2-3: 替えが利かないことは人材的価値を高めるが、戦力としてのリスクも高める。
事務所に入ると、やはり昨日綺麗にしたばかりのはずの散らかった部屋で、いつものように高い椅子に膝を曲げて座るワイルドさんが、誰かと話をしているところだった。
多分、お客様だろう。
質の良さそうなフロックコートを着ているが、顔を見てみると、雇い主のお客様かもしれない人に使う言葉としては適切じゃないが、冴えない中年という感じだった。無精髭も生えているし、これといった装飾のない眼鏡をかけていて、猫背で、髪もぼさぼさしている。
フロックコートの下はスーツなのだが、演劇のときに着ていく正装というよりも、インガノックでばりばりのビジネスをしている人たちが着るようなものだった。それもくたくたになるまで着古したような感じで、やっぱり垢抜けない感じがある。鞄などは持っていないし、武器の類いも持っていない。セレファイスでは少し珍しいけれど、インガノックだとよく見るビジネスパーソンだ。
ただ少なくとも、そういうこれと言った特徴がなさそうな人なのに、そうして全身を見させられる何かが、その人にはあった。だが、それも不思議ではないかもしれないと思う。何せ、名誉修理の依頼人だ。元々名誉のある人に違いないのだから、然もありなんである。
事務所に入ってきた僕たちに気付いて、ワイルドさんはこちらを一瞥したけれど、すぐにお客様の方に向き直った。
お客様はそのワイルドさんの一瞬の目線の移動に気付いて、僕らを見て、驚いた顔をした。
「ありゃあ、すみません、予約の人? やっぱり飛び込みで来たのは迷惑だったかなぁ」
「いえ、それはうちのアシスタントですよ。ナギ、お客様にコーヒーを」
「あぁいや、はは、お気になさらず。いや、迷惑だったかと思って焦りましたよ、でもすみませんね、急に押しかけちゃって」
「いえ、名誉はいつ壊れるとも知れませんから、そういうこともあります」
「ははは、まぁ、確かに」
と言いながら、お客様はコートから煙草を取り出した。その煙草も箱がくしゃっとしていて、どこまでも冴えない感じだ。
「スラデンさん、申し訳ないが、ここは──」
「──あぁ、そうだ、禁煙、でしたね。はは、いやこれは失礼、もう話が済んだと思って気が緩んで。外で吸うことにします。いやはや、しかしとにかく、ありがとうございます」
「何かあればご連絡しますから」
「いやぁ、はは、本当にワイルドさんには頭が上がらない。どうぞ、よろしくお願いします」
そう言って、スラデンと呼ばれた中年男性は、
「それじゃあ、あっしはこれで。お邪魔しました、ナギさん、探偵みたいなお嬢さん」
と言いながら事務所を出ていった。
「彼、見る目があるね」
と、レーヴが僕に耳打ちした。
僕は何も言わなかった。
「お客様、ですか?」
お客様が出ていってすぐ、三人分のコーヒーを煎れながらワイルドさんに訊いた。
「ああ。スラデン・スランバーという、名誉ある人だ」
やっぱり、あの見た目でも名誉ある人なのだ。
そんな人がどんな依頼でやってきたのか気にならないと言えば嘘になるが、そこはプライベートもプライベート、個人情報も個人情報である。必要な情報なら、ワイルドさんの方から話してくれるはずなので、僕は何も訊かなかった。
「それで、そちらの女性は?」
僕からコーヒーを受け取りつつ、レーヴに目を向けてワイルドさんが言った。それを受けて、僕が応えるよりも先に、レーヴがパイプを取り出し、それを咥えながら言った。
「レーヴ・レヴェリ! 探偵です!」
「……探偵がうちに何の用かね。協業のお誘いはお断りしているよ」
「端的に言うと、ボク、記憶喪失みたいで。だから、助けて欲しいんです」
「記憶喪失?」
少し意外な言葉だったのか、ワイルドさんはオウム返しでそう言った。ワイルドさんがそういう反応をすることは珍しい。
「つまり、私にきみの名誉についての調査を依頼する──そういうことかね?」
「はい! あ、いや、正直、名誉修理というのがどういうお仕事なのか分かってるわけではないんですけど、でも身辺調査とか、そういうことは多分、お仕事に含まれますよね? その要領で、ボクの失われた名誉を、以前のボクが何者だったかを、調べることってできませんか?」
「可能だ」
そうワイルドさんは即答して、それからこう付け加えた。
「ただし、少し時間はかかるだろう。私は色々なことで忙しいから、この件はナギに一任しよう。それが、仕事でミスをした彼の埋め合わせにもなる。名誉を回復する機会だよ、ナギ」
「えっ?」
あれ? 僕、仕事を失敗した話、したっけ?
「失敗したのだろう、昨日任せた仕事を」
「あ、えっと、すみません、はい。でも、どうして──」
「扉の前に立っていたのに、入ってくるのが遅かったのは、何か後ろめたいことがあったのだろう。それに、もしきみの仕事が上手くいっていたら、今朝あるはずの変化のいくつかがなかったのでね」
「はい、すみません……あの、今日からでも行った方が良いですか?」
「そこは任せる。きみができないなら、他の埋め合わせだってあるしね」
ばつの悪さを感じつつ、事務所の中にある自分の席に座ってコーヒーを啜った。レーヴがそっと近づいてきて、耳元で囁いた。
「きみの雇い主、ボクよりずっと探偵っぽくない? キャラ被ってる?」
「被ってないよ」
【スラデン】
ダンセイニ卿の『ブック・オブ・ワンダー』の『魔法の窓』の主人公。彼自身と不釣り合いなほど質の良いコートを大事にしているのは原作も同じです。




