1-6: 首の皮一枚繋がったとしても、気道が繋がっていなければ、いずれ死ぬ。
そして僕は、それを見た。
まず目に入ったのは、石畳が赤く光っていることだった。
雲の隙間から差す僅かな月明かりを反射して、地面が赤くてらっている。
それは、血だった。
そのことに気付いた意識は、次にそれがどこから流れているのかを探す。
目線を、血の流れを遡るように動かしていくと、そこには首があった。
いや、語弊がある。
言い直そう。
そこには、首しかなかった。
首の断面から、血が流れていた。
頭部が存在していない首、そして当然その結果として頭部を持たない躰は、どこか滑稽で、そして不完全でありながら、同時に芸術品であれば傑作だとも思われた。
薄暗いのでよく分からないが、裸ではない。スーツを着ているように見える。演劇を見に行ったりするときに着る、いわゆる正装だ。演劇。そう言えば今、『黄衣の王』という演目が人気を博しているらしい。今度見ようと思っていたのを忘れていた。いや違う、今は目の前の状況を、自分が置かれている立場を──
「ねぇねぇ」
──と、その場にそぐわないくらい軽い、鈴の音のような声がした。
死体に目を取られて気付いていなかったが、その死体の近くに、しゃがみ込んだ人影があった。死体を覗き込んでいるようにも見えた。
「そこの人、ちょっと手伝ってくれないかな」
その声の主に視線を向けたとき、ちょうど、雲が割れて月明かりがまっすぐに差した。
赤く濡れた石畳も、頭部のない首も、その近くにいる人影も、すべてが一気に、まるでスポットライトに当たるように照らされた。
声の主は、少女だった。
銀髪に、キャスケット帽を被っている。
ケープを羽織っている。
そういう格好をする、典型的な職業がある気がした。
なんだっけ。
右手に何かを持っている。
パイプだ。
パイプ?
火は点いていないみたいだ。
それを口に咥えて、少女は頬ごと口角を上げて笑って見せた。
笑った?
なぜ?
こんな状況で?
「てつ、手伝うって、何を?」
「妙なことを訊く人だなぁ。見れば分かるだろう?」
と、本当に不思議そうに、少女はそう言った。
確かに、変な質問だったかもしれない。
でもそれは、変な頼みをされたからじゃないか。
仕方ない。
混乱して思考がまとまらない僕を前に、少女は、血塗れの手でパイプを持って、血塗れの手? それから、言った。
「死体の処理だよ」
瞬間、僕は駆け出していた。
返事などもちろんしなかった。
一瞬で、自分の前と後ろを入れ替え、そして走った。
さっきまでゆっくり歩いてきた道を、全速力で走った。
何だ?
一体何が起こってる?
ここはセレファイスだぞ?
人は死なないんじゃないのか?
じゃあ、あれも死んでないのか?
莫迦な、首から上がなくなっても生きてる人間なんているか?
いや、そういう魔法とか?
あるいはゾンビ? アンデッド?
いや、そもそも作り物だったのでは?
そうだ、演劇!
その小道具!
例の『黄衣の王』は、かなり不気味な舞台だと聞く。
そう、その小道具だったのでは?
だから、さっきのあの人は劇団員で──
こんな裏道で、ひとりで?
いやひとりでならまだしも、あんな小道具を持ってきて?
やっぱりおかしいじゃないか。
おかしいと言えばこの裏道だ。
ずっと走ってるのに、一向に表通りに出られない。
いくらなんでもこんなに長くはなかっただろ?
だって僕は、ここに足を踏み入れて、歩いたのだって高々数分で──。
「逃げられませんよ」
と、声がした。
でもその声は、さっきの少女の声ではなかった。
声の主と思われる、いかにも魔法使いのようなローブを着た、あるいは錫杖のような、大きな杖を持った、それとは不釣り合いなほど小柄な少女──さっきとは別の誰かが、足を止めた僕の前に立っていた。




