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奇傑修祓師の目付役  作者: 相宮祐紀
序 修祓庁臣民相談室
3/8

三   もしくは掃溜

「倉代《くらしろ》。どうした」

「だいじょうぶですか? ごめんなさい、火傷とかされとりませんか?」

「されとりません、ごめんありがと……」

「ほんまに? ちょっとお水持ってきますね!」

 春築《はるつき》が身軽に立ちあがり、扉のほうへ駆け寄っていく。広介《こうすけ》は慌てて引きとめた。

「待って、もう、もうだいじょうぶなんで、だいじょうぶなんでいいですから」

「えっ……、そうなん? ええんです?」

 春築がくるんと振り向いたとき、急に背後の扉がひらいた。悲鳴をあげて飛び退いた直後、春築はばっと腰を折る。

「室長さん! おつかれさまですっ」

「やあ春築君。おどかしたかな」

「いいえ! なんちゃ、平気です!」

「そうか、どうもごくろうさま」

 颯爽と入ってきたのは、中背ながら均整のとれた体躯の、三十代ほどの男性だった。地﨑(ちざき)隆文《たかふみ》、室長である。紫紺《しこん》の上衣を肩に引っかけ、張りのあるシャツの両袖を肘までまくりあげている。まっさらな色が薄闇に映え、部屋が明るくなるようだ。

 その姿をみとめてすぐ、広介はその場に立ちあがった。喜多《きた》も同時に起立した。すぐにそれに気づいた地﨑は、ははっとかろやかに笑った。

「相変わらずだなきみたちは。そうだ喜多君、トランプの件はどうなった?」

「はい、修祓《しゅばつ》完了しております。修祓録《しゅばつろく》を提出いたします」

 喜多がくっきりとこたえると、地﨑は労わるようにうなずく。

「うん、頼むね、それから……。春築君も今朝、ご婦人から相談を一件受けていたよね」

「はいっ、修祓完了しております。修祓録を提出いたします?」

 春築は喜多にならったが、若干上がり調子になった。うんよろしく、と笑った地﨑は、最後に広介のほうを向いた。

「倉代君は? 壺の相談があったよね、人が近づくと震えるっていうやつ……、修祓は完了してたかな」

 曇りのない目と目が合うと、自然と背筋が伸びるのだった。けれども、余計な力は抜ける。

「はい、修祓完了しております。今日は修祓後の経過観察でした。記録はまだ書けていないのですが。あとは、庁舎に戻ったときに門の前で修祓一件です。憑かれた子犬がうしろにいたので」

「そうか。賢い子なのかもね。助けを求めに来たのかな」

 地﨑はのどやかな調子で言った。机の島を通り過ぎ、窓の下にある室長席に上衣と帽子を軽くほうった。つややかに光る机の上に、ぱさりと紫紺のウールが広がる。隅のほうに裏返してある素朴な茶碗を手に取ったので、広介は魔法瓶を手に駆け寄り、椀にたっぷり煎茶を注いだ。お気をつけて熱いですと言うと、地﨑はありがとうと片目を瞑る。嫌味もなくてよく似合う。見ると笑顔になれてしまう。

「室長は、いかがでしたか。例の件」

 喜多が生真面目な様子で訊ねた。地﨑は笑って首を振った。

「あれね。あれは離魂《かれだま》じゃなかった」

「えっなに、そうなんですか」

 扉のそばの春築が、どこか間の抜けた声をあげる。

「けど例の件ってなんですか?」

「某辻本(つじもと)男爵家の衿子《えりこ》嬢のご相談だ」

 「例の件」とぼかしていたのに喜多ははっきりと口にする。「某」も意味をなしていないので、広介はつい笑ってしまった。衿子嬢はよく相談に来る。

「今回お見えになったときには、春築は確か外へ出ていた」

「ああ、そうやと思います、衿子さんお見えやったんですね!」

 春築は納得した様子だ。くすりと肩をすぼめた地﨑が、片手で包み込んだ茶碗をグラスみたく揺らしながら言った。

「そう、衿子嬢いらしたよ。今月三回目の相談だったけど、離魂の仕業ではなかったんだ」

「ご友人のお話でしたっけ」

 広介は衿子嬢の、巻いたり編んだりした下げ髪や、大きな飾紐《リボン》を思い出していた。

「うん、ご学友の態度が近頃、少し冷たく思われるので、憑かれているのかもしれないと」

「おともだち、憑かれとらんかったんです?」

「そうだね、お会いしてみたんだけど、離魂が憑いているのではなかった。ただ、互いに勘違いがあったようだから、仲直りの手助けをしたんだ。本当に少しばかりだけどね」

「それ室長さんのお仕事なんです?」

「春築君は鋭いな」

 地﨑は愉快そうに肩を揺らした。

「でも、勘違いやすれ違いがきっかけで、離魂が出ることもあるからね。予防策は『結《むすび》』ばかりではないよ」

「ああ……、ほんまや、ほんまですねぇ……」

 春築は素直に感動するが、喜多は秀眉を顰《ひそ》めている。

「辻本嬢のおっしゃることは、取るに足らない小事《しょうじ》ばかりです。相談されても困りますから今度見えたら私《わたし》が言います」

「そんなこと言って喜多君は、だれの話も真摯に聞くよね」

「しん────いえ、私《わたし》はとにかく修祓師《しゅばつし》を馬鹿にされている気分なのです」

「馬鹿にはしてらっしゃらないと思うんだけどね。そう感じるのも無理ないかもね」

 地﨑は静かに煎茶を啜る。

「でも、私《わたし》たちにしかできないことだよ」

 穏やかな言葉を受けて、喜多は口もとを引き締めている。

「だれかにとっては小事でも、だれかにとっては一大事だ。離魂絡みの相談なんて、特にそういうものだろう。大小なんかは決められない。まあ決めざるを得ないんだけど、急に逆転することもある。離魂のせいかそうじゃないかも、なかなかわかりにくいものだ。そこで私《わたし》たちの出番だよ。……そういうことで春築君、看板を取ってくれるかい」

「はいっ」

 そういえば、扉にかかっている黒板の文字が消えかけていた。書き直そうとして忘れていた。

「だれでも気軽に相談できるし相談があれば必ず動く。そういう存在は必要だ。衿子嬢のご相談も小さなこととは言いきれないし、いつかなにかに繋がるかもしれない。私《わたし》はそういうふうに思う。倉代君、いつもの頼むね」

 どこか楽しげに目くばせをされ、広介はうなずいた。春築から黒板を受けとって机の抽斗《ひきだし》をそっと開けると、白墨《チョーク》と黒板消しを取りだす。薄れた文字を消してしまって、小指の先ほどの白色でゆっくり丁寧に書き直した。それほど上手いものではないが、この中では一番で通っている。よって黒板の書き直しは、前から広介に任されていた。

 これは、この部屋の看板である。記した文字は「臣民相談室」。ここは臣民相談室だ。離魂に係る臣民の相談をなんでも受けて即対応する。修祓庁《しゅばつちょう》修祓局庶務課の内部組織という位置づけであり、ほかが相手にしなかったり、相手にできなかったりした案件を諸々拾って解決している。修祓庁内での裏の通称は、駆込寺。または烏《からす》もしくは掃溜。駆込寺と烏《からす》はともかく掃溜はただの悪口である。成員の事情のためらしい。烏《からす》も大概悪口である。屑《くず》を掃除するという意味らしいので。

「倉代さんはほんまに達筆、お習字の先生みたいやなぁ」

「春築さんはほんまに褒め上手」

「えぇ? お世辞とちゃうのにから!」

「倉代君、ありがとうね」

「いえ」

「さて、看板の字も新しくなったことだし」

 地﨑はことりと茶碗を置いた。なかなか重要なお知らせがある、と軽い調子で言うその背後で、差し込む夕日に塵《ちり》が光った。

「なんでしょうか」

 喜多が訊ね、春築が首を傾ける。広介は右手の指先を無意識にこすり合わせていた。白墨《チョーク》の粉をすり込んでいた。地﨑は、あっさり発表した。

「今度、この臣民相談室に新しい成員が加わることになった。修祓庁御舎局(ごしゃきょく)の、椿《つばきの》裏狼《うらまかみ》から緊急の異動だ」

「ええっ」

 春築が軽く飛びあがる。

「がいに優秀なひとやんか!」

 目をみひらいてこちらを見るので、広介はひとつうなずいてみせた。

 椿裏狼といえば、皇女を離魂の害から守る護衛部隊のことである。特に優秀な修祓師のみが引き抜かれて入るところだ。そんな精鋭部隊から、この片隅かつ半地下の部屋に突然異動ということである。おそらく、なにかやらかしての左遷だ。そこの臣民相談室にでも、入れておけということらしい。

 臣民相談室の成員は、だいたい外れ者である。外れ者ではあるものの、周囲には害を及ぼさないし中々使えると判断され、手放すのも惜しいということで、一箇所に集められている。寄せ集め、吹き溜まりの「掃溜」だ。だがそんなことは関係ない。成員はそれぞれ少しずつ異なる、誇りと信念を持っている。

「椿裏狼なんやったら、そのひと女のひとですか?」

「そうだね、女性だ」

「おわぁ、やった!」

「明日から来るよ」

「あぇっほんまに?」

「ほんまだよ」

「えっ、えぁあどうしょう? なあ、なあ喜多さんどうしょうか?」

「知らん」

「そういうことで、急だけど。決定事項だからよろしくね。ついては、ひとつ頼みがあるんだ」

 倉代君、と地﨑に呼ばれ、広介ははっと姿勢を正した。真っ直ぐに目をとらえられ、おぼえず両手を握り込む。

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