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EP 5

完璧な旦那様の裏の顔

ルーベンス様は、スプーンですくった肉椎茸丼を、ゆっくりと口に運んだ。

咀嚼する音が、静まり返った深夜の厨房に微かに響く。

私は両手をぎゅっと握りしめ、息を詰めてその横顔を見つめていた。

(ど、どうしよう。やっぱり魔族の貴公子様のお口には合わなかったかも。味が濃すぎた? それとも、こんな安っぽい食材を出したことに怒ってる……?)

しかし、ルーベンス様の反応は私の予想とは全く違うものだった。

「…………っ」

ルーベンス様はピタリと動きを止め、カッと見開かれた氷の瞳を、手元のどんぶりへと落とした。

そして。

「……あー…………美味え」

それは、冷徹な貴公子から発せられたとは思えない、心の底から絞り出したような低く掠れた声だった。

次の瞬間、ルーベンス様は人が変わったように、ものすごい勢いでどんぶりを掻き込み始めた。

カチャカチャカチャッ! とスプーンと陶器がぶつかる音を響かせ、貴族の優雅なテーブルマナーなど完全に投げ捨てて、肉椎茸とご飯を口いっぱいに頬張る。

「だ、旦那様!? の、喉に詰まりますよっ、ゆっくり……!」

私が慌ててお水を用意するのも構わず、ルーベンス様はあっという間に特製・肉椎茸丼を完食してしまった。

カチャン、とスプーンを置き、コップの水を一気に飲み干す。

そして――。

「……っあーーー。五臓六腑に染み渡るわ……」

ルーベンス様は椅子に深くもたれかかると、首元のネクタイを乱暴に引き抜き、ワイシャツの第一、第二ボタンまでを外した。

さらに、組んでいた長い脚を崩し、なんと椅子の座面であぐらをかき始めたのだ。

「えっ……ええっ?」

「……これだよ、これ。高級な魔獣の肉を上品なソースで食うのもいいが、極限まで疲れた頭と体にガツンと効くのは、こういう脂と塩気と炭水化物の暴力なんだよ。この焦げた醤油草の風味……最高にジャンクで堪らん……」

恍惚とした表情で天井を仰ぐルーベンス様。

その姿は、昼間の『完璧で冷血無比な魔導師』の欠片もない。どこからどう見ても、深夜の安食堂で仕事の愚痴をこぼしながら飯を食う『疲れたサラリーマン(おっさん)』そのものだった。

「あの、旦那様……?」

私が恐る恐る声をかけると、ルーベンス様は焦点の合わないとろんとした目で私を見た。

「んぁ? ……あぁ、アリアか。悪い、どんぶりもう一杯いけるか? あと、もしあればでいいんだが、しょっぱい干物とか、強い酒……イモッカの熱燗なんかがあると最高なんだが……」

「えっと、イモッカなら戸棚の奥にありましたけど……って、旦那様!?」

言葉遣いまで完全に『親父モード』になっている。

私は驚きすぎて、どんぶりを受け取る手ごと固まってしまった。

実はルーベンス様、完璧主義で神経質な表の顔とは裏腹に、休日にこっそりルナミス競馬場に通い、レース帰りに汚い大衆食堂で脂っこい焼き飯をかき込みながら芋酒イモッカを煽るのが何よりの至福……という、ゴリゴリの『親父趣味』の持ち主だったのだ。

しかし、私の肉椎茸丼の凶悪なジャンクさと、極限の疲労・空腹が合わさった結果、警戒心を完全に解いてその『裏の顔』を私の前で盛大に晒してしまったのである。

「……ん?」

数秒後。

お腹が満たされ、少しだけ理性が戻ってきたルーベンス様は、空になったどんぶりと、自分のだらしない座り方、そして目の前で目を丸くしている『ルナミス帝国からの政略妻』の存在に気づいた。

ピシッ、と空気が凍りついた。

「…………」

「…………」

ルーベンス様の顔から、サァァァッと血の気が引いていくのがわかった。

彼はロボットのようにぎこちない動作であぐらを解き、ワイシャツのボタンを留め、床に落ちたネクタイを拾い上げた。

「あー……。こ、コホン。今の……いや、今のは……」

かつてないほど動揺し、氷の瞳を泳がせるルーベンス様。

私はどう反応していいか分からず、ただパチパチと瞬きをした。

「アリア。その、なんだ。……俺としたことが、少々、疲労で魔力回路が乱れていたようだ」

「魔力回路の乱れ、ですか?」

「そうだ。断じて、肉椎茸丼の美味さに理性を飛ばして親父くさい態度をとったわけではない。……絶対にだ」

必死に取り繕おうとする姿が、なんだかとても人間くさくて。

血も涙もない恐ろしい魔族だと思っていた彼が、急に不器用で、ちょっと可愛らしい不憫な人に見えてきた。

「ふふっ……」

「……なにがおかしい」

「あ、ごめんなさい。でも……なんだか、今の旦那様の方が、ずっと素敵だなって思って」

「なっ……」

私が心から微笑んでそう言うと、ルーベンス様はカッと耳まで赤くした。

「ば、馬鹿を言うな。俺はアバロンの内政を統括する冷徹な貴公子だぞ。こんなだらしない姿、誰かに知られたら威厳が……っ」

「ふふ、大丈夫です。誰にも言いませんよ。私たち、お互いに干渉しない『契約結婚』ですし。それに……」

私はどんぶりを持ち上げ、戸棚の方へ振り返った。

「秘密を守るお礼に、ピラダイの干物を炙って、イモッカの熱燗をお出ししてもいいですか? 疲労には、お酒を少し飲んでぐっすり眠るのが一番ですから」

その提案に、ルーベンス様はピタリと動きを止め、ゴクリと喉を鳴らした。

「…………本当に、あるのか? イモッカと干物」

「はい。さっき見つけました。すぐにご用意しますね」

「…………」

数秒の葛藤の末、ルーベンス様は再び深く椅子に腰掛け、ネクタイを緩めた。

そして、完全に諦めたような、それでいてどこか嬉しそうなため息をついた。

「……負けた。もうどうにでもなれ」

こうして、私と魔族の旦那様の、誰にも言えない『深夜の秘密の夜食タイム』が幕を開けたのだった。

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