1-2: 今日まで太陽が欠かさず昇ったことは、明日も昇る理由にはならない。
セレファイスは、それ以前の生活に疲れてしまった人が辿り着く都だという。
それ以前の生活から、何かの方法で抜け出した人がやってくる都なのだと。
その方法というのも様々で、セレファイスに来る前のことを覚えている人もいれば、僕のように覚えていない人もいる。覚えている人がどうやってセレファイスに来たのかというと、例えば──
儀式によって。
この場所を強く思い描くことによって。
そしてあるいは、死によって。
僕がどうやってセレファイスに来たかは覚えていない。ワイルドさんが言うような『前世』が僕にもあるとすれば、僕はその『前世』で、何かの儀式によってここに転移したか、死んで転生したかしたのだと思う。ごく限られた、創造力のある者──例えば芸術家や夢想家の類いの人たちは、ただこの場所を想うだけでここを訪れられるのだというが、多分僕はそうではないと思う。
だが、とにかく。
僕は別に、自分の『前世』の詳細なんて興味はない。このセレファイスに来たことを後悔していないし、ここでずっと暮らしていけることを喜ばしいとすら思っている。
そして、これは、セレファイスの住人であれば誰もが思っていることだ。
当然だ。セレファイスは、それまでの生活に疲れた人が辿り着く場所なのだから。
セレファイスは、誰にでも優しい。
苦痛は一切ない。
そして、死もない。
セレファイスは『それまで』に疲れた人たちの終着駅なのだと、ワイルドさんは言っていた。だから、それ以上がない。セレファイスには、『死』がないのだ。
死ぬような目に遭っても、死なない。
そもそも怪我をするようなこともない。
そして、ここでは年も取らない。自分が若いままだと思えばずっと若いままだし、少しは年を取ったかな、と思ったらそれだけ年を取る。しかし、それによって死ぬことはない。
セレファイスでは、誰もが不老不死なのだ。
ワイルドさんに指示された『シーハンのビリヤード場』は、そのセレファイスの外れの方にある。まだこっちに来て間もなかった頃、ワイルドさんの知り合いだという人に町中を案内してもらったときに覚えた。
ワイルドさんはあの部屋から滅多に出ない。
あれだけがあの人の生活圏内であり、世界なのかもしれない。
一方、セレファイスは大きな都だ。道はどこも石畳になっていて、広い通りがいくつかあり、そういう大路には屋台が出ていたりする。屋台では果物を売っていたり、別の都──例えばインガノックなどから仕入れられた鉄や鉱石などが売られていることもある。
「そこのお兄さん! どうだい、珍しい鉱石があるよ」
声を掛けられたので少しだけその出店に寄って見てみたが、広げられた布の上には何もないように見えた。
「何もないじゃないですか」
「あるんだな、これが」
と、店主がその布の上から何かを取り上げる仕草をした。しかしやはり、その手には何も握られていないように見える。
「触ってごらん」
「どこを?」
「俺の手の上にあるものをだよ」
そう言われて、店主の手の上に手を伸ばすと、見えない何かに指先が触れた。
「えっ?」
「アビキスだよ。珍しいだろう。今朝、インガノックから届いたのさ」
「透明な石なんですか?」
「まぁ、そう言っても間違っちゃいないがね、これは周囲から受けた色と同じ色と光を返す、そういう鉱石なのさ。だから、何もないように見えるわけだな」
「へぇ……」
そう言われてもよく分からなかったし、その説明がどの程度正しいのかも分からなかったけれど、とにかくそういうものなのだろう。
「エスカ金貨3枚だよ。王室護衛軍の幹部様にもお買い上げいただいてる珍品だ」
「そんなに払えませんよ……。良いものだってことは分かりますけど」
「そうかい。じゃあ、お兄さんが出世したら、また買いに来てくれよ」
店主に愛想笑いを返して、僕はその露店を離れた。
名誉修理人としての出世とは、何だろうか。
ワイルドさんに頼まれる仕事は、多種多様である。
あるときには、特定の露店で特定の商品を買う。
別のときには、特定の場所で特定の落とし物をする。
また別のときには、指定された時間に指定された場所に行くとカップルが喧嘩していたのでそれを仲裁したこともあった。
いずれも、どうしてそれで収益が発生するのかは分からない。そして今回は、指定されたビリヤード場──つまり酒場に行って、特定の話題を持ち出すのが仕事である。それにどんな意味があるのかは分からない。
でも考えてみると、仕事というのはだいたいそういうものかもしれない。それにどんな意味があるか、回っている歯車は理解しなくても良い。歯車を配置した人が、ちゃんと歯車が動いていれば良いだけのことだから。
「ちゃんと働いてくれたら、きみの名誉も直してあげよう。きみに直す名誉があれば、だがね」
僕を雇ったとき、ワイルドさんがそう言っていたのを思い出す。
僕はまだ、その意味をよく分かっていない。
【セレファイス】
ラブクラフトの作品の中に、同名のタイトルの短編があります。あらゆる美しいものがある、夢の都だと言われています。いわゆる『ヨーロッパ風の異世界』を想像すると、実はぴったりかも。インガノックも同様にラブクラフト作品の中で言及されている都の名前ですが、そちらはちょっと大変な場所。
【アビキス】
『ブック・オブ・ワンダー』というダンセイニ卿の作品の中に出てくる鉱物で、ほぼ設定はそのまま。ダンセイニ卿の作品はラブクラフトに大きく影響を与えていて、拙作でも取り入れられそうなモチーフを取ってきたりしています。




