四 無人の一階
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ねえ、絨毯は秘密の森ね。緋色に蔦と小鳥が絡みあってて愛しあってて、踏んじまえるけど蹴散らせないの、あなたちょっとそこ避けて頂戴、お花畑がよく見えないわ──ええもういいわ、そこにおすわり。ごらん、切子の吊洋燈。逆立ちをしてる鬱金香なの、そうなの鈴蘭じゃあないの。あら、ちょっと古い蓄音機ねえ、その喇叭って水仙なのよ。凌霄花もいいんだけれど。そうよカーテンのちっちゃな刺繍は、ぜんぶが勿忘草なのよ。ふうわり、揺れるスカートなんだわ、秘密に迷い込んだのね。御本の階段のぼってみなくちゃ、ほら、ほら早く、はやくお帰り、だって秘密の場所なんだもの、きっとお月さん迎えにくるから────ああ、やっと、ふたりきりねえ────あなた、ねえこれは寝巻なの? 白くて、襞までお綺麗なのね、そうね麝香撫子かしらねえ、いっぱいの霞草も素敵ね──わたしのは赤い縁飾があるの。真っ赤な、薔薇の花びらなんだわ、いやねえ、寝巻なんかじゃないわ──子どもっぽいけど夜会服だわ、そうよ、そうって言わなきゃ厭よ、ええ──やっぱりやさしいひとね。やさしくって、にくたらしいわ────だからねあなた、一緒にいましょう。わたしと、一緒にいるのよ、ずっと、ずっと、ずうっと、いっしょにね────
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新しい成員について地﨑から話を聞いたあと、広介は喜多と春築とともに庁舎の横の食堂へ行った。そこは夜でも開いている。地﨑は家に帰っていった。子どもたちが待っているのだ。
春築は焼魚の定食を頼み、味噌汁と白飯をおかわりしていた。広介も同じことをした。定食には、副菜として切干大根の煮物がついており、ように味がしゅんでくたくたやぁと春築はいたく喜んでいた。喜多はライスカレーを食べた。横目で見ていた広介は、添えられた萵苣の和え物の中に短いうどんを発見した。芯に穴があいているので、その妙なうどんなんだっけと問えば、喜多はマカロニだろうとこたえた。春築は穴あきうどんやと言った。
そのあと三人で夜道を歩き、同じ下宿に帰ってきた。ほぼ修祓師しか住んでいない官舎だ。一度部屋に入ってから、喜多とふたりで銭湯へ行った。官舎にも共用の風呂や流し台があるが、たまには外へ出かけるのもいい。
それぞれの部屋に入る前、水縹のシャツを着こなした喜多は、また明日、と軽く手を振った。なかなか人懐っこいことをする。飯を食うのも風呂に行くのも、いつも連れ立ってというわけではなく、ときどき喜多が誘ってくるのだ。一緒にいるのもいないのも、気を遣わなくてよく心地よかった。春築も、地﨑も同じようなものだ。でも、明日からの毎日は、こんなふうにはいかないのだろう。
広介は、紺の着流しに裸足で三畳一間に転がっていた。二階東向き角部屋である。障子戸と押入れと壁とに囲まれ、畳は少しささくれている。ほとんど眠るだけの場所だし狭くなってしまうので、餉台も座布団も置いていない。
ちょうど顔の真上で光る、小さな電灯がやけに眩しい。ゆるりと瞼を閉ざしてみると、白い残像が揺らいで散った。裸足はやはり薄寒かった。どこからかだれかのくしゃみが聞こえる。足音も鼻歌も筒抜けだった。
明日から、臣民相談室に新しい成員が加わる。広介は目を閉じたまま、地﨑の言葉を思い起こした。「頼み」があるとのことだったが、あれは上官命令だ。明日やってくる人物の、世話係になれとのことである。
椿裏狼から来る精鋭のなにを世話するのですかと問えば、環境が違うと大変だろうと地﨑は朗らかな笑顔でこたえた。それは確かにそうなのだが、なぜ自分を、とも訊ねたところ、適任だからと即答された。曰く、室長がつくのは避けたいことだし、春築は優秀とはいえ新人、喜多はつき合うほど味が出てくるが新入り殿には渋すぎる。その点、倉代なら安心である、ほら適任だということだった。しばらくは任務をともにするようにと、なにか楽しげに命じてきた。
相手は一級より一段上の傑級修祓師ということである。なんだかやりにくそうでもあるが、それより大きな問題があった。
「う、わあぁぁあ……、どうしよっ、かなぁぁあ……」
ため息とともに吐き出してしまう。思ったよりも重い声が出て、自分で面食らってしまった。口を押さえてみるが意味なし。絶対に外にも聞こえている。
新入り殿が左遷された理由について、詳細な情報はないらしかった。だがわかっていることもある。守るべき皇女のすぐ目の前で「毀」を使いかけたのだ。相手は修祓師見習いも祓える四級の離魂だった。
椿裏狼に所属する傑級修祓師ともあろう人が。四級の離魂を捕まえて、緊急時以外避けるべきである「毀」の術を使おうとした。実際に使っていれば、依代か依坐が毀れるときに皇女を巻き込む危険もあった。かなり大きな不祥事だ。詳細はよくわからない。
はっきりしていることはひとつ、明日から一緒に働く人は、「毀」未遂をしたことによってもとの職場から弾かれている。
「毀」は、絶対に使わない。「毀」に繋がる恐れがあるので「祓」も絶対に使わない。広介は固く決めている。しかしそれは、自分で勝手に誓っただけのことだった。「祓」は修祓の根本であるし、やむを得ない事情があるなら「毀」も使うべきひとつの術だ。そのことはよくわかっている。それでも、傑級が四級相手に「やむを得ない」ことなどあるか。もしも、むやみに使ったのだとしたら。
とかく「毀」のことになると、あまり静穏でいられなくなる。広介にはその自覚があった。そういう者であることを理由に、臣民相談室に入った。地﨑はそれを知っているはずだが。
広介は腕で目もとを覆った。暗くなると、少しだけ落ち着く。ゆっくり、深呼吸をする。何度か繰り返してみる。
内容がどうであれ、地﨑に任されたことならば結局、頑張りたくなってしまうのだった。喜多は、今夜いろいろに誘っておそらく激励してくれていた。春築は新しい仲間が来るのを、純粋に楽しみにしている。
「あかむろ……銅室冴白……さん」
試しに名前を呟いてみる。地﨑が教えてくれたのだった。
「銅室冴白。……銅室さん」
えいっと勢いをつけ、広介は起きあがった。一瞬、電灯に目が眩むが慣れた。
春築に分けてもらった饅頭を、さきほどここで食べたので喉が渇いてしまっている。明日の話をしていたために食べる機会を逸してしまい、結局持ち帰っていた。
流し台などのある一階に、お茶入りのやかんが置いてある。いつも官舎の管理人が沸かしておいてくれるのだった。飲みにいって、今日は寝る。顔合わせ前からぴりぴりするのはきっと失礼なことだろう。会ってみてからいろいろ決める。仕事の根本は変わらないのだ。それに銅室という人にだって、不安や疑念が少なからずあろう。お互いさまということだ。
散らばっていた足袋を拾って履いてひと息に立ちあがり、ごりごりと首を回しながら広介は狭い部屋を出た。やはり肌寒いと思いつつ、足音を忍ばせ廊下を歩く。いくつかの部屋の前を通過し、暗い階段をおりていく。小さな電球の明滅と、まばたきとが重なっていた。
階下に、人の気配はなかった。ひっそり静まり、明かりもない。それほど遅い時間でもなく、大抵いつもだれかがいるのに、無人は珍しいことだった。
夜に無人の一階へ行くのは、なにかが出てきそうでいやだ。そんなふうに言う人もいる。でも、修祓師をやっているので妙な現象には慣れているし、暗かろうとひとりだろうと平気な性質だという自負がある。そのはずなのに、今はなぜだか背筋がざわりと粟立っている。ぴちゃん、水音が虚ろに響く。さらに空気が冷えていくよう。
広介はわけもなく咳払いして、天井からさがる電灯のほうへ慎重に歩いていった。なにも見えないわけではないが、明かりをつけてしまいたい。ほのかに白んだ闇の中、流し台や瓦斯コンロ、窓際にある花瓶なんかが心許なげに揺らいで見える。動きだしそうな、気がしてしまう。離魂の気配もしないのに、馬鹿らしい、子どもじゃあるまいし。そう思ったときだった。ふっと背後に湧いた気配に全身の毛が逆立った。
突然すみませんこんばんは、ひとつお伺いしたいのですが。沈着な声は耳をすり抜け、子鹿みたいな悲鳴を漏らして広介は床にくずおれた。




