八 覚知、推測
広介は、返事に詰まった。なぜそんなことを訊いてくるのか、一瞬わからなかったのだ。ややあって、思い出した。臣民相談室の中では、こちらが先輩、かつ世話係だった。だからこの傑級修祓師は、勝手に動きだすことを自粛し、お伺いを立ててきている。気づいて、やはり返事が出ない。
「お祓いが、できるのですか?」
不安げに問う袋井に、銅室冴白は回答する。
「必ずとは申しあげられませんが」
そのとき、背後でなにかが揺れた。広介が振り返ってみると、木陰から数人が覗いている。さきほど玄関にいた使用人のうち、若い人たちらしかった。心配で様子を見にきたのだろう。広介が会釈をしていると、袋井が彼らの姿に気づいた。困ったように微笑んだあと、お仕事なさいと追い返した。
「──では主は、どうなりますでしょうか……?」
「はい。まずは、現状のご説明をさせていただきたく存じます」
袋井のほうへ身体を向けると、銅室冴白は話し始めた。
「さきほど、あちらのお部屋には、離魂が所在すると申しあげました」
「はい……」
「念のため改めて申しあげますと、離魂とはもとは魂、つまり感情の勢力なのです。それが本来納まっておくべき器を逸脱したならば、それを離魂と呼ぶのです。そして、器である身体もまた別の勢力を発しており、そちらは留魄と呼びます」
「ええ、はい、そこまでは。先日、本で読みました」
「さようでございましたか、失礼いたしました。ところで、その留魄のほうは常に発せられており、物品のそれと人間のそれと、ほかの生物のそれとでは、少しずつ気配が異なるのです。加えて、強弱もございます」
修祓のため離魂の覚知を訓練すると、留魄の覚知は難しくなる。修祓用に練りあげたものは別だが。銅室冴白は、両方を覚知でき細かな違いもとらえるらしい。広介はまた舌を巻いたが、いま重要なのはそこではない。状況を共有しているのだ。
「目下ご主人のお部屋には、衰弱した留魄がふたつ所在しております。ひとつは人間の留魄、もうひとつは物の留魄です。前者は、ご主人のものでしょう。かなり弱まっているもようです」
袋井が青ざめるのがわかり、広介は口を挟もうとした。もっと、言葉を選ぶべきだ。
けれども、今の銅室冴白は、知らない世界の話をしている。言い過ぎなのか妥当なのか、それさえ広介にはわからない。誠実なやり方なのかもしれない。広介は、なにか言う時機を逃した。銅室冴白は表情を変えず、あくまで平らに言葉を繋ぐ。
「留魄が弱りますのは、器が弱っているためです。怪我や体調不良、故障のほか、離魂が侵入した場合にも、同様に器は弱ります」
「ええ……」
「現在、離魂の存在、および留魄の衰弱を覚知しておりますので、お部屋におられるご主人には離魂が侵入しているといえます。衰弱の度合いからして、深くまで入り込んでおります。また、さきほど申しあげました後者、物の留魄ですが、こちらも同様の状態です。お聞きしたお話から推測しますと、こちらはご主人のお人形の、エイミー嬢ではないでしょうか。したがって私の覚知、推測いたしましたところによると、現在あちらのお部屋の中には、重度に取り憑かれたご主人と、お人形がおられます」
以上が現状のご説明です。銅室冴白はいったん結ぶ。袋井はぴしりと立っているものの、放心している様子であった。広介は奥歯を噛みしめた。依坐および依代、と言ったのは、こういうことだったらしい。
エイミーの離魂が、藤丸綾人に憑いたのではなく、なにか別の離魂が、藤丸綾人とエイミーに憑いたと銅室冴白は推測している。
「そこで、対処方法ですが────」
その淡白な展開に、袋井が僅か救われた目をする。対処ができるのですねと訊ねる。銅室冴白はすぐにこたえた。
「必ずとは申しあげられませんが、修祓はじゅうぶん可能です。ただいまご主人のお部屋には、だれも近づけないとお聞きしております。こちらから直ちに祓うべきであると私は思料いたします──」
後半は、こちらへ向けられていたと、広介はそう受け取った。銅室冴白にうなずいてから、袋井の目を真っ直ぐに見る。
「袋井さま、それがひとつです。ただ、器深くに侵入されているのであれば、『祓』は……、ただ祓うことには、危険を伴う場合があります」
なるべく穏やかに伝えたものの、袋井が身を固くするのがわかった。
今度の離魂は一級らしい。広介では互角というところだが、横の傑級に任せたのなら確実に祓いきれるだろう。それが最速の解決法だ。だが、依坐である藤丸綾人は苦痛を覚えることになる。依代と推測されるエイミーも、疵を受けることになる。深く入られているとそうなってしまう。それはだれが祓うのでも同じだ。
藤丸綾人は、二か月ほども寝食もままならぬ状態であり、エイミーは大事な人形である。負担をかけることは避けたい。袋井の目は揺れていた。そこで、と広介は言った。
「もうひとつの方法があります」
依坐も依代も傷つかない。
それに、得意だ。「祓」などよりずっと。
「ご主人方のおそばまで、近づく必要のある方法なので────」
ご主人の意に反するけれど、非礼な修祓師がわるいということでここは任せてもらえないだろうか──そう言いかけて、飲み込んだ。横から声が聞こえ始めて────ラカルヤテシンムンヨロンシン────「祓」だ。「祓」のための詞だ。銅室冴白が詠唱している。独断で祓い始めているのか。広介は咄嗟にその腕を掴む。途端、ぷつりと声が途切れる。つぎの瞬間、慄然とした。背後。確かに覚知したのだ。
眉間光線も不要の近距離。即座に振り向き、前に出る。ふたりまとめて背にかばい、真正面から向き合った。
依代は、予測不能である。金属や石、粘土といった素材の限界すら超える。ひとりでに動くばかりではない。離魂が憑いていないときからは考えられない動きを見せる。
石盤を貼った青い外壁。陰から小さな姿が覗く。風に、真っ赤な縁飾が揺らぎ、あたりはさっと静まり返る。




