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深淵の符呪師 ヨグソトースの落とし子  作者: ケロン藤野


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間話 牛田 ひろし 視点


牛田ひろし 十六歳。


高校一年生。


兄はD級探索者で、クラン「レッドバッファロー」のメンバーだ。


その兄に鍛えられ、自分は喧嘩が強いと思っていた。


高校でもカースト上位。


怖いものなど何もない。


そんな牛田が探索者協会のG級研修センターへ来た理由は、探索者登録だった。


研修開始前。


廊下で待っていると、一人の少女が目に入った。


水色のショートヘア。


胸が大きく、可愛い顔立ち。


魚人の少女だった。


「おい。」


牛田は取り巻きの豚川と鶏山へ声を掛ける。


「あの魚人、可愛くね?」


「だな。」


「人間社会に慣れてなさそうだ。」


牛田はニヤリと笑う。


女の魚人のハーフは争い事を嫌う者が多い。


しかも揉め事になれば、人間社会では人間側が有利になる。


あんな大人しそうな子なら、少し脅せば泣くだろう。


うまくいけば、面白い展開になる。


そんな軽い気持ちだった。


ところが。


「そこまでにしたらどうですか。」


横から現れたのは、黒い毛並みの小柄な山羊獣人だった。


身長は百五十五センチほど。


チビのくせに堂々としている。


しかも、


「受付を呼びましょうか。」


などと言い出した。


まるで俺たちが漫画に出てくるチンピラみたいじゃないか。


牛田は腹の底からムカついた。


(ふざけやがって……。)


だが研修前に問題を起こすわけにもいかず、その場は引き下がった。


しかし怒りは収まらない。


研修後、あの二人の会話を聞いていると、黒山羊は駅から少し離れた駐輪場へ自転車を止めているらしい。


「よし。」


「待ち伏せしてやる。」


兄貴のクラン「レッドバッファロー」がいる。


最悪、兄貴を呼べばいい。


牛田はそう思っていた。


結果。


ボロ負けだった。


豚川は頭突きで鼻を折られた。


さらに金的を食らい、その場で泡を吹いて倒れた。


鶏山も一撃で沈められた。


牛田自身も殴られ、道路へ転がされた。


財布から札を抜き取られ、


「刺身の弁償代だ。」


そう言われただけだった。


病院へ行けば、治療代まで取られる始末。


踏んだり蹴ったりだった。



翌日。


牛田は兄のいるレッドバッファローの事務所へ向かった。


顔を見た瞬間、兄とクランメンバーが吹き出した。


「なんだその顔。」


「誰にやられた?」


兄が笑いながら聞く。


牛田は悔しそうに答えた。


「黒山羊だよ。」


「八木家の人間だって言ってた。」


その瞬間だった。


兄とクランメンバー全員の笑顔が消えた。


空気が一変する。


「……は?」


兄が真顔になる。


「お前……。」


「八木家の人間とやり合ったのか?」


牛田は首を傾げた。


「はあ?」


「八木家って何だよ。」


「山羊だから八木ってシャレじゃねぇの?」


「それより初心者探索者なんだ。」


「鑓水フィールドにいるはずだから、クランで袋叩きにしてくれよ。」


「豚川も鶏山も病院送りなんだぞ!」


兄は深くため息を吐いた。


「ひろし、おまえなあ」


八王子孤武羅コブラとレッドキャップは知ってるか?」


「ああ。」


「半グレと反社のヤバい連中だろ。」


「最近見かけないけど。」


兄は静かに頷く。


「奥多摩の八木家は大資産家だ。」


「八王子に大量の不動産を持っている。」


「林業も造園業もやっている。」


「田舎の金持ちだと勘違いする奴が昔から多かった。」


兄は苦笑した。


「だから考えるわけだ。」


『三十人、四十人で武装して襲えば金が手に入る。』


「ハイエースやアルファードに乗ってな。」


「裏ルートで買った散弾銃や拳銃まで持って。」


兄はそこで言葉を切る。


「……誰一人帰って来なかった。」


牛田の笑顔が消えた。


「え?」


「全員だ。」


「生きて帰った奴が一人もいない。」


「だから八王子じゃ暗黙の了解になってる。」


『八木家には手を出すな。』


兄は牛田を見つめる。


「お前、生きてるだけ運がいい。」


「取り巻きも病院送りで済んだんだろ。」


「それだけで十分だ。」


牛田は乾いた笑いを浮かべる。


「でもさ。」


「山羊の獣人なんて見たことないぞ。」


「魚人はいるけど……。」


兄も腕を組む。


「俺も聞いたことがない。」


「本当にただの獣人だったのか?」


牛田は思い出す。


「そういや……。」


「尻尾が喋ってたような……。」


その一言で兄の表情が強張る。


「……やっぱりヤバい。」


「絶対に普通じゃない。」


「降魔大戦後半に現れた邪神眷族か、それに近い存在かもしれん。」


「関わるな。」


「この件は聞かなかったことにする。」


事務所は静まり返る。


牛田は兄より腕っぷしが強いことで有名なクランの武闘派、馬場へ目を向けた。


「馬場さんなら……。」


しかし馬場は視線を合わせようともしない。


スッと目を逸らした。


牛田は血の気が引いた。


(俺……。)


(もしかして……。)


(見逃してもらえたのか……?)


今さらになって、背中を冷たい汗が流れ落ちる。


黒山羊の静かな目。


あの黒い威圧感。


財布から弁償代だけを抜き取って去っていった姿。


思い出しただけで震えが止まらなかった。

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