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第10話 休みの日 符呪との出会い

休日の勉強


 格闘訓練が始まって一か月。


 二郎の生活にも、少しずつ余裕が生まれていた。


 三か月に及ぶ地獄の基礎体力訓練を終え、体は見違えるほど丈夫になっている。


 以前なら一日の訓練が終われば、その場へ倒れ込むように眠っていた。


 休日など起き上がることさえできなかった。


 しかし今は違う。


 林の作成した訓練計画は、無理をさせるだけのものではなかった。


 三日訓練、一日休み。


 二日訓練、一日休み。


 その繰り返しである。


 休養日も訓練の一部だった。


 林は何度も口にしていた。


「休むことも訓練です。」


「筋肉は休息中に成長します。」


「疲労を残したまま鍛えても、鍛錬の効率は落ちるだけです。」


 二郎も今では、その意味がよく分かるようになっていた。


「会社員の頃も、こういう上司だったら良かったのにな。」


『会社員時代のお前は休ませてもらえんかったからのう。』


「ブラック企業だったからな……。」


『今はブラック教官じゃがな。』


「それは否定できない。」


 二人は思わず苦笑した。


◇ ◇ ◇


 休日の朝。


 食堂へ行くと、今日も豪華な朝食が並んでいた。


 牛肉の握り。


 馬肉ユッケ。


 新鮮な鹿肉。


 そして鰹のたたき。


「……いただきます。」


 以前ほど抵抗はなくなった。


 それでも焼肉の香ばしい匂いが恋しくなる。


 ダニッジは尻尾の口を開き、器用に牛肉の握りを頬張る。


『やはり肉は生だな。』


「その台詞、何回目だよ。」


『何度でも言うぞ。』


「俺は焼肉派だから。」


『まだまだ子供よのう。』


「生肉が好きかどうかで大人判定される世界は嫌だ。」


 猪俣が湯気の立つ味噌汁を置きながら微笑んだ。


「二郎様も、ずいぶん召し上がれるようになりましたね。」


「角田料理長も喜んでおりました。」


「最初は泣きそうな顔で食べていましたから。」


「忘れてください……。」


 食堂には穏やかな笑いが広がった。


◇ ◇ ◇


 朝食後。


 二郎はダニッジと共に屋敷の奥へ向かう。


 そこには八木家が代々守り続けてきた巨大な蔵があった。


 厚い木戸を開くと、ひんやりとした空気が流れ出す。


 中には天井近くまで本棚が並び、膨大な書物が収められていた。


「……すごい。」


「図書館どころじゃない。」


『八木家の知識庫だからな。』


『金銀財宝より価値がある。』


 本棚には、


『降魔戦争戦史』


『符呪術大全』


『魔力工学』


『魔石精製学』


『魔導機械設計』


『探索者装備論』


 など、見たこともない専門書が並んでいる。


「探索者協会でも読めない本ばかりじゃないのか?」


『そうだ。』


『八木家だけが持つ秘蔵書も多い。』


『今日は基礎から始めるぞ。』


 ダニッジは一冊の本を尻尾で器用に引き抜いた。


 表紙には、


『魔力工学 基礎理論』


 と書かれていた。


「魔法じゃなくて魔力工学?」


『魔法を学ばせる気はない。』


『人類がどうやって魔力を利用しているかを知るためだ。』


 二郎はページをめくる。


 魔石から魔力を抽出する理論。


 魔力の流れ。


 魔力回路。


 伝導率。


 魔力電池シリンダーの構造。


 符呪との接続方法。


「完全に工学だ……。」


『だから符呪は魔法ではない。』


『科学と技術の積み重ねだ。』


 次に渡された本は、


『符呪術入門』


 だった。


 そこには魔力文字の意味。


 線一本違うだけで効果が変わる理由。


 魔力の流し方。


 失敗例。


 暴走例。


 修正方法まで細かく書かれている。


 二郎はページを読み進めながら呟いた。


「これ……プログラムみたいだ。」


 ダニッジが満足そうに頷く。


『その理解で良い。』


『術式とは魔力への命令文だ。』


『文字を書き、回路を組み、魔力へ仕事を命令する。』


「なるほど。」


「だから一文字間違えるだけで動かなくなるのか。」


『そういうことだ。』


◇ ◇ ◇


 それから数時間。


 二郎は机に向かい続けた。


 魔力回路を書き写す。


 魔力文字を暗記する。


 魔石の性質を覚える。


 分からない部分はダニッジが丁寧に説明する。


『ここは重要だ。』


『魔力は高い場所から低い場所へ流れる。』


『だから回路設計では逆流を防ぐ必要がある。』


「電気と似てるな。」


『かなり近い。』


『だから工学を学んだ者ほど覚えが早い。』


 二郎は夢中になってノートへ書き込んでいった。


◇ ◇ ◇


 午後。

 猪俣さんに蔵にある符呪台を試運転の許可をとった。


 蔵の一室にはテーブル型符呪台が置かれていた。


 黒い石板の上へ魔力回路が刻まれた、大型の加工装置である。


「これが符呪台か……。」


『そうだ。』


『今日は動かすだけだ。』


 二郎は猪俣さんに借りてきた極小型魔力電池シリンダー (極小)を一本差し込む。


 淡い青い光が回路を流れ始めた。


「動いた。」


『魔力の流れをよく見ろ。』


 二郎は目を凝らす。


 魔力が回路をゆっくり流れ、符呪台全体へ均一に広がっていく。


『焦るな。』


『今日は見るだけでいい。』


『まず魔力を理解することだ。』


◇ ◇ ◇


 一か月後。


 休日の読書を終え、自室へ戻ると、猪俣が小さな木箱を抱えて待っていた。


「二郎様。」


「薫子様より、お預かりしております。」


「俺にですか?」


「はい。」


 二郎は木箱を受け取り、ゆっくりと蓋を開けた。


 中には三本の魔力電池シリンダー(極小)


 そして丁寧に巻かれた羊皮紙が収められている。


「これは……。」


「魔力電池シリンダー。」


「それに……。」


 羊皮紙を開く。


 そこには精密な魔力文字が描かれていた。


『魔力捕縛符呪式』


 二郎は目を見開く。


「これ、本物の符呪式じゃないか。」


 ダニッジが満足そうに笑う。


『ようやく実習だ。』


『本を読むだけでは符呪師にはなれん。』


『実際に作り、失敗し、覚える。』


『それが職人というものだ。』


 猪俣も優しく微笑んだ。


「薫子様より、お言葉を預かっております。」


 二郎は姿勢を正した。


「『失敗を恐れず、思う存分学びなさい。素材はいくらでも用意します。失敗も経験の一つです』──とのことです。」


 二郎は木箱を大切に胸へ抱く。


「薫子伯母様……。」


「ありがとうございます。」


「必ず、一人前の符呪師になってみせます。」


 ダニッジは満足そうに頷いた。


『よし。』


『明日からは本当の勉強だ。』


『符呪師への第一歩を踏み出すぞ。』


「……失敗したら?」


『また作ればよい。』


『職人とは百回失敗して、一つの成功を掴む者だからな。』


 二郎は力強く頷いた。


 こうして休日は、休息の日であると同時に、八木二郎が希少な符呪師として成長するための、大切な学びの日にもなっていくのだった。

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