「好きだと思います」
小さく付け加えた。
『では次はわらわじゃな』
「何が?」
『わらわも好きな物を選ぶ』
「もう四品くらいお前が選んだだろ」
『あれは皆で食べる物じゃ』
「括りが雑すぎる」
店を出る頃には。
銀貨八枚のうち、残ったのは一枚だけだった。
「結構使ったな」
『見事じゃ』
「お前が褒めると不安になる」
結人が最後の銀貨を取り出す。
「これも何か買う?」
「ご主人様」
「ん?」
「……これは」
アイリスが銀貨を見る。
「残しても、よいでしょうか」
「もちろん」
「よろしいのですか?」
「アイリスがそうしたいなら」
少女は銀貨を受け取った。
手のひらに乗せて、少し眺める。
「今日、いただいたお金ですから」
「うん」
「使わずに、持っていたいです」
「いいと思う」
アイリスは財布を開かなかった。
青い上着の内ポケットへ、銀貨を一枚だけそっとしまう。
普通の硬貨と混ざらないように。
ポケットの上から、一度だけ手で確かめた。
そこには、たった一枚の銀貨が入っていた。
◇
宿へ戻る道。
結人の腰には、新しい剣。
腕には、明日確実にやって来るであろう筋肉痛。
隣には、今日初めて自分の食べたい物を選んだ少女。
胸元の懐中時計が、一定の音を刻んでいる。
かちり。
かちり。
『で』
「何」
『明日も何か討伐せぬかの?』
「行かない」
『なぜじゃ』
「明日は、荷物を確認したら出発」
『報酬でまた宴ができるぞ』
「目的変わってんじゃねえか」
アイリスが小さく笑った。
その声を聞きながら、結人は街の向こうへ見える道を見た。
今度は、仕事を受けに出るのではない。
その先へ、旅をする。
少なくとも、今朝よりは少しだけ、その準備ができた気がした。
一章は目まぐるしく場面転換していたので幕間は日常寄りのストーリー展開を目指してます。




