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奇傑修祓師の目付役  作者: 相宮祐紀
第一章 踊る磁器人形
6/8

六   相談者





**





 不思議な人物だと思う。

 書き終えた修祓録《しゅばつろく》を見直しながら、ちらりと横へ視線を送る。朝の臣民相談室、少し片づいた机の島。広介《こうすけ》の左横の席に座ることになった銅室《あかむろ》冴白《こはく》は、直近の修祓録の控えに黙々と目を通していた。修祓録は上に提出するものだが、控えも作って保管している。対応してきた案件につき確認できるようにするためだ。臣民相談室に入って挨拶を済ませた銅室冴白は、それではさっそく控えを見せよと、なによりも先に宣った。ここでの仕事がどのようなものか、実例で把握したいらしい。

 注連縄《しめなわ》みたいにねじれた形の凝った四つ脚がついた机に、肘なし、猫脚の椅子を合わせてそこに姿勢よく座っている。左側に未読のものを積み、読めば右側に移すらしいが、見ていればかなり速読である。すぐ横にいる広介には、着々と増える既読文書の圧も如実に伝わってくる。

「銅室さん、お茶どうぞ」

 春築《はるつき》がのんびりと声をかけ、銅室冴白の机の上に白磁のソーサーとカップを置いた。中身はいつもの煎茶なのだが、なにやらやけに小粋に見える。すみません、ありがとうございます、銅室冴白が平坦に言い、春築はいいえと首を振ってにこりと笑顔を咲かせている。

 銅室冴白が修祓録を読み始める前、春築は棚からいろいろ出して、専用の茶器を選べと命じた。しかし本人がどれでもと言うので、春築が吟味して決めたのだ。華奢なつくりで品のあるところが銅室冴白にぴったりなのだと、春築は満足しているらしい。

「あ、それ、うちが最初にひとりで修祓《しゅばつ》できたやつです」

 春築が声を華やがせ、銅室冴白の手もとを覗く。広介の正面で、喜多《きた》が僅かに視線をあげた。

「さようでございましたか。三級の離魂《かれだま》とありますが、怖くはなかったのですか」

 銅室冴白は春築を見て、そんなことを問うている。ひどく淡々としているが、そのぶん嫌味もなにもない。さっぱりとした質問だ。春築が両手を握りしめる。

「ほんま言《ゆ》うたら怖かったです、やけど喜多さんがおってくださったし、『結《むすび》』までちゃんとできましたし、その節はありがとうございました!」

 突然春築に最敬礼され、喜多は眉を寄せている。

 銅室冴白がうなずいた。

「確かに。室長お気に入りの茶葉が切れてしまったため、昼休みにおふたりで買い出しに行かれ、離魂に憑かれた通行人に遭遇したと記録されています」

「そんな経緯まで書いてたっけ?」

 室長席で地﨑(ちざき)がふきだす。書きましたよと春築がこたえた。

「初めてのことやったけん、がいに詳しに書いたんですよ……いらんでええことも書いとるけど、上に出したほうには書いてませんよ?」

「確かそうだったね、懐かしい。少し見せてもらってもいいかな」

 そばまでやってきた地﨑に、銅室冴白は修祓録を渡した。

「喜多修祓師(しゅばつし)が、錯乱した依坐《よりまし》を取り押さえていらしたのですね。見事な修祓補助だったのでしょう」

「それほどのことでもありません」

 銅室冴白の静かな指摘に、喜多は生真面目に応じている。そのやり取りで、春築と地﨑は愉快そうに笑いだした。広介は、どうも不思議だと思った。

 官舎からここまでは、みんな仲良く来たわけでなくそれぞれの時間にやってきた。広介が戸の前に着いたときにちょうど銅室冴白も来たので、一緒に入ったくらいのものだ。

 銅室冴白は平静だった。片隅半地下の執務室にも、その中の雑多な机の島にも、鋭利な目をした鷲の剥製にも、動じる様子を見せなかった。先に着いていた喜多と春築と、すぐあとに来た地﨑に対し、逐一頭をさげていた。全員が揃ったときも改めて挨拶をしていたし、その後修祓録の控えを所望し非常な速さで読んでいる。そして制服の金《きん》釦(ボタン)は、すべて銀色になっていた。昨夜つけ替えてしまったらしい。

 やはり高慢ちきではないし、常に平らだが無口ではない。感情は見えにくいけれども、交流を拒むわけではない。臣民相談室のことを、わるく思っている様子も見えない。溶け込もうとしているらしく、異物の感は最初からなかった。この人物に世話係など必要ないだろうと思う。

 わけもなく鉛筆を回していると、手が滑って落としてしまった。銅室冴白が気づいて拾い、どうぞと言って手渡してくる。つるりとした質感の目と目が合う。昨夜会ったときと同じなのだが、少しだけ違うようにも思える。

 倉代《くらしろ》広介《こうすけ》一級修祓師。有名な方でいらっしゃいますので。ほかの三人には言っていないのに、いきなりそう言ってきたのはなぜか。経歴をあらかた知られていたが、あれも知られているのか、それより。

 皇女のすぐ目の前で、「毀《こぼち》」を行使しかけたというのは。それはどのような状況で、なにを毀《こわ》そうとしたのだろうか────

「ありがとうございます」

 広介が鉛筆を受け取ると、銅室冴白は目礼をした。そのとき、間の抜けた音が響いた。扉が小さく叩かれる音だ。

「はい!」

 春築が元気に応じ、すぐに扉へ駆け寄っていく。相談者がやってきたらしい。





**





 穏やかな気品を感じさせる洋装の男性だった。温厚そうな初老の人で、名前は袋井《ふくろい》だといった。初めて訪ねてきた人だった。

 春築と喜多は挨拶をすると、すぐに外へ出かけていった。依代《よりしろ》や依坐の経過観察のためである。その予定のない広介が、相談者の話を聞くことになった。室長席の地﨑がすかさず銅室冴白に声をかけ、この相談の件について、彼女も担当することになった。

 ひとりでじゅうぶん対応できるし、今までも長くそうしてきた。ひとりのほうがずっとよいのだが、今はそういうわけにもいかない。思いきり無作法な言い方をすれば、光り輝く糞《ふん》をくっつけて泳がねばならぬ金魚の気分だ。

 広介はなにかやけくそになり、地﨑に片目を瞑ってみせた。地﨑は口を変なふうに曲げ、笑いをこらえているらしかった。

 なにが可笑しいのかさっぱりなのでそんな室長は置いておき、広介は天鵞絨《ビロード》の長椅子のほうへ、袋井を案内した。そのあいだに銅室冴白が、茶を用意して持ってきた。相談者用の上等の湯呑と茶托をしまってある場所は、専用の茶器を選んだ際に春築が教えていたのだった。

 広介は、記録用紙と鉛筆を持って褥椅子《オットマン》に腰かけた。低めのテーブルをひとつ挟んで袋井と向かい合う格好だ。地﨑は室長席におり、銅室冴白も自席にいる。ふたりして正面に陣取るのでは、高圧的と考えたのかもしれない。もしもそうなのであれば、広介も同じ考えだった。

「よくおいでくださいました」

 広介はいつものように伝えた。すると袋井は、目をみひらいた。なにか言いたげにその口が動く。広介はそっと笑いかけた。

「離魂に関することというのは、相談しにくい場合もあるでしょう。今日来てくださって、よかったです」

 離魂に憑かれても、なにかの恨みを買ったのではなくただの偶然ということは多い。しかし、家の人や家財が憑かれるのは恥だという意識が昔からある。相談が遅れがちになるのだ。近頃は文明とか科学とかが流行り、猶更その傾向が強い。けれども後手になってしまうと、対応が難しくなることもある。どんな段階かわからないのだが、来てくれたことはありがたい。

「今からお話を聞いていきますね、警察の聴取じゃありませんから、どうかお楽になさってください……」

 そこまで言い、広介は口をつぐんだ。袋井がうつむいてしまっている。片手で口もとを覆っている。その肩が震えていることに気がつき、ぐっと喉の奥が詰まった。制服の隠しからハンカチを取り、袋井の前に差し出した。ありがとうございます、と、袋井は途切れがちに言う。

 これは、かなり抱え込んでいた深刻な問題なのかもしれない。けれども、ことを急いてはいけない。落ち着いてから話を聞くべきだ。しばらく、ひそやかなすすり泣きだけが相談室に流れていた。ハンカチを膝に置いた袋井は、ときおり話しだそうとするが、うまくいかず声を詰まらせる。広介はたびたびうなずいてみせた。必ず、迎えて安心させると、決意が先に煮詰まっていた。

 魔法瓶から注いだ煎茶も湯気を立てなくなったころ、袋井はようやく顔をあげた。少しかすれていながらも、しっかりとした声で言った。

「取り乱しまして、申し訳ありません……ほんとうにあたたかいお言葉を、いただけましたので思わず……」

 とんでもないことですと、広介は慌てて首を振った。

「もしお話ができそうでしたら、お伺いしたいです。お気にかかるのはどんなことですか?」

 訊ねると、袋井はうなずいた。ゆっくりと息を吸い、広介の手もとを見ながら落ち着いた様子で話しだす。

「わたくしは、藤丸《ふじまる》子爵家に長らくお仕えしております家人《けにん》でございます。このたびご相談させていただきたいのは、藤丸家の若君のことでございます。若君と申しましても、お母上を早くになくされ、お父上もおかくれになりまして、藤丸家の主《あるじ》におなりなのですが……。お名前を綾人《あやと》さまとおっしゃいます。今年二十になられる、文武に秀で快活でおきれいな、おやさしいかたでいらっしゃいまして、わたくしめも長いあいだ、だいじにお守り申しあげてきました……、ですが近頃はご様子が……、違っているのでございます……」

「違っているというのは、どんな?」

「はい……。もう、ほんとうにお部屋から、出ていらっしゃらなくなったのです。お食事もじゅうぶんにとられませんし……、それに、お部屋にいらっしゃっても、お休みにはなれていないようで……」

 声がまた揺らぎ始めている。広介は一度口を結んだ。大切に仕えてきた主が部屋に閉じこもってしまい、食事も睡眠もろくにとらない。千切れそうになるかもしれない。

「それは、どのくらい続いていますか?」

「はい、もう……、ふた月ほどに……」

 かたりと、椅子の動く音。銅室冴白が身じろいだらしい。

 そうだったのですねと深くうなずき、広介は問いを重ねた。

「ご主人はふた月のあいだ、一度も出ていらっしゃらないのですか?」

「ああ……、いいえ、よいときは、三日に一度ほど出ておいでです、そのときはスープなどおあがりになります……、ですが、お顔の色がほんとうに……ほんとうにお身体も細くなられて……」

「出ていらすときもあるのですね……。そのとき、お話はできますか?」

「いいえ……、どこを見ていらすのか、わからないようなご様子で……、だれがなにを申しあげても、お返事くださらないのです……」

「なにも、おっしゃらないのですか?」

 ふっと、袋井は視線をあげた。濡れたままの目がひとつ瞬く。

「あ……、いえ、いいえ、いいえ……」

「なにか、おっしゃるときがありますか?」

 はい、とこたえが返るので、少しだけ笑みを含んで訊いた。

「どのようなことをお話しですか?」

 袋井は唇を震わせながら、おにんぎょうの、と呟いた。

「おにんぎょう?」

 聞き返すと、何度も首を縦に振る。

「はい、さようです、お人形です。お人形のお名前を仰せになります……」

「お人形のお名前ですね。なんというお名前なのですか?」

「はい、エイミーさまでございます……綾人さまが小さなときから、お部屋に置いておられるお人形なのです……」

「だいじにされているのですね」

「はい、それは、ほんとうにもう……。綾人さまの妹君が、譲ってと仰せになったことがございまして……、そのようなときにあのかたが、お譲りにならなかったものというのは、ほかにはひとつもないのですけれど……、そのエイミーさまだけは、決してお譲りにならなかったのです……」

「そうなのですね────そのお名前のほかには、なにかおっしゃることがありますか?」

「それは……、いいえ、ございません……、エイミーさまをお呼びになるだけで……」

 広介は思わず顔を歪めた。これはまず間違いなく、離魂の問題だろう。ふた月もその状態が続けば、家じゅうの人がつらいはずだ。話を聞くだけでも深刻であるし、二級、一級案件かもしれない。しばしばあることではないのに、銅室冴白は初日からこれだ。さすが傑級《けっきゅう》というべきか。不謹慎なことを思ってしまい、一度強く唇を噛む。

「その、人形のエイミー嬢は、今もご主人のお部屋にいるのですか?」

「はい、もちろん、いらっしゃるかと……」

 もちろんと言いながら、言葉を濁していると気づいた。

 それだけでなく、袋井は、エイミーのことから話さなかった。エイミーの名前を出す前に、少しためらっているようだった。

 おそらく袋井という人の中には、まだつっかえたものがある。それを取り出してもらわねばならない。広介は少し考えたのち、できる限りにやわらかく問うた。

「今、どなたかがご主人のお部屋に、入ることはできますか?」

 ぴくりと、袋井は肩を揺らした。そして深くうなだれる。入れません、と小さくこたえた。

「ええ……はい、そうなのです……。だれも、入れないのです……、だれであっても入ろうといたしますと、綾人さまがお怒りになりますので……お身体が弱っていらっしゃるのに、ほんとうに、おいのちを削るようにして、お怒りになってしまわれるので……、もう、だれも、できないのです……」

 できないのですと、繰り返す。

「もう、だれもできないのです、お部屋のそばにも、近寄れません、お部屋は離れにあるのですが、その離れにさえ近寄れず……寄るなとお命じになりましたので……、出ていらっしゃるのを待つだけなのです……、こうしてご相談いたしますのも、エイミーさまのことを口外いたしますのも、綾人さまのおこころに背く気がしてなかなか踏み切れずにおりました……」

 袋井はようやく吐き出すと、両手で顔を覆ってしまった。

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