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深淵の符呪師 ヨグソトースの落とし子  作者: ケロン藤野


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第13話 風呂のひととき


結局、その日の打ち込み稽古は夕方まで続いた。


片手斧。


木刀。


ナイフ。


林は一切手加減をしない。


「もっと踏み込んでください。」


「足が止まっています。」


「今ので実戦なら、三回は死んでいます。」


「はいっ!」


何度挑んでも、一太刀も届かない。


斬りかかればかわされ、逆に木刀の腹で肩や腕を軽く叩かれる。


「そこ。」


「はい!」


「脇が甘い。」


「はい!」


「重心が浮いています。」


「はい!」


返事だけは元気だった。


だが、体はすでに限界である。


夕暮れになり、ようやく林が木刀を下ろした。


「本日の訓練は終了です。」


「……ありがとうございました。」


二郎は深々と頭を下げる。


林も静かに頷いた。


「今日は一度も当たりませんでした。」


「ですが、昨日より動きは良くなっています。」


「焦らず続けましょう。」


その一言だけで、二郎は少し救われた気持ちになった。


◇ ◇ ◇


屋敷へ戻った二郎は、そのまま風呂場へ向かう。


服を脱ぐと、腕や肩、脚には赤い擦り傷や青あざがあちこちにできていた。


「今日も派手にやられたなぁ……。」


湯船へゆっくり足を入れる。


その瞬間だった。


「イァァァァッ!」


全身へ激痛が走る。


「イァ、イァイァ、イァァァ!」


湯が擦り傷に染み込み、思わず大声を上げる。


ダニッジが尻尾の口を開いて笑った。


『またハスターを讃えておるのか、お主は。』


『そこは「父上〜! 父上〜! ヨグ=ソトース様〜!」ではないのか?』


二郎は顔をしかめながら首を振る。


「それは嫌だ。」


「なんでだ?」


「それだと、目的を果たせずに力尽きる悪役みたいじゃないか。」


「絶対嫌だ。」


『がっはっはっ!』


『妙なところにこだわるやつじゃのう。』


ダニッジは腹を抱えて笑う。


ようやく痛みに慣れた二郎は、肩まで湯に浸かり、大きく息を吐いた。


「あぁぁ……。」


「それでも風呂は最高だ。」


一日の疲れが少しずつ溶けていく。


ダニッジは湯気を眺めながら呟いた。


『しかし、お主も変わったものだ。』


「そうかな?」


『最初の頃なら、訓練初日で逃げ出しておったかもしれん。』


「そんなことない……たぶん。」


『毎日筋力訓練。』


『山を走り。』


『格闘の組み手。』


『近接武器戦闘。』


『そして生肉を食う。』


『嫌でも強くなる生活じゃ。』


二郎は苦笑した。


「できれば生肉だけは卒業したい。」


『無理じゃ。』


「即答かよ。」


『お主の体には必要だからな。』


「刺身なら毎日でもいいのに。」


『魚も悪くはない。』


『だが肉も食え。』


「毎回その結論だな。」


二人はしばらく笑い合う。


湯気が静かに浴室へ立ち込める。


今日も厳しい訓練だった。


明日もまた朝六時から始まる。


それでも不思議と嫌ではなかった。


林の厳しい指導。


ダニッジの助言。


薫子や猪俣たちの支え。


少しずつではあるが、自分は確実に強くなっている。


その実感だけはあった。


二郎は湯船の縁へ頭を預け、小さく呟く。


「この世界で生き抜く。」


「そのためにも……もっと強くならないとな。」


ダニッジは静かに頷いた。


『うむ。』


『その意気じゃ、二郎。』


湯気の向こうには、静かな夕暮れの空が広がっていた。

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