4-2: 誰もいない森で一本の木が倒れたとき、その木は音を出したか?
「王様に会えることになったって言ってもさ、まったく同じように会いに行ったら、また同じ結果になるんじゃないかと、ボクは思うんだよね。しかも今回は、輝くトラペゾヘドロンさえ持っていない。だとすれば、それなりに準備をしていかないといけないと思うんだよね」
「準備というと、具体的には?」
「まぁ、ちゃんと知識を付けていくところから──かな」
というわけで、僕らは名誉修理事務所の一階にある元書店を訪れることにした。
書店の主人がいなくなって、そのまま残されている書店の残骸には、それでも数多くの本がある。ワイルドさんも、時々は下に降りてめぼしい本を拝借しているようだった。
一応ワイルドさんに書店の方に入っても良いかと訊ねようと事務所に顔を出したが、ワイルドさんの姿はなかった。まだアーノルドさんの邸宅から戻っていないのかもしれない。案外、居心地が良かったということだろうか。
「ところで、どうしてご主人はいなくなったんだい? 何か知ってる?」
適当に本棚に目を通しつつ、レーヴが言った。
「詳しくは知らないけど、いなくなっちゃったんだってさ。なぜか長く続かないでそうなるらしい。一番長く続いたのはホーバーグ武具店っていう鎧屋だったよ」
「ひょっとして、ワイルド氏が裏で手を引いて追い出してたりして。色んな店を作らせて、追い出させて、残ったものを自由にしてるとか」
「まさか」
ありえない──とは言い切れなかった。
確かに、ワイルドさんならそれくらい──やるかは分からないが、できるとは思う。
名誉修理が可能な人間なら、名誉破壊──毀損だって、難しくないだろうし。
「ねぇ、これ見て」
自分の雇い主の闇に思いを馳せていた僕の意識を引っ張ったのは、何かを発見したらしいレーヴの声だった。
迷路のような本棚を抜けて、声がした方へと進んでいく。奥に進むと周囲に窓や光源がなくて、薄暗くなっていたけれど、表通りから入ってくる僅かな光源に埃が舞っているのが照らされて、不気味であると同時に美しくもあった。
そういう相反する光景の中で、レーヴは本棚の一部を指差していた。
「これだよ。ここの本だけ、一冊だけ、抜かれてる」
「本当だ。埃も擦れて落ちてるし、多分最近かな」
「他の本は、何語なのかよく分からないね」
「せめてタイトルだけでも読めたら、この本棚のジャンルも分かりそうなのに」
「あっ、あの、多分魔術の本……の類いじゃない、かな……」
聞き覚えのある声だった。
突然の声に驚いて振り返ると、部屋の隅に、星の智慧派の第四の角、ステラが立っていた。
ずっと立っていたのだろうか? 気付かなかっただけ? そんなことがあるか?
「……お久しぶりです。いつからそこにいたんです?」
「えっ、あっ、へへへ……。ずっといたとも言えるし、今来たとも言える、というか……。ステラの魔術は、ちょっと変わってるから……」
「ナギ、こちらは?」
「あぁ、えっと……ステラだよ。星の智慧派の魔女だ」
僕の紹介を受けて、ステラは改めておどおどしつつ、レーヴに自己紹介をした。
「あっ、はい、えっと、ステラは星の智慧派、第四の角、ステラと申します。以後、お見知りおきを──倒木の音が、聞こえずとも」
「こんにちは。レーヴ・レヴェリ、探偵だよ」
「あっ、えっと、いや、シュテルンではなく?」
「そういう噂もあるけど、ボクにその自覚はないよ。記憶もない」
「あぁ……本当にそうなんですね……。まぁでも、ステラたちがやらなきゃいけないことは決まってますけど……」
「輝くトラペゾヘドロンの回収、だよね?」
「はい、あと、裏切り者の始末……ですかね……」
一瞬、緊張が走った。
やるか?
今の僕なら殺せるか?
先手必勝だ。
先に殺せば、殺されずに済むのでは──。
「あ、えっと、へへへ。いや、流石にここじゃ、ちょっとやれませんけど。あと別に、ステラはシュテルンと仲良しなので、殺したいとまでは思いませんし……えへへ……。というか、やる気なら、もうやってますし……。ステラの魔術なら、簡単ですよ」
「どういう魔術なんです? 確か、シンシンは光を、ターラは死者を、エトワールは水を操る、みたいなことでしたよね」
「あっ、まぁ、へへ、えっと、うんと、まぁ正確にはシンシンさんは反射を操るんですけど」
「反射? まぁとにかく、それできみは何を?」
「ステラは、『そうだったかも』を現実にするんですよね……」
そう説明されて、少しだけ理解を試みて考えてみた。
しかし、やっぱりよく分からない。
「どういうこと?」
「あの、その、えっと……例えば、『気付かないだけで、ずっとそこにあった』みたいなことって、あるじゃないですか。ステラは、相手が元々はそこになかったものを、『相手が気付かなかっただけでずっとそこにあった』ことにできる、というか……。だから、ステラは『ずっとここにいた』んですよ。おふたりが、気付かなかっただけで……」
何かヤバい魔術じゃないかそれは。
どう思ったのは、やっぱりレーヴも同じようだった。
「何それ、こわ」
「あっ、でも、例えばほら、もうおふたりはステラを認識してますから、今からそれを置き換えたりはできないですし──。おふたりも、多分、ステラがここにいなかったことは、最初から認識してないですから、ステラが魔術を使って現れたという認識にすら、なってないですよね……? そういう意味では地味です、地味、ステラと一緒で……へへへ……」
「認識改変とかじゃなくて現実改変みたいな魔術じゃないか」
「えへへ、まぁ、そう……そうなんですけど……。でも、あんまりやり過ぎると、やっぱり矛盾が出てきちゃって。そういうときは、因果が辻褄を合わせようとして、何が起きるか分かんないんですよ。だから、あんまり使えないし、使っても目立たないし……みたいな。へへへ、やっぱり地味ですよね、ステラと一緒で……」
地味とは言うが、そんな『使われたかも分からない魔術』が怖くないわけがない。
あまりに動揺して、いつの間にかステラに対しても敬語じゃなくなっていたし。
「いや良い、もう良いよ。ボクも、話を聞けば聞くほど恐くなってきた。それよりもどうしてステラはここに? ボクを殺しに来たわけじゃないんだろ?」
「あっ、そうだった、えへへ……そう、あの、その本棚に用事があるんです」
そう言って、ステラは僕らが見ていた本棚に近づいた。
そして、何かを探すように本の背表紙をひとつずつ確認していって、やがて一冊だけ抜けているところで指先が止まった。
「あの、ここに在ったはずの本、知りませんか? ネクロノミコン、って言うんですけど……」
【倒木の音が聞こえずとも】
「誰もいない森で一本の木が倒れたとき、その木は音を出したか」という思考実験があります。存在は認識に始まることを示したこの言葉は、アイルランドの哲学者ジョージ・バークリーのものです。




