1-7: 何を着るかが、その人間の内側の外殻を表すことがある。
「さぁ、返してもらいますよ。返してくれたら、話はすぐ終わりですから」
いかにも魔法使いの出で立ちといったローブを着た、大きくて装飾の強い杖を持った少女はそう言った。
その言葉が自分に向けられたものだと思い、僕は何を言われているのかを考えた。
返す?
返すというのは、僕が持っている、本来は所有権が相手にある何かを、相手に渡す、ということだ。
だがその『何か』に、まったく心当たりがない。
「か、返すって、何を?」
僕の言葉に、少女は明らかに不機嫌になった。
「しらばっくれないでください。さっき、あの女から、何かを受け取ったのでしょう?」
「あの女? 受け取った? 待ってくれ、本当に何も分からない、何の話をしているんだ?」
本当に何も分からない。
意味の分からないことが、短時間に起こりすぎだ。
「『輝くトラペゾヘドロン』ですよ! ほら、早く! わたしがターラたちにどれだけ怒られたと思ってるんですか!」
「そのトラペなんとかってのも知らないし、きみが誰に怒られたとかも知らない、本当に分からないんだ」
何か確信があったらしい少女には、僕が必死にしらを切っているように見えていたのだろう。しかし本当に知らないのだ。その必死さは、どうやら少女の確信に疑問を持たせたようだった。
「……え? 本当に何も知らない? さっきの女から何も受け取っていない?」
「そう、本当に何も知らない! さっきの人も、会ったばかりだし、会話だってほとんどしてないんだ」
「えっ、あー、本当に? えぇ? じゃあ、ほんとのほんとに、ただ巻き込まれただけの人ですか、あなた?」
話の行き先に光明を感じた。
「そう、本当に巻き込まれただけなんだ! 何に巻き込まれてるかも分かってないくらいで!」
「あぁ、そうだったんですか……。何と言うか、それは大変ですね、ご愁傷様です。すみません、あらぬ疑いを掛けてしまって」
「いや、分かってくれたなら良いんだ、きみが話が通じる相手で良かったよ」
「いえ本当にすみません」
「いやいや」
「本当の本当に」
「良いんだよ」
「それで、すみませんついでに殺しますね」
光明は鎖された。
「ん?」
「顔見られちゃいましたし、殺す理由はありませんけど、生かしておく理由も別にないですし……」
「待ってくれ、ここはセレファイスだぞ? 殺すなんて真似──」
「あー、そう、そうでしたね。でもまぁ、どうにかなるでしょ」
そう言って、少女は杖を僕に向けて構えた。
「別に生かさず殺さずって方法も、ありますし」
シーハンの言葉を、ふと思い出した。
状況は確定的だった。
もう、無事にこの裏路地を抜けることはできないだろう。
逃げることが難しいと思った僕は、本能的に戦うことを選んでいた。
もちろん、勝算があったわけじゃない。
ただ、逃げられないと分かったから、戦う態勢になった、それだけだ。
しかしその僕の姿を見て、少女の方も臨戦態勢を強めた。
そして、まるでそうすることが礼儀のように、言った。
「星の智慧派、第一の角、シンシンと申します。以後、お見知りおきを──死ぬまでの、刹那でも」
少女がそう名乗った直後、こちらに向けられた杖の先に光が集約した。
変な光だった。
明るいのに、眩しくない。
光が発散していないのだ。
光が、ただ明るさを、強さを増していった。
「死んだか」
と、誰に言うでもなく呟いた。
それは疑問でも、質問でもなく、およそ諦観だった。
死んだな、という諦めだった。
セレファイスでは死なない。
そのはずだ。
だが、僕はその瞬間、死を覚悟した。
そもそも誰だって、訪れるその瞬間まで、死なんて存在しないも同然なんだ──。
「死なないよ」
と、誰かが言った。
鈴の音のような声だった。
次の瞬間、魔法使いの杖から、エネルギーが収斂した光が発射された。
光が、光であるように、光速で、僕を貫こうとした。
が、その光が、僕の目の前で何かに吸い込まれた。
闇が光を飲み込むように、光の束は消えた。
何が起きた?
「なっ!」
事態は、シンシンと名乗った魔法使いにも予想外だったらしい。
周囲を見る余裕をようやく得た僕は、さっき聞こえた声の主を探した。
僕の隣に、さっきの銀髪の少女が立っていた。
「形勢逆転、二対一」
勝ち誇った顔で言いながら、銀髪の少女はキャスケット帽を被り直した。
「あ、あなた! 探しましたよ!」
シンシンが少女を見て、大きな声で叫んだ。どうやらシンシンとこの少女には、何か因縁があるらしい。そしてその因縁の原因になっているのが、多分、さっき言ってた、輝く──
「さあ、『輝くトラペゾヘドロン』を返してください!」
──そう、それだ。
よく分からないが、この銀髪の少女がそのトラペゾヘドロ? みたいなのを返せば、それで終わりのはずなのだ。あるいは、少なくとも少女がそれを持っているなら、僕は無関係であることが証明できるのだ。
その期待を胸に、僕は銀髪の少女の反応を窺った。
シンシンも、次に少女が何を言うか、固唾を飲んで見守っていた。
そして、少女は言った。
「……何、それ?」
ん?
そんなことある?
「ちょっと、そっちの男の人は知りませんけど、あなたがそれを言うのは違うでしょう!」
「ごめんよ、本当に分からない。ボクと関係があるの、その輝く何とかって」
「あなたが! 私から盗んだんでしょ!」
「……そうなの?」
と、少女は僕を見て訊いた。
「いや知らないよ! 僕に訊かないでくれ!」
どういう状況なんだこれは?
頼むから誰か、一貫性のある説明をしてくれ。
「……はぁ、分かりました。仕方ないですね」
シンシンが、本当に面倒くさそうに、分かりやすく溜息交じりに言った。
そして多分、これは良くない。
「しらばっくれるなら、あなたたちを殺して、自分で探します」
「たちって言ったか、今! 僕は無関係だぞ!」
「私の顔を見ましたよね」
「見られたくないなら仮面でも被ってろ!」
「良いですねそれ。今度からそうしようかな」
そう言って、シンシンは杖をまたこちらに向けた。
さっきと同じ一撃が来る。
その予感がした。
「良いのかな、そんなに魔法を使っても。兵隊さんが来ちゃうかもしれないのに」
「一撃で仕留めれば良いだけのことですよ」
「それは確かに」
「確かにって!」
静かに納得した様子の銀髪の少女に、僕は思わず声をあげた。
「一撃で仕留められれば、ですけどね」
そう言って銀髪の少女は、外套の下から何かを取り出した。
それは、折り畳まれた紙片だった。
「これ、なーんだ? ヒントは、さっきあなたの魔法を防いだものと同じです」
少女に言われて、シンシンと僕は、僕らの間に落ちている紙片に目をやった。
どうやらさっきは、その紙片に光が吸い込まれて、僕は助かったらしい。
それがどういうものか、僕には分からなかったけれど、シンシンには心当たりがあるみたいだった。
「まさか『ネクロノミコン』の断章──!」
「魔法使いさん、今日のところはお互い帰ろうよ。誤解もあるみたいだし」
「誤解なんて──!」
と、何かを言いかけたシンシンだったが、しかし杖を構えるのはやめ、そしてまた大きく溜息をついた。
「──今日は帰りますけど! これは負けたんじゃなくて、相性が! 相性が悪いだけなので!」
「でも、ボク本当に心当たりがないんだけどな」
「まだ言いますか! 次に会ったら、容赦しませんから!」
そう言ったシンシンの躰が強く光ったかと思うと、次の瞬間には、また裏路地は暗くなっていた。もう、魔法使いの少女の姿はなかった。
「危ないところだったね。ボク、命の恩人じゃない?」
と、銀髪の少女が言った。
急に気が抜けて、気が遠くなっていくのを感じた。
あ、まずい。これは意識を失ってしまう。
「ちょっとちょっと、こんなところで寝ないでよ。せめてどこに運んだら良いかくらい──」
そうは言われても、疲れた。
途切れそうになる意識の中で、僕は何とか自分が暮らしているアパートと、その部屋を口にした。
銀髪の、キャスケット帽を被った少女が、『分かった』と言って、パイプを取り出して咥えたような気がした。
そうだ、そういう格好をする職業、何だったか思い出せなかったけれど、ふと思い出した。
『探偵』じゃないか。
【輝くトラペゾヘドロン】
???
【ネクロノミコン】
???




