1-8: 関係。ないところに、不随意に突然現れるものの一種。
探偵。
前に、ワイルドさんの事務所にあった本で読んだことがある。そういう職業があるのだと。
ハンチング帽を被り、ケープを纏ったりして、なぜかその多くはパイプを口に咥えたりしているのだという。少なくとも、本にはそういう描写が多かった。
その仕事について、謎を解決したり、真相を曝いたりすることだと書いてある本もあれば、人間関係の裏を調査するような仕事だと書かれている本もあった。
「だから、名誉修理人というのも、人間関係を生業とするという点では、探偵の仕事に近しいところがある」
ワイルドさんはそんなことを言っていた。
でも結局、名誉修理人がどんな仕事なのかも、探偵がどんな仕事なのかも、僕にはまだ分からない。
眩しくて、目が覚めた。
いつも通りの朝だった。自分の部屋の、自分のベッドの上で躰を起こす。窓から日差しが入ってきている。その角度から、おおよそいつもと同じ時間に目を覚ましたことを直感的に理解した。
「……夢?」
夢だったような気もする。そうだ、裏道に入って、死体を見つけて、その近くに探偵がいて、それから逃げようとしたら魔術師に殺されそうになったけれど、探偵が魔術道具のようなもので助けてくれた。
「夢か」
夢に違いなかった。そうだ、そんな荒唐無稽なこと、僕の人生に、少なくともこのセレファイスでの暮らしに、起こるわけがないのだ。
「おはよう」
と、声がした。声がした方を見ると、コーヒーを飲んでいる銀髪の少女が椅子に座っていた。
「悪いね、勝手に一杯もらったよ。一晩面倒を見たし、命の恩人への礼としては、安いだろ?」
……どうやら、夢ではなかったらしい。
開口一番、彼女に何を言うべきかを少しだけ考えて、それから僕は言った。
「……状況を、整理したい」
「良い判断だ。色々あったからね」
「僕は、殺されかけた?」
「イエス」
「きみが助けてくれた?」
「大いにイエス」
「僕は、巻き込まれた?」
「恐らくイエス」
「本来はきみの問題か?」
「分からない」
そう言って、少女は事もなげにコーヒーを飲んだ。
「……今更だけど、僕はナギ・パスツール。きみは?」
「確かに。互いに名乗ってなかったな。ボクはレーヴ・レヴェリ。レーヴでいいよ」
レーヴ・レヴェリ。
銀髪の、キャスケット帽がトレードマークの──
「──探偵、なのか?」
「あれ? それは言ったっけ? そうだよ。名探偵だ」
「知らなかったよ、探偵なんて仕事が実在するなんて。フィクションの世界だけだと思ってた」
「人はなりたいものになれるからね。なろうとしないと、なれないけれど」
「つまりきみは、何か事件を調査していたんじゃないのか? それに僕は巻き込まれた」
「どうかな」
と言って、レーヴはコーヒーをまた啜った。
心なしか、全然コーヒーが減っていない気がする。猫舌なのかもしれない。
「どうかな、ってどういうことだよ。きみはあんなところで──」
──あんな、ひとけのない裏路地で、死体を目の前に──
「──何をしてたんだ?」
いくつかの言葉を飲み込んで最低限の質問をした僕に、レーヴはコーヒーが入ったマグカップを持ったまま考え事をしているようだった。考え事を? どうして?
「何だよ、言えないことなのか?」
「言えないこと──まぁ、そうかな」
「勘弁してくれよ。僕は巻き込まれて殺されそうになったんだ、事情くらい話してくれても──」
「ボク、何も覚えてないんだよ」
「え?」
「記憶喪失みたいだ。何も覚えてない」
あはは、とあっけらかんと笑うレーヴは、まるで悪い冗談を言っているみたいだった。
「待ってくれよ、記憶喪失って? どういう話だよ」
「言葉通りだよ。だから、何をしてたか、言えないんだ。覚えてないから」
「どうしてあんな場所にいたのかも? あの死体が何なのかも?」
「分からない。気付いたらあそこにいて、目の前には死体があった。死体に見覚えはない──とは言え、あれには顔がなかったから、知っている人だったかもしれないけれどね」
頭部がない死体を思い出し、気分が悪くなった。
正しくトラウマものだ。
「じゃあ、そうだ、あの魔術師──シンシンが言っていたのは? 輝く何とかって──」
「あの魔術師、シンシンって言うんだ。可愛い名前だね」
「そう名乗ってたよ。星の智慧派の第一の角だって」
「星の智慧派……?」
「イカれた魔術師集団だって話だ」
「ふぅん」
「その様子だと覚えがなさそうだな」
「覚えがないというか、覚えてないというか」
「じゃあ、本当はシンシンの言うとおり、何か因縁があって、でもレーヴが忘れているだけ、という可能性もある?」
「もちろんある。それにもちろん、ボクがあの死体を殺した犯人だって可能性もある」
当たり前のようにレーヴはそう言った。
改めてその可能性を意識して、全身の筋肉が強ばるのを感じた。
「ところできみは? どうしてナギは、その星の智慧派に襲われたんだい?」
「分からない。でも勘違いだってのは多分確かだと思う。僕が、きみから──レーヴから、何かを受け取って逃げようとしたんだと、そう勘違いしてたみたいだ」
「それが、『輝くトラペゾヘドロン』?」
「そう、その何とか。何なんだ、その『輝くトラペゾヘドロン』って」
「ボクが覚えている限りの知識だと、魔術に使う道具か何かだったと思うよ。『ネクロノミコン』みたいなものだよ、多分」
「そうだ、その『ネクロノミコン』って?」
「気付いたらポケットに入ってたんだ。それが『ネクロノミコン』だってことも分かったし、使い方も知ってた。そういうことは忘れてないみたいだ。多分、記憶を失う前のボクも、そういうことに詳しかったんじゃないかな」
「じゃあ、覚えていないのは、あの路地裏に至るまでの過程だけってことか?」
「そういうこと」
と言って、レーヴはまたコーヒーに口を付けた。だいぶ冷めて飲みやすくなったみたいだった。
しかし、思ったよりも状況は分からないままだ。
レーヴはどうして記憶を失ったのか?
あの死体は誰で、誰が殺して、なぜあそこにあったのか?
星の智慧派が探している『輝くトラペゾヘドロン』とは何か? なぜ探しているのか?
そして、そもそも──
どうして、セレファイスで人が死んだのか?
「……分からないことが多過ぎるけど、でもまぁ、とりあえず僕が関係ないことは分かったよ」
「でももう、関係あると思うよ」
「ん?」
「だって、シンシンはボクがきみを助けたところを目撃したわけだし。もう、きみとボクは仲間だって思われてるでしょ」
「ん?」
「ってことは、仮にきみがひとりでいたとしてだよ、きみが襲われない保証はどこにもないよね」
「え?」
「だからさ、きみとボクは一緒にいた方が良いんじゃないかと、ボクは思うんだよね」
「ちょっと待ってくれ」
「ついでに、ボクは寝床をもらえると嬉しいな。帰る場所とか、分からないから。それは忘れてるみたいで。いや、そもそもないのかな、分からないけど」
「待ってくれよ、それ本気で言ってる?」
「本気も本気だよ。結構妥当なところだと思うけど」
僕が、魔術師集団に命を狙われる立場になった?
何もしてないのに?
「なんで、なんでこんなことに……」
「まぁ仕方ないよ。ボクができるだけ守るからさ、一緒に頑張ろうよ」
「頑張るって、何をさ?」
「星の智慧派の壊滅をだよ」
「何を言って──」
「でも実際、今はそれしかないと思うよ。やられる前にやるしかない。その過程で誤解が解けるとか、ボクの記憶が戻るとかすれば、他の解決方法もあるかもしれないし。平行してやっていこう」
つまり、こうだ。
星の智慧派は、レーヴが『輝くトラペゾヘドロン』を持っていると思っている。それを取り戻して、僕らを口封じに殺そうとしている。
僕らは殺されたくないし、死ぬような目にも遭いたくない。そこで、降りかかる火の粉を払う程度のことは必要になる。その過程で、レーヴの記憶が戻れば、他の解決方法もあるかもしれない。
レーヴの記憶の手掛かり……それはやっぱり、あの路地裏の死体と関係しているように思われる。だから、その調査もした方が良さそうだ。
そしてそのいずれについても、僕は本来、関係ない。
「何でこんなことに──」
思わずそう漏らした僕に、レーヴは言った。
「人生なんてそんなものだよ。関係ないことに巻き込まれて、関係していくのさ」
「分かったようなことを言う」
とは言え、今は彼女を頼るしかないだろう。そして彼女の力になることが、僕自身のためにもなるはずだ。
分かっている。
別に彼女が悪いわけじゃないのだ。シンシンが勝手に、僕を関係者だと勘違いしただけのことだから。
「……よろしく頼むよ、探偵」
と、僕はレーヴに言った。
「ご依頼、ありがとうございます」
と、レーヴは言った。




