第十二話 ~旅の続きは自分で選ぶ~
結人が目を覚ましたとき、最初に見えたのは白い天井だった。
「……知らない天井」
『そうじゃろうな』
「一回言ってみたかった」
『分かっているならはよ起きよ』
「それは難しそうだ」
身体が重い。
特に腕。
指を動かすと、遅れて感覚がついてくる。
地下でクロノワールドを使った直後よりはましになっているが、全快とはほど遠い。
「ここどこ?」
『旅人組合の休養室じゃ』
「俺、運ばれた?」
『無様にな』
「恥ずかしい」
『自業自得じゃ』
フィリアは文字盤の縁へ腰を下ろしている。
いつもの顔。
いつもの口調。
それを見て、結人は少しだけ安心した。
「アイリスは?」
『隣の部屋じゃ。組合の者と話しておる』
「怪我は」
『大きなものはない。魔力を強く押さえつけられておったゆえ、疲れてはおるがの』
「そっか」
息を吐く。
扉が開いた。
「ご主人様」
アイリスが入ってくる。
自分で選んだ青い旅装を、今日も身につけていた。
髪には、青いガラス玉の付いた髪留めが戻っていた。
「あ、それ」
昨日、窓辺で拾って、服の内側へしまったものだ。
「組合の方が、先ほど返してくださいました。ご主人様がお持ちだったと伺いました」
「よかった」
アイリスがベッドの横へ来る。
「お身体はいかがですか」
「だるい」
「痛みは?」
「筋肉痛みたいな感じ」
「それは、よい状態なのでしょうか」
「たぶん」
『信用するでないぞ。こやつ、自分の身体のことになるとビックリするぐらい雑じゃ』
「フィリア」
『事実じゃろ』
アイリスが少しだけ眉を寄せる。
「無理をなさらないでください」
「はい」
昨日から俺の味方がいない。
「皆は?」
結人が尋ねる。
「救出された方は、全員こちらの保護下にいます」
「三十一人?」
「はい。わたくしを除いて、三十一人です」
「七人も」
「全員いました」
アイリスの声が少し揺れる。
「ミラさんも。トマスさんも。ガトも。皆さん、生きています」
「……そっか」
「はい」
しばらく、それだけだった。
よかった。
本当に。
結人は天井を見る。
「商館は?」
「地下施設は封鎖されました。関係者の取り調べが始まっています」
「魔力核は」
「証拠として組合と役所が共同で保全しています」
「契約印は?」
アイリスの表情が少し硬くなる。
「残っています」
「やっぱり」
「核から命令を送る魔力線は切れています。ただ、契約印と所有者記録は残っています」
「つまり、助け出した皆が、すぐに自由になれるわけじゃない」
「はい」
『そこは人の世の問題じゃ』
フィリアが言う。
『わらわたちが勝手に消してよいものでもあるまい』
「分かってる」
分かってはいる。
でも。
少し悔しい。
「それと、わたくしの所有者変更は、偽造されたものとして取り消されました」
アイリスが一度、自分の首元へ触れる。
「そのうえで、全員の契約印に対する更新処理が凍結されたそうです」
「凍結?」
「調査が終わるまで、新しい所有者への移転や、命令条件の追加をできないようにしたそうです」
「勝手に持ち主を変えられるのは、防げるんだな」
「はい」
「じゃあ、アイリスの今の記録は?」
「ご主人様へ戻っています」
「……戻るんだ」
『嫌そうな顔をするでない』
「嫌だよ」
結人は即答した。
「元に戻したいのはそこじゃない」
アイリスは静かに結人を見る。
「解放の申請は、継続していただけるそうです」
「うん」
「今回の事件で、契約印の由来も調べ直されます」
「時間はかかる?」
「おそらく」
「じゃあ、待つしかないな」
「はい」
結人は少し黙った。
そして。
「アイリス」
「はい」
「ごめん」
少女が目を瞬く。
「何がでしょうか」
「一人にした」
「ご主人様が悪いわけでは」
「あの男を追う前に、アイリスのところへ戻るべきだった」
「でも、戻ってきてくださいました」
「連れていかれてから」
「それでも」
アイリスは結人の言葉を止めた。
珍しかった。
「来てくださいました」
「……うん」
「ですから」
少し考える。
「謝っていただくのは、難しいです」
「それは困ったな」
「難しいものは、難しいですから」
結人は笑った。
アイリスも、ほんの少し笑う。
◇
昼過ぎ。
結人はようやく普通に歩けるようになり、組合の一階へ降りた。
受付には、いつもの女性がいた。
「ご無理はなさらないでください」
「今日それ三回目です」
「必要ですので」
「はい」
逆らえない。
ガルドも奥から出てきた。
「昨日はよくやった」
「褒められると不安になります」
「なら訂正する。無茶をした」
「そっちの方がしっくりきます」
「バカなやつだ」
ガルドは書類を一枚出す。
「地下で保護した三十一人については、当面組合と役所で生活場所を確保する。元の家族や出身地が確認できる者から、順に照会を進める」
「帰れない人は?」
「仕事と住居を探す。本人の希望を聞いた上でだ」
結人はうなずいた。
「それなら」
「全部が綺麗に解決したわけじゃない」
「分かってます」
「奴隷制度そのものも残る」
「……はい」
「一人で背負うな」
ガルドが言った。
「昨日一日で、街の仕組み全部を変えられると思うな」
「思ってません」
「顔が思ってる」
「顔でそこまで分かります?」
「若い奴はだいたい同じ顔をする」
『良いことを申す男じゃ』
フィリアが頷いている。
「お前まで乗るな」
受付の女性が不思議そうに一瞬だけ結人を見る。
「……何でもないです」
「そうですか」
深追いしない。
機転が利く人だ。
◇
組合を出た後。
結人とアイリスは、昨日までと同じ街を歩いた。
商館の周辺には衛兵が立ち、入口は封鎖されている。
近づかない。
二人は宿へ戻る道を選んだ。
「アイリス」
「はい」
「これからどうしたい?」
少女の歩みが止まる。
「これから、ですか」
「うん」
結人も止まった。
「解放の手続きが終わるまで、この街に残ってもいい」
「……はい」
「組合が保護してくれるなら、ここで暮らす方法もあると思う」
アイリスは何も言わない。
「俺と一緒に旅を続けてもいい」
少し間を置く。
「正直に言うと、俺は一緒に来てほしい」
アイリスが顔を上げる。
「一緒に飯を食べたり、買い物したり。そういうの、楽しかったから」
少し照れくさくなって、結人は付け足した。
「それに、俺一人だと、たぶん三日くらいで迷う」
『三日も持つかの』
「黙ってくれ」
アイリスが笑いそうになる。
「でも」
結人は続けた。
「それは命令じゃない」
少女の表情が静かになる。
「俺がそうしてほしいのと、アイリスがそうしたいのは別だから」
「……はい」
「だから決めていい」
昨日。
動けない身体で。
嫌だと答えた。
今度は。
何をしたいか。
アイリス自身が決める番だった。
「ご主人様」
「うん?」
「帳面を、出してもよろしいでしょうか」
「今?」
「はい」
アイリスは青灰色の帳面を取り出した。
道の端にある低い石壁を机代わりにする。
羽根ペン。
小さなインク壺。
「何を書くの?」
「忘れないように」
一文字ずつ。
丁寧に書く。
結人にはまだ読めない。
「何て?」
アイリスは書き終えた文字を見た。
それから答える。
「旅へ行く」
「……そっか」
「はい」
「俺と?」
「はい」
アイリスが帳面を閉じる。
「わたしが、選びました」
青い服を選んだときと、同じ言葉。
でも。
今度選んだものは、服よりずっと大きい。
「じゃあ」
結人は歩き出す。
「共に旅をしよう」
「はい」
『ようやく本当の旅らしくなってきたのう』
「お前が最初に放り出したんだろ」
『細かいことを気にするでない』
「大事な事だよ」
アイリスが二人のやり取りを聞きながら、隣を歩く。
首元にはまだ契約印がある。
書類の上では、まだ結人の所有物になっている。
何もかも自由になったわけではない。
それでも。
次に進む道だけは。
もう、誰かに決められたものではなかった。




