第十一話 ~歌声は縛れない~
「始めようか」
三十一本の赤黒い線が、青白い光と並んで広がっていた。
結人は一番近い一本へ向かう。
光刃を当てる。
今度は、迷わない。
赤黒い線が何をしているのか。
その先にいる人が、何を拒んでいるのか。
理解できる。
刃を押す。
線が切れた。
壁の向こうで、誰かが大きく息を吸った。
「……あ」
声。
かすかな声が戻る。
「一人」
次。
また一本。
切る。
「っ……いや……」
別の声が返った。
かすかでも、その人自身の拒絶が、今度は声になっていた。
「二人」
結人は三本目へ向かう。
『焦るでない』
「分かってる」
フィリアに答える。
一本ずつ。
意味を確かめる。
青白い返りの光がある。
拒絶がある。
そこだけを選ぶ。
光刃を振る。
三本目。
四本目。
五本目。
切れた線は赤黒い粒になって消える。
青白い線は残った。
「残るんだ」
『おぬしが切ろうとしておるのは、命令を押し付ける関係だけじゃ』
フィリアが言う。
『歌を通じて戻っておるものは、あやつら自身が返したもの。別の関係じゃ』
「なるほど」
同じ場所を通っていても。
同じ核へつながっていても。
全部が同じ線ではない。
見えたものを片っ端から斬ればいいわけではない。
結人は六本目へ刃を入れた。
身体が重い。
まだ六本。
先は長い。
「ユウト!」
ガルドの声。
振り返る。
商館の男は床へ押さえつけられていた。
杖は遠くへ転がっている。
短槍の女が腕をねじ上げ、ガルドが魔力核との間へ立っている。
「こっちは片付いた!」
「流石です」
「当然だ。ひよっこ共とは年季が違う!」
結人は少しだけ笑った。
だが、男が取り押さえられても、赤黒い線は脈打ち続けている。
「命令はまだ流れています。戻りの経路も、長くは保てません!」
魔法使いの声に、結人は光刃を握り直した。
返事が届いているうちに、残りを切る。
◇
アイリスの歌は続いていた。
最初は一人だった。
やがて。
別室から、かすかな声が重なった。
「……ん……」
歌詞のない旋律を。
誰かが鼻歌で追いかける。
また一人。
もう一人。
結人が線を切るたび。
声を取り戻した者が、歌へ加わっていく。
上手い歌ではない。
音程がずれている者もいる。
途中からしか分からない者もいる。
ただ、アイリスの音を追う。
それだけ。
なのに。
青白い返りの光は、少しずつ太くなっていった。
一人分だった線が、隣と重なる。
細い流れが束になり、魔力核へ戻ってくる。
「歌で強くなってる?」
『歌そのものが魔法なのではない』
フィリアが答える。
『皆が同じ意思を確かめておるのじゃ。自分だけではない、と』
「それで」
『返す意思が、揺らがなくなる』
結人は次の線へ向かう。
十一本。
十二本。
手の感覚が少し鈍い。
刃を握っているはずなのに、指先が自分のものではないように感じる。
「大丈夫ですか」
アイリスが歌の合間に聞いた。
「とりあえずは大丈夫だ」
「そのお答えでは不安です」
「正直に言ったのに」
『倒れてから申すよりはましじゃ』
「倒れる前提で話すな」
十三。
十四。
同じ構造の線が続く。
ここまで来ると、最初ほど時間はかからない。
青白い返りの光を確かめ、命令を押しつける関係だけを選ぶ。
刃を振ると、十五本目がほどけた。
次は、左右に伸びる二本。
同じ核から、同じ命令が流れている。
それぞれの先から、はっきりと拒絶が返っていた。
「二本、一緒にいけるか」
『意味を取り違えるでないぞ』
「分かってる」
二振りを交差させる。
振り抜く。
二本の赤黒い線が同時にほどけた。
「できた」
『感慨に浸るのは後じゃ』
「はいはい」
十八。
十九。
二十。
身体が熱い。
逆に指先は冷たい。
胃の奥が持ち上がる。
「うっ……」
「ご主人様」
「大丈夫」
『嘘じゃな』
「今は動ける」
『それを大丈夫とは言わぬ』
視界の端が少しぼやける。
それでも。
赤黒い線は見える。
むしろ、余計なものが暗くなり、線だけが強く見えるようだった。
「あと十一」
誰かが数えた。
どこからの声か分からない。
歌はもう、部屋一つでは収まらない。
壁の向こうからも続いている。
アイリスが先頭にいる。
でも。
彼女一人の歌ではなくなっていた。
二十一。
二十二。
結人は足を進める。
同じ型。
同じ命令。
同じ拒絶。
一本ずつに違う人間がいることだけは、忘れない。
二十三。
「ご主人様」
アイリスが呼ぶ。
「何?」
「皆さん、嫌だと言っています」
「うん」
「ですから」
歌を続けながら。
アイリスは、ほんの少し笑った。
「お願いします」
「任された」
結人は息を吐く。
残りは八本。
すべてから、青白い光の線がはっきりと戻っている。
核から一時命令を流すためだけの枝。構造も同じだ。
それぞれの意味を、一つずつ確かめる。
「……同じだ」
『うむ』
「全部、切っていい」
『あやつらが、そう言うておる』
結人は二振りを広げた。
八本の赤黒い線が、視界の中で束になる。
線そのものが一つになったわけではない。ただ、今の結人には、八つすべての意味が同じだと理解できた。
「これで最後」
結人は両腕を振った。
右から、左から。
二本の青白い光が、大きく交差する。
八本の赤黒い線を、まとめて通り抜けた。
一瞬、何も起こらない。
次の瞬間、八本すべてが中央からほどけた。
赤黒い光が消える。
部屋が。
静かになった。
残ったのは。
青白い光。
そして歌。
「……終わった?」
結人が呟く。
『うむ』
フィリアの声。
『命令を流していた線は、すべて切れた』
光刃が消える。
今度は結人が意識して消したのではない。
握る力がなくなった。
「あ」
膝が落ちる。
「ご主人様!」
アイリスが走る。
その声が聞こえたところで、結人は床へ手をついた。
吐き気。
視界が揺れる。
両手がしびれている。
「ちょっと、休む」
『ちょっとで済めばよいが』
「縁起悪いこと言うな……」
床へついた手に力を込め、身体を起こそうとした。
肘が震える。
支えきれずに傾いた肩を、アイリスが受け止めた。
「無理をしないでください」
「してない」
「しています」
「……はい」
反論する元気がなかった。
◇
衛兵が地下へ入ってきたのは、それから間もなくだった。
商館の男たちは拘束された。
魔力核も壊さず、そのまま証拠として封じられる。
捕らえられていた者はアイリスを除いて、三十一人だった。
帳面から消えていた七人も、その中に全員いた。
トマス。
ミラ。
ガト。
そして、アイリスが覚えていた四人。
声が戻った者から、一人ずつ名前を聞かれていく。
まだ上手く話せない者もいた。
泣いている者もいた。
怒っている者もいた。
何も言わず、ただ床を見ている者もいた。
それでいい。
誰も同じ反応をする必要はない。
「名前を聞かせてもらえますか」
組合の職員が、壁際の男の前にしゃがんだ。
長い沈黙のあと、男の唇が動く。
「……トマス」
かすれた声だった。
「トマス、だ」
職員がうなずき、帳面へその名を書き留めた。
商館の男は言った。
記録から消せば、最初からいなかったのと同じだと。
そんなわけがない。
名前は。
声は。
ここに残っている。
アイリスの歌が、ようやく止まった。
地下に静けさが戻る。
結人は壁へ背を預けたまま、目を閉じる。
今日はもう。
立てそうになかった。




