1-3: 死に方を決めることは、生き方を決めること。
暫く町外れの方に向かって歩いて、『シーハンのビリヤード場』に辿り着いた。ビリヤード場というのはビリヤードができるところということだが、ビリヤードよりもむしろ酒を飲みに来ている人の方が多い。だから、酒場と直接的に言ってしまっても同じだ。
以前にこの場所を知ったときには中に入らなかったが、今度は客として中に入る。店内は年季の入った木製の調度品やこだわりが感じられる同じく木製のカウンターを、それでもなんとか綺麗に保とうとしているような、そんな印象を受けた。しかしそこかしこで男たちが煙草を吹かしていて、そのヤニの汚れがこの空間のあらゆるところに染み付いているような感じがした。
とは言え、この不死の都では煙草だって、酒だって飲み放題なのだ。それで体調を崩して死ぬということもない──のだろう、多分。僕は死んだことがないから、分からないけれど。
あるいは覚えていないだけかも、しれないけれど。
とりあえずカウンターに座ると、店主のシーハン・スクワードが怪訝な顔で僕を見た。
シーハンはがたいが良く、いかにも荒くれ者という感じだが、目は落ちぶれていなかった。無骨なのに芯は通ってそうな、一度信頼されれば信用できる、そういう人間に思えた。
「見ない顔だな。旅人か? 随分若いな」
「酒は飲める年齢だから大丈夫ですよ」
本当は覚えていないけれど、多分。
「異世界人か? 異世界人は年が分かりにくくてな」
「そもそも、セレファイスに酒を飲んじゃいけない年齢というのがあるんですか?」
「やっぱり外の人間か。まぁ、そういう決まりがあるわけじゃないがよ、少なくともガキに飲ませたいもんではないわな」
「どうしてです?」
「勿体ねぇからだよ」
そう言ってシーハンは、僕の注文も聞かずに酒を取り出して勝手にグラスに注いで出した。
「常連にはいつもこれを出してる」
「僕は常連じゃないですけど」
「これを飲まないやつは常連にならない」
「なるほど」
出された酒に、少しだけ口を付けてみた。不味くはない、と思う。正直、酒の味は分からない。
「あの、さっきはどうして僕のことを旅人だと思ったんですか?」
たまたま他の客に話し相手がいなかったからか、シーハンは退屈そうに僕を見返した。
「ここはセレファイスの最も外周に近いところだ。だから、セレファイスの外から来た人間がまず旅の疲れを癒やしに来んだよ。後は逆に外に行く奴もな。情報収集は酒場って、昔から相場は決まってる」
「セレファイスの外って、インガノックとか?」
「まぁ、インガノックとか、ウルタールの田舎から来る奴もいるな。知ってるか? ウルタールでは猫を殺しちゃいけねぇんだ。昔、猫を酷い目に合わせた老夫婦がいてな、そのときの猫の呪いがまだ残ってるんだとさ」
「まぁ、そんなのなくても進んで猫を殺したいとは思いませんけどね」
「殺しても死なないしな、あいつらは」
猫には命が九つある──と、どこかで聞いたことがある。もちろん、それは一種の表現に過ぎないけれど。
死なない──と、言えば。
「そう言えば、セレファイスでは、人は死なないんですよね?」
「あぁ、死なない」
「僕、まだこっちに来たばかりだからよく分かってなくて。人が死なないというのは、どういうことなんですか?」
「そりゃあ、まぁ、言葉通りだろ。ただ死なないんだよ」
「例えば、馬車に轢かれたら? 剣で切られたら?」
「怪我をするかもしれねぇ」
「じゃあ、そのまま放っておいたら失血死とか」
「まぁ、普通に考えたらするかもしれねぇな。だが、セレファイスじゃ、そうはならねぇ」
「ならない、とは?」
「ならないんだよ。例えば、そもそも馬車に轢かれそうにならない。剣で切られそうにならない。仮に轢かれたとしても、切られたとしても、どういうわけか助かるのさ。ただ、助かる。まるで、死の方が俺たちを除けていくみたいに」
「それはどうしてなんですか?」
「知らんよ。だが、インガノックだのウルタールだの──まぁ、人里じゃないところならカダスとかもそうだが、そういうところでは人は普通に死ぬって話だ。だから、このセレファイスには何か、そういうご加護があるんじゃねぇかと思うね」
「加護……つまり、魔法のような?」
「あるいは呪いかもな」
「呪いですか?」
ほとんどオウム返しになってしまった僕に、シーハンは顎だけで店の隅を指した。そちらを見ると、襤褸を着た老人が床をモップ掛けしているところだった。
「あれはな、放蕩虫って呼ばれてる爺さんだ」
「放蕩虫?」
「昔はあちこちを旅した偉大な人物だったんだって、吹聴して回ってんのさ。それを本当だと証明することはできないみたいだし、俺らも別に信じちゃいない──いや、正確に言えば、どっちでも良いんだ。過去にどんなに偉大だったにせよ、今のあいつはただの落ちぶれた虫けらさ。──なぁ、そうだろ!」
シーハンが放蕩虫と呼ばれた老人に、最後のところだけ聞こえるように声を掛けた。途中までの話を聞いていなかった老人は、曖昧に笑って、曖昧に首肯して、そして掃除に戻った。
「あいつは、酒を飲めないんだとさ」
「飲めない?」
「飲むと具合が悪くなるって話だ。多分、内臓を壊してるんだろうな」
「でも、セレファイスでは苦痛はないし、人は死なないんじゃ──」
「死にゃあしないだろうさ。それに多分、本人はそれを苦痛だとも思っちゃいねぇのよ。不幸かどうかなんて、他人と比べなきゃわからん。あの爺さんはもう、自分と他人を比べるってことをしちゃいねぇのさ。だが、俺は比べちまう。あの爺さんと俺をな。すると、思う」
そこでシーハンは一度言葉を句切った。
まるで僕の反応を待っているかのようだった。
「──どう、思うんです?」
「ああはなりたくねぇな、ってな」
「……」
「ああなっちまったら、死んだ方がマシだと思う。だがセレファイスにいる限り、死ぬことさえできねぇんだ。そいつが呪いじゃなくて、一体何なんだ?」
「でもさっき、セレファイスの外では人は死ぬって」
「そうだとも。だから、旅人には二種類ある。セレファイスを目指す者と、セレファイスを離れる者がな」
死にたいからセレファイスを出る──とは限らないのだろうけれど、しかし楽園に思われるセレファイスに留まりたいとは思わない人がいるのは、確かにそうなのだろう。人が死なないこの都で人口がただ増え続けることはないのか疑問だったけれど、そうならないのにはそういう理由もあるのだろうと思った。
と、そのとき、酒場の入口が開いた。
鎧で武装した兵士が、物々しく中に入ってきた。
【シーハンのビリヤード場】
Old Bug という短編に出てくる、シーハンという名前の店主がやっているビリヤード場です。そこに Old Bug と呼ばれる浮浪者のような老人が小間使いとして出てきます。




