4-4: 死が生の停止であるという理解は、人が生から逃れられない故の限界である。
粉塵の向こうからワイルドさんと一緒に姿を表した化け物は、その触手を巻き付けたり、あるいは突き刺したりして、セレファイスの市民が襲われている。
血が流れている。
躰に穴が空いている。
関節が有り得ない方向に曲がっている。
そもそも四肢が欠損している。
それでも、誰も死んでいなかった。
誰もが痛苦に悶えていた。
死ぬほどの怪我をして、死ぬほどの負傷を負って。
それでも誰も、死ねていなかった。
「ユン=イラーラの伝説を知っているかい、ナギ」
ワイルドが、まるでただの雑談のように言った。
「ユン=イラーラは、かつてムングを呪おうとした預言者だよ。彼は、死を恐れる人々に祭り上げられて、ムングを人々から遠ざけようとしたのさ。その結果、彼はムングを遠ざけることに成功した──少なくとも、彼自身からね。その結果、どうなったと思うかね?」
「どうなったって──どうなったんです」
「彼は死ななくなった──否、死ねなくなったのだよ。年を取り、躰が朽ちても、彼は死ぬことができなくなった。今も彼がかつてムングを遠ざけるべく呪っていた塔に、ユン=イラーラは生きていると言われている──もう、魂も躰も、その欠片すら残っていないのにね。分かるかい。死とは救済だったのだよ。そして、その救済を、ユン=イラーラは奪われたのだ」
死をもらう、とムングに言われたことを思い出す。
つまり、今の僕は──?
「──それは、このセレファイスも同じだって、そう言いたいのかな」
レーヴが、状況を整理しつつ、また言葉を整理しながら、静かにそう言った。
セレファイスには死がない。
それは、実は祝福ではなかったのではないか。
セレファイスは、死に見放された都だったのではないか。
「その通りだよ探偵。不死は、その肉体と精神が健康である限りにおいて歓迎されるのだ」
「だから、このセレファイスに死をもたらすつもりだと? 名誉修理人って、そんなことまでするの? というか、ワイルド・ワイアード、あなたはそんなキャラだったっけ?」
「死がもたらされるのは結果に過ぎない。私はただ、安全が欲しいのだよ。故に、知りに行くのだ。この世界の秘密をね」
ワイルドと話をしている間にも、周囲の人たちの叫び声は止まなかった。
どうやら火の手も広がっているらしく、建物が崩れる音もしてくる。
安全が欲しいって?
世界の秘密を知りに行くって?
「ワイルドさん! 一体どういうことなんですか! さっきから言っていることが何も分かりません!」
「何も話していなかったからね、きみは混乱すると思う。ただ私は、ずっと機会を窺っていた。この世界を、セレファイスを、本当の意味で掌握できる機会を。そしてそのときが、ついに訪れたのだよ。──これを、手に入れたからね」
そう言って、ワイルドはポケットから何かを取り出した。
それは、形を整える前のダイヤモンドの原石のような、不揃いの──
「それって」
「そう、これが『輝くトラペゾヘドロン』だよ」
──スラデンさんから受け取った、あの水晶だった。
慌てて自分の服のポケットを探すも、当然それは見つからない。
いつだ? いつ、あれを──
──着替えた方が良い。服が泥塗れだよ。
ワイルドからそう言われたことを思い出す。
そうだ、僕はアーノルドさんの屋敷で着替えたのだ。
そのとき、水晶をどうした?
「とは言え、これは偶然だがね。あの鼎談が終わって、きみとスラデン氏が消えた後のことだ。アーノルド氏からきみが忘れ物をしたようだと言ってこれを見せられたときには驚いたよ。しかしとにかく、これで私の手には輝くトラペゾヘドロンとネクロノミコンが揃った。これがあれば、シュブ=ニグラスの眷属の召喚だって、この通りだよ。私は、これを契機とする。今こそ、セレファイスの謎が曝かれるときだ」
「謎って──セレファイスはムングを遠ざけていた、それ以上に何を知りたいって言うんですか! そのためにどうしてこんなことを──」
「分からないかね。不死は、その肉体と精神が健康である限りにおいて歓迎される。そして事実、セレファイスは奇跡の都などと呼ばれていた。では、どうやって肉体と精神の健康は維持されていたと思うかね。──そうだ、あるはずなのだ。不死の理由とは別に、不老の理由もね。私は、それを知りに行く。だからナギ、きみは先に帰っていると良い。別にきみを殺したいとは思わない」
そう言って、ワイルドは輝くトラペゾヘドロンに何かを囁いた。
すると一瞬だけ目映い光が走り、それに目が眩んでいるうちにワイルド・ワイアードは姿を消していた。
しかし、シュブ=ニグラスの眷属は、まだそこにいた。
明らかにこちらを認識している。
無数にある触手のうちの一本が、僕らを目掛けて伸びてきた。
「……ステラ、きみの魔術で、どうにかならないのか?」
と、僕が言ったとき、既にステラの姿はなかった。
一体いつからいなかった?
「……『気付かないうちにいなくなった』ことにされた──とか? 本当、魔術を使われた痕跡自体が全然残らなくて凄いね」
レーヴが感心するように言って、
「言ってる場合か──!」
僕は、訪れるかも分からない死を覚悟して、それでも思わず反射的にレーヴを抱きかかえるようにして目を瞑った。
触手に貫かれるか、絞め殺されるか。
どんな最期になるか、それが訪れるのかも分からないまま。
──だが、それは訪れなかった。
僕らを目掛けて伸びてきた触手は、僕らに届く前に地面に串刺しになっていたからだ。
串刺しにしているのは、天から降ってきた三つ叉の槍だった。
三つ叉の槍?
「神の眷属と戦っちゃぁ、俺の評判もまた上がっちまうんじゃないかぁ?」
「軽口を慎め。市民の安全を最優先である」
「いやぁ、大丈夫でしたか、ナギさん、レーヴさん。ここはあっしらに任せてください」
民家の屋根の上に、知っている三人の影があった。
王室護衛軍のトップスリーが、到着したのだ。
【ユン=イラーラの逸話】
『ペガーナの神々』に実際に収録されている物語で、おおよそここで言われていることと同じです。




