4-3: 当てずっぽうが真実を突くことがある。これは、真実が推論の結果ではないことを示している。
埃まみれの本棚に空いた空間を何度も確認しながら、ステラは言った。
「えっと、ステラはずっと不思議だったんですよ……。シンシンが魔術を防がれて戻ってきたとき、ネクロノミコンを使われたって聞いたときから。ネクロノミコンなんてステラたちだって現物は持ってないし、シュテルンさんがどこでそんなものを手に入れたんだろうって……」
「だから、ネクロノミコンを探してここに?」
「あ、えっと、そうです。ほら、あの、このセレファイスの謎を解こうと思って、もしもシュテルンさんが名誉修理人の情報網の力を借りたなら、ネクロノミコンをそこで手に入れたとしてもおかしくないかも、って──」
「でも、どうしてボクが名誉修理人のところに向かったなんて分かったのさ? というか今、セレファイスの謎を解こうと思ってって言った? 何でそのときのシュテルンの目的をきみが知ってるのさ?」
「だって、そうすると良いって言ったの、ステラですし……」
「えぇ?」
「えっ?」
ほぼレーヴと同時に声が出た。
「そんなこと、魔女集会のときにも一度も言ってなかったじゃないか」
「あ、はい、言いませんでした……けど」
「どうして言わなかったんだ? いや正直、言ってたらレーヴの身は危なくなっていたと思うし、結果としては良かったけど……」
「だって、ほら、シュテルンさんが失敗して星の智慧派に大きな損失が出ちゃったってことは、それを唆したステラも同罪じゃないですか……。それは嫌だなって思って……えへへ……すみません、卑怯だとは思いましたけど、でも、バレてなかったから……」
そういうことなら、確かに納得できない話ではなかった。
しかしそうなると、また別の問題が出てくる。
「じゃあそもそも、ステラはどうしてレーヴ──シュテルンに協力したんだ?」
「あっ、えっと……まぁ、そんなに深い意味はないですよ」
「深い意味なく、セレファイスの秘密を探ろうなんて大それたことを考えた奴に協力を?」
「えへへ、すみません……でも、深い意味があったら、むしろ協力なんてできませんよ……。ステラは、ただ、役に立ちたかっただけです……。というか、ステラって凄いなって、思ってほしくて」
「役に立ちたかった……?」
「はい、あの、ステラって、ほら、影が薄いじゃないですか……。魔術だってパッとしないし、そもそもステラの魔術って、使われたことを、ほとんど認識できないから、ステラの魔術なんてないも同然だし……。でも、ステラは、ステラを知ってほしいので、それだけのために星の智慧派の魔女なんてやってるくらいで……。お役に立てたら、ステラを知ってもらえるかな、凄いって褒めてもらえるかなって思って……へへへ」
他者から認識されず、評価されたことのない少女が、それを求めて魔女になった──それが、ステラという魔女の始まりだったということなのだろう。だから、仲間の目的に協力することで、褒めてもらおうとした。
星の智慧派の魔女は、それぞれに目的があり、そのために神格の力を利用しようとしている──。その言葉を、ふと思い出した。
それと同時に、目の前の価値を得ようとする卑屈な自己認識の魔女の姿が、何かと重なった。
まず連想したのは、シーハンのビリヤード場にいた『放蕩虫』だ。あの老人も、自分など大したことない人間だと卑屈に生きていて、シーハンには『ああはなりたくない』とまで言われていた。だが、ステラとあの老人の違いは、老人は認知されることを諦めていて、ステラは諦めていないというところだ。
もうひとり、目の前の魔女と重なった人物がいる。
僕だ。
すなわち、ナギ・パスツールだ。
セレファイスに来て、ナギ・パスツールとして、ここに来る前のことは白紙として考えて生きていた。レーヴと出会うまでは、自分が何者であるかなど考えなかった。
自分が何者であるか分かっていることは、気分が良い。
レーヴがそう言っていたことを思い出す。彼女と出会うまで、僕は何者でもなかったのではないか。誰にも認識されず、認知されていない、存在していないも同然の存在だったのではないか。自分というもの、あるいは世界というものに、何か価値を求めていたのではないか。
だから、いくら時間がなかったとは言え、あの怪しい裏路地に足を踏み入れたのではないか──。
「──まぁ、分かったよ。ステラの言いたいことは。このことは、僕らだけの秘密にしよう。きみがレーヴを殺すつもりは、少なくとも今はないことも分かったしね」
「あ、良かった、えへへ、助かりました。もしこれを交渉材料にされたらステラに勝ち目なんてなかったですから……。そうなったら、おふたりを本当に殺しちゃわないと……いやえっと、セレファイスだと殺せないから、殺す直前までやっちゃわないと、いけないところでした」
その言葉にぞくりとしながら、僕は訊いた。
「ステラの魔術でそんなことが可能なのか?」
「えぇ、まぁ何でもありじゃないんですけど、やり方次第で……例えば、今、おふたりが気付いてなかっただけで、背後の本棚が倒れてきたら、多分簡単に下敷きになっちゃいますけど……えへへ」
「何でもありじゃないか」
「何でもありじゃ、ないんですけどね、えへへ」
「──まぁ、話を戻そうか。それで、ステラ、きみは記憶を失う前のレーヴに、名誉修理人の力を借りるように言った。そこでネクロノミコンを得た可能性を考えた。そこで、そのネクロノミコンを手に入れに来た。そういうことか?」
「あ、はい、そうです。あるなら読んでみたいなって、思って」
「でも、きみがここに来てその本棚を調べたとき、そこに本があることを確信しているみたいだった。その本の隙間がネクロノミコンが抜き取られた結果だって、分かってるみたいに言っただろう。どうして確信できたんだ?」
「えっと、ステラが、『ネクロノミコンは、誰にも気付かれずにここにあった』ことにしたからですけど……」
「やっぱり何でもありじゃないか!」
思わず声をあげてしまった僕に対し、しかしレーヴは冷静だった。
何か考えをまとめるように黙り込んで、少しして、やっぱり変だな、と言った。
「ステラ、きみが魔術を使ったのに、ここにネクロノミコンがないっていうのは、どういう状況が有り得る?」
「えっと、まぁ一番よくあるのは、例えばネクロノミコンが他のどこかにあって、それが誰かに認知されているから、ここに出すことができなかった、っていうパターンですけど、ステラは別に本物のネクロノミコンじゃなくても、その複写本でも見つかれば良いな、って思って来たので、その可能性は結構低いと思うんですよね」
「じゃあ、次によくあるのは?」
レーヴの質問に、ステラは何気なく応えた。
「本当に、ここにネクロノミコンがあったパターン……ですね」
「ちょっと待ってくれ、もしここにネクロノミコンがあったってことは、本当にレーヴがネクロノミコンを受け取ったのはワイルドさんからだったってことになるか?」
「まぁ、その可能性は高いだろうね」
「じゃあ、なぜここに今、ネクロノミコンがないんだ? ワイルドさんが持っていったってこと? どうして?」
「見つかったらまずかったんじゃないかな……」
「その理由は?」
「……ボクにネクロノミコンを渡したのが自分だと気付かれると、まずかったから?」
「つまり──」
「──確信犯だったんじゃないかな。ワイルド・ワイアードは、ボクを利用してセレファイスの謎を曝こうとしていた。そのための助力として、ボクにネクロノミコンの断章を──」
突然、大きな爆発音があった。
外は、セレファイスにあるまじき混乱が渦巻いていた。
誰もが自分の身を守ろうとして、しかしどうすれば良いか分からず、右往左往している。
「何かあったんですか!」
僕の誰を選んだわけでもない質問に、爆発音がした方から逃げてきた男が答える。
「アーノルドさんの家が爆発したんだ! そして、そこから、化け物が……!」
最後まで言い終わる前に、男はできるだけ爆発から遠ざかろうと必死に走った。
アーノルドさんの家が爆発したって?
しかも化け物が出たって?
今、そんなことが起こり得るとしたら、それをした人物は──
「ナギ! あれを!」
レーヴが叫んだ先を見る。
もくもくと上がる煙と粉塵、その向こうから、まるで雲の隙間に巨木が姿を透かすように、何かが蠢いていた。
ぬめりのある、大きな黒い塊。
そこから生える触手、そして足元には蹄。
口──と思われるところから、堪えず泡を吹いている。
口? 泡を吹いている?
そうだ、つまりそれは生き物だった。
僕が見たことのない、何も知らない、未知の──
「そんなことにいると、危ないだろう。ナギ、先に帰っていると良い。私だって、たまには自分で仕事をするのだよ」
その道の化け物の前を、悠々と歩く人影があった。
まだあのときと同じ正装を着たままの、ワイルド・ワイアードだった。




