第11話 初めての符呪を行う
林の厳しい訓練も休みの日。
二郎は朝食を終えると、猪俣から預かった木箱を抱え、ダニッジとともに八木家の蔵へ向かった。
蔵の奥には、歴代の符呪師たちが使ってきた工房がある。
分厚い木の扉を開けると、ひんやりとした空気が流れ出した。
壁には大小さまざまな工具が整然と掛けられ、本棚には符呪術や魔導工学の専門書が並んでいる。
そして部屋の中央には、一台の大きな作業台が据えられていた。
金属と木材で組み上げられた重厚な台。
表面には複雑な魔力回路と無数の符呪文字が刻まれ、中央には加工用の固定具、側面には魔力電池シリンダーの差込口が設けられている。
二郎は思わず息を呑んだ。
「これが……符呪台。」
ダニッジが誇らしげに答える。
『そうだ。』
『正式にはテーブル型符呪台。』
『符呪師にとっては剣より大切な仕事道具だ。』
『これが無ければ高度な符呪は作れん。』
「職人の工房って感じだな。」
『お前も今日からその入口に立つ。』
ダニッジの声には、いつもの軽口とは違う真剣さがあった。
◇ ◇ ◇
二郎は木箱を開ける。
中には極小型の魔力電池シリンダーが三本。
そして羊皮紙に描かれた初級符呪式。
慎重にシリンダーを一本取り出す。
「これを差し込めばいいんだな。」
『ゆっくりだ。』
『衝撃を与えるな。』
二郎は深呼吸を一つすると、符呪台側面の差込口へシリンダーを差し込んだ。
カチリ。
小気味よい金属音が工房へ響く。
すると、符呪台に刻まれた魔力回路が淡く青白く輝いた。
『魔力供給開始。』
『まだ起動はするな。』
『先に素材を用意する。』
「了解。」
二郎は蔵の隅へ向かう。
そこには林業や囲炉裏仕事で使われていた古い道具がまとめられていた。
その中から一本の鉄製火かき棒を取り上げる。
長さは七十センチほど。
握りやすく、錆もほとんどない。
「これなら使えそうだ。」
『十分だ。』
『最初から高価な武器を使う必要はない。』
『失敗すれば廃材になるだけだからな。』
「縁起でもないこと言うなよ。」
『現実を教えてやっておる。』
二郎は苦笑しながら火かき棒を符呪台の中央へ固定した。
◇ ◇ ◇
次に羊皮紙を広げる。
そこに描かれているのは、
初級符呪《魔力捕縛》
魔物を倒した際、その体内に残る魔力を吸収し、接続された魔力電池シリンダーへ蓄積する符呪である。
もちろん法律による安全装置が組み込まれており、人間を対象にしても魔力は吸収できない。
この符呪は軍や探索者協会でも広く使用される基本術式だった。
二郎は何度も羊皮紙を見直す。
「線は……ここ。」
「文字はこの向き。」
「魔力は右回り。」
『確認を怠るな。』
『符呪は一文字違えば別物になる。』
「プログラムのデバッグみたいだ。」
『その感覚でいい。』
『術式とは魔力への命令だからな。』
二郎はゆっくり頷いた。
「よし。」
「やる。」
◇ ◇ ◇
符呪台を起動する。
青白い光が回路を走り、魔力が火かき棒へ送り込まれていく。
二郎は両手を火かき棒へ添えた。
意識を集中する。
魔力を感じる。
流れを読む。
暴れようとする魔力をゆっくり整え、羊皮紙の術式どおりに導いていく。
少しでも乱せば失敗。
焦れば暴走。
額から汗が流れる。
時間の感覚が消えていく。
部屋には魔力のかすかな唸りだけが響いていた。
数分後。
火かき棒の表面へ一本の光が走る。
続いて二本。
三本。
やがて複雑な符呪文字が次々と刻まれていく。
「……。」
二郎は息を止める。
最後の一文字を書き終えた瞬間。
ふっと光が消えた。
静寂。
二郎は恐る恐る火かき棒を持ち上げる。
「できた……のか?」
ダニッジは魔力感知を使い、火かき棒をじっと見つめる。
数秒後。
『……ふむ。』
『成功だ。』
二郎の目が輝く。
「本当か!」
『吸収効率は三割程度。』
『出力も低い。』
『だが、間違いなく魔力捕縛の符呪は定着しておる。』
「やったぁ!」
二郎は思わず飛び跳ねた。
「成功した!」
「俺、本当に作れた!」
ダニッジも豪快に笑う。
『がっはっはっは!』
『初めてで成功するとは思わなんだ!』
『筋は悪くないぞ、二郎!』
『符呪師として十分な素質がある!』
二郎は何度も火かき棒を見つめた。
昨日まで囲炉裏で使われていた鉄の棒。
それが今では、自分の手で作り上げた符呪武器になっている。
会社員だった頃には味わったことのない達成感が胸いっぱいに広がる。
「これが……。」
「俺が初めて作った符呪武器か。」
自然と笑みがこぼれた。
◇ ◇ ◇
しかし、その直後だった。
「……あれ?」
視界がぐらりと揺れる。
手足から一気に力が抜けていく。
「力が……。」
膝が笑い、その場へ座り込んだ。
ダニッジが呆れたようにため息をつく。
『魔力切れだ。』
『初めての符呪製作で、自分の魔力まで使い過ぎたな。』
「そういうことは……。」
「先に言ってくれよ……。」
『経験せねば分からん。』
『これも勉強だ。』
二郎は苦笑しながら床へ倒れ込む。
「もう……動けない……。」
ダニッジは火かき棒を眺め、満足そうに頷いた。
『今日はここまでだ。』
『初めてにしては百点ではない。』
『だが七十点はやろう。』
『十分合格だ。』
「七十点か……。」
『残り三十点は次に取ればよい。』
二郎は安心したように目を閉じた。
ゆっくりと意識が遠のいていく。
工房の静かな空気の中、ダニッジは小さく笑う。
『焦る必要はない。』
『一歩ずつ積み重ねれば、お前はいずれ世界屈指の符呪師になれる。』
その言葉を最後に、二郎は深い眠りへ落ちていった。
こうして八木二郎は、生まれて初めて自らの手で符呪武器を完成させた。
それは一本の古びた火かき棒。
しかし、その小さな成功こそが――後に八王子を代表する希少な符呪師への、記念すべき第一歩となるのだった。




