幕間 第一話 ~旅人の剣は光らない~
懐中時計が動き始めた、その日の昼頃。
結人とアイリスは、再び旅人組合を訪れていた。
朝食を終えたあと、アイリスに文字の練習をさせられ、その結果に軽く絶望し、そこから荷物の確認を済ませて宿を出た。
旅支度そのものは、ほとんど終わっている。
保存食、薬、雨具、水袋、予備の衣服、地図。それに、アイリスが几帳面に書き込んだ青灰色の帳面。
明日にでも街を出ようと思えば出られる状態だった。
「組合での確認が終わったら、文字の練習の続きをします」
「今日の分は、さっきやっただろ」
「まだ途中です」
「今日くらいは休みにしない?」
「ダメです。帰ったら続きをします」
「マジか〜」
「当然です」
『よい教師を持ったのう』
「お前も少しは手伝えよ」
『文字くらい自分で学びなんし』
「便利な決め台詞みたいに使うな」
いつものやり取りをしながら、組合の扉を開く。
お昼時という時間帯のためか、中は朝ほど混雑していなかった。
依頼板の前に何人かの旅人。
奥の机では職員が書類を整理している。
受付には、見慣れた女性が座っていた。
地下工房の一件でも、最後まで落ち着いて対応していた人物だ。
結人たちに気づくと、彼女は書類から顔を上げた。
「こんにちは。お身体はもうよろしいのですか?」
「ほとんど大丈夫です」
「ほとんど……ですか」
「普通に歩けます」
女性の視線が、結人の顔から足元まで一度だけ動く。
「無理をなさらない範囲でお願いいたします」
「はい」
たった一言なのに、妙に逆らいにくかった。
アイリスが隣で小さくうなずいている。
今日も俺の味方はいない。
「本日は、解放申請の確認でしょうか」
「それもあります」
結人が答える。
「明日か、遅くても明後日には街を出ようと思っています。それで、出発前に必要な手続きがないか確認しておこうと思って」
「承知しました」
受付の女性は手元の書類を確認する。
「アイリスさんの申請については、昨日お伝えした状態から変更はありません。移動そのものに制限はありませんが、本人確認が必要になった場合は、最寄りの旅人組合を通じて連絡いたします」
「分かりました」
「また、ユウトさんの旅人登録にも問題はありません」
女性が一枚の紙をめくる。
「倉庫での就労記録も確認できています」
「一応、働いてます」
『ほんの少しじゃがな』
「余計なこと言うな」
幸い、受付の女性はいつものことと聞き流していた。
彼女はさらに記録を確認したあと、ほんの少しだけ考えるように目を止めた。
「ただ――」
「何かあります?」
「街から街へ移動されるのでしたら、出発前に一度、低危険度の討伐依頼を経験されることをおすすめします」
「討伐?」
「はい」
女性は淡々と続ける。
「ユウトさんには運搬や倉庫整理などの就労記録はありますが、旅人としての戦闘依頼を受けた記録がありません」
「まあ……ないですね」
「街道そのものは比較的安全ですが、街を離れれば魔物や野生動物との遭遇は避けられません」
彼女の視線が、結人の腰へ移る。
そこには、転生したときから持っている短剣がある。
「そちらは?」
「最初から持っていた護身用のものです」
「拝見しても?」
「どうぞ」
結人は鞘ごと短剣を外し、受付台へ置いた。
女性は短剣を抜き、刀身と柄の作りを確かめた。刃を鞘へ戻してから、結人へ目を向ける。
「品質は悪くありません。旅道具としては十分です」
「戦うには?」
「魔物を相手にするには、間合いが短すぎます」
即答だった。
「ですよね〜」
『わらわが用意した物に文句があるのかの?』
「旅道具としては十分だって褒められてるだろ」
『ならばよい』
フィリアは満足したらしい。
受付の女性が短剣を返す。
「もちろん、旅人だから必ず剣を使わなければならないということではありません。ただ、ユウトさんは魔法も使われるのですよね」
「基本的なものだけです」
「でしたら、一度訓練場で確認を受けてください。武器を購入される場合も、その後の方がよろしいでしょう」
「試験みたいなものですか?」
「いいえ」
女性は首を横へ振った。
「落とすためのものではありません」
そして少しだけ言葉を選ぶ。
「街の外で、ご自身が何をできて、何ができないのか。それを知っていただくためのものです」
結人は少しだけ黙った。
その言い方なら、よく分かる。
「お願いします」
「承知しました」
◇
旅人組合の裏手には、小さな訓練場があった。
地面には砂が敷かれ、木製の人形や的が並んでいる。
結人の前には、訓練用の片手剣。
刃を潰した鉄製だった。
「まず、普通に振ってみろ」
対応したのは、四十代ほどの男性だった。
革の胸当てを着け、左眉の上に古い傷がある。
名前はダリオ。
旅人組合で初心者の実技を見ることが多いらしい。
「普通にって」
「斬るつもりで振れ」
「人形を?」
「人を斬るつもりで振られても困る」
「それはそうですね」
結人は片手剣を構えた。
思っていたより、手首に重さが掛かった。
地下で握った二振りは、光が刃の形を取ったものだった。
これは鉄だ。振れば、その重さが腕を引く。
止めようと思っても、すぐには止まらない。
「せっ!」
木人へ向けて振る。
ごん。
鈍い音。
狙った場所を外れ、剣の腹で木人を叩いてしまった。
「……微妙」
『微妙じゃな』
少し離れた場所で見ていたアイリスは何も言わなかった。
「アイリス」
「はい」
「何か言って」
「褒める部分を探しています」
「まだそのネタ生きてたの?」
「難しいです」
「死んでなかった」
ダリオが一度咳払いをする。
「仲がいいのは結構だが、続けるぞ」
「すみません」
「足を広げすぎだ。あと、腕だけで振るな」
「はい」
「もう一度」
振る。
今度は当たった。
しかし止められず、身体まで前へ持っていかれる。
「それを外でやれば、次の一匹に腹を食われる」
「嫌な想像ですね」
「覚えやすいだろ」
何度か繰り返す。
少しずつ当たるようにはなる。
だが、上手いとはとても言えない。
十分ほどで腕が重くなってきた。
「剣だけなら、今のところ素人だな」
「ですよね」
『知っておった』
「お前は少しくらい期待してくれてもよくない?」
『根拠のない期待は優しさではないぞ』
「今日だけ妙に正論だな」
ダリオが顎で訓練場の端を示す。
「魔法も使えるんだったな」
「少しだけ」
「何ができる」
「風を動かしたり、水を浮かせたり。火も小さいものなら」
「攻撃魔法は?」
「攻撃用として習ったものはありません」
「なら、それでいい。何かやってみろ」
「何かって」
「俺を倒す必要はない。剣を当てやすくしてみろ」
結人は考えた。
目の前には木人。
動かない。
これでは意味がない。
「動く的はあります?」
ダリオの眉が少し上がった。
「ある」
木人の下にある金具を操作する。
横に張られた縄が引かれ、木人が左右へ動き始めた。
木人は、同じ幅を同じ周期で往復していた。
結人は一度、剣を下ろす。
「振らないのか」
「見てます」
一往復、二往復、三往復。
右端へ近づくと、速度が落ちる。
そこで止まり、左へ切り返すと、再び速くなった。
「ここかな」
結人は小さく息を吸い、掌の近くに魔力を集めた。
強い風は要らない。初めて使った時と同じように、空気を少しだけ動かす。
木人が右端へ達する直前、横から風を当てた。
狙いより強かった。
木人が大きく揺れる。
「うわ」
予想以上に軌道が変わり、逆に剣が届かない。
『下手くそ』
「分かってる!」
「今のは?」
ダリオが尋ねる。
「力を掛けすぎました」
「それだけか」
結人は木人を見る。
「あと、当てるタイミングが悪い」
動いている途中へ横から力を加えれば、軌道が大きく変わる。
欲しいのは大きな変化ではない。
切り返す瞬間。
元々速度が落ちているところへ、ほんの少しだけ力を加える。
「もう一回お願いします」
木人が動き始めても、結人は待った。
木人が右端へ近づき、速度を落とす。切り返す瞬間、左から右へ、ごく弱い風を当てた。
木人の戻りが一瞬遅れる。
「今」
結人は踏み込み、剣を振った。
ごっ。
今度は狙った場所へ刃が当たった。
「お」
思わず声が出る。
『一回成功しただけで喜ぶでない』
「一回目は大事だろ」
「もう一度だ」
ダリオが言う。
二度目。
成功。
三度目。
風を弱くしすぎて失敗。
「加減が難しいな」
「魔法を撃つことばかり考えるな」
ダリオが木人を止める。
「自分の足でも動け」
「あ」
「魔法で相手を止め、剣で斬る。それだけなら、魔法が外れた瞬間に終わる」
「なるほど」
「剣も魔法も半端だ」
「容赦ないですね」
「今はな」
ダリオは木人を軽く叩いた。
「だが、相手を見る癖は悪くない」
「見る?」
「普通、初心者は武器を渡されると、自分がどう振るかばかり考える」
結人が剣を見る。
「お前は最初に的の動きを見た」
「当てられなかったので」
「理由は何でもいい」
ダリオは肩をすくめる。
「剣士には向いていないかもしれん」
「そこは変わらないんですね」
「だが、戦うことそのものには向いているかもしれない」
結人は少しだけ目を丸くした。
『ほう』
フィリアも珍しく茶化さなかった。
「勘違いするな。今はまだ、魔物一匹に殺されてもおかしくない」
「急に現実へ戻された」
「だから低危険度の仕事から始めろ」
「はい」
◇
実技確認の後。
結人たちは、組合近くの武具店へ寄った。
華美な武器はない。
壁に並ぶのは、どれも使うことを前提にした剣や槍だった。
店主と相談し、何本か握る。
最終的に選んだのは、少し短めの片手用直剣だった。
飾りはほとんどない。
革を巻いた柄。
簡素な鍔。
鈍い銀色の刀身。
「地味」
『武器に何を求めておる』
「もう少し異世界っぽさとか」
『十分異世界で剣を買っておるではないか』
「そう言われるとそうだな」
腰へ下げてみる。
重い。
だが、訓練用よりは手に馴染んだ。
六枚の銀貨を支払い、古い短剣は旅道具として残す。
金貨の残りは変わらず九百八十六枚。
銀貨の方だけが少し減った。
店を出た二人は、通りの端で足を止めた。近くに人がいないのを確かめ、アイリスが声を落とす。
「ご主人様」
「ん?」
「その剣は、光らないのですね」
「普通の剣だからね」
アイリスは少しだけ考える。
「地下で使ったものは?」
「あれは――」
結人は胸元を見る。
懐中時計は、今も小さく時を刻んでいる。
かちり。
かちり。
「たぶん、魔物を斬るためのものじゃない」
「そうですか」
『うむ』
フィリアが静かに同意した。
『あれを便利な武器と思うでないぞ』
「分かってる」
関係を見つけ。
意味を理解し。
本人の意思を確かめ。
断つ。
あの二振りは、鉄の剣とは根本から違う。
何より。
一度使っただけで、結人はまともに立てなくなった。
「普通の相手なら、普通に戦うよ」
『そうせい』
フィリアの返事が、いつもより少しだけ早かった。
結人は気づかなかったふりをした。
◇
旅人組合へ戻る。
受付の女性が、いつもの落ち着いた調子で尋ねた。
「受注されますか?」
結人はアイリスを見る。
「どうする?」
以前なら、アイリスは結人が望む答えを探したかもしれない。
少しだけ考えたあと、少女は依頼書をもう一度見た。
「……行ってみたいです」
役に立つから、ではない。
必要だから、でもない。
ほんの少し興味がある。そんな顔だった。
「じゃあ、決まり」
結人はアイリスから依頼書を受け取り、受付台へ置いた。
「受けます」
「承知しました」
女性が静かにうなずいた。
「では、お二人ともお気をつけて」
街の外へ出るための準備は、もう終わっている。
剣も手に入れた。
次に必要なのは。
それを実際に使って、無事に帰ってくることだ。
次は、結人たちの初めての討伐です。
引き続きお付き合いいただけるとうれしいです。




