EP 6
旦那様のヤキモチと、温泉の夜
「我が妻の飯に群がる害獣どもめ……。アバロンの塵と消えろ」
「はっ、やってみろよ過労死寸前の魔族! 俺の氷でツララにしてやるよ!」
コテージのダイニングで、圧倒的な闇の重力魔法を練り上げる冷徹貴公子(旦那様)と、絶対零度の吹雪を纏う銀髪のヒモニート(狼王フェンリル)が、今まさに激突しようとしていた。
私は、手に持っていたお玉を、フライパンの底にカーンッ!! と高らかに打ち鳴らした。
「ふたりとも、そこまでです!!」
私の怒った声に、二人の動きがピタリと止まった。
「もしここで魔法を使ってコテージを壊したら……今日の夕飯の『肉椎茸と豚バラのスタミナ炒め』は、ふたりとも抜きにしますからね!!」
私がビシッとフライパンの先で二人を指差すと、神話の神と魔皇国のトップは、同時にビクゥッ! と肩を震わせた。
『や、やめろねーちゃん! 俺が悪かった! 魔法はしまうから飯抜きだけは勘弁してくれ!』
フェンリルは一瞬で吹雪をかき消し、私の足元にスライディング土下座をした。
「ア、アリア。俺はただ、君に馴れ馴れしくするこの駄犬を教育しようと……」
ルーベンス様も気まずそうに視線を逸らし、スゥッと闇魔法を収束させる。
「もう……。ご飯の前は仲良くしてくださいって言ったじゃないですか。……ほらクロノも、フェンリルさんの尻尾に噛み付かないの」
『ふんっ。我の眷属の飯を狙うとは、神の風上にも置けぬ奴め。我の牙の錆にしてくれる』
私の足元では、喋るトカゲ(クロノ)がフェンリルのズボンの裾に噛み付いてポカポカと叩かれている。
魔皇国の激務から解放されて、二人でのんびり新婚旅行を楽しむはずだったのに……どうして、神様たちのお世話まですることになっているのだろうか。
「……アリア」
ため息をつく私の腕を、ルーベンス様がグッと強引に引いた。
「えっ、ルーベンス様?」
「こんな騒がしい連中を相手にする必要はない。俺たちは出かけるぞ」
ルーベンス様は、不機嫌さを隠そうともせず、フェンリルとクロノを冷たく睨み下ろした。
「おい害獣ども。俺の妻の飯を食わせてやったんだから、大人しく留守番でもしていろ。……アリア、行くぞ」
「あ、あの、どちらへ……っ?」
「決まっているだろう。……新婚旅行の続きだ」
ルーベンス様に手を引かれてやってきたのは、ポポロ村の奥地にある、木々に囲まれたひっそりとした『貸し切りの露天風呂』だった。
世界樹の根から湧き出るというその温泉は、かすかに青白く発光し、陽薬草の心安らぐ香りの湯気を立ち上らせている。
「わぁ……っ、すごく綺麗なお湯……」
脱衣所で湯着を身に纏い、そっとお湯に浸かる。
じんわりと芯から温まるお湯に、私は思わず「はぁぁ……」と気の抜けた声を出してしまった。
「……少しは、落ち着いたか」
「ひゃっ」
背後からお湯の跳ねる音がして、ルーベンス様が湯船に入ってきた。
鍛え上げられた広い胸板。水滴を滴らせた黒髪を無造作に掻き上げる仕草が、いつも以上の危険な色気を放っていて、私は思わず視線を逸らしてしまった。
「あ、あの……ルーベンス様、その、お怒りは静まりましたか?」
私が恐る恐る尋ねると、ルーベンス様は「はぁ……」と深くため息をつき、お湯の中を進んで私の目の前までやってきた。
そして、私の腰に腕を回し、そのまま自分の胸へと引き寄せた。
「る、ルーベンス様……っ、近い、です……」
「……怒ってなどいない。ただ、自分自身の心の狭さに呆れているだけだ」
ルーベンス様は、私の肩口に顔を埋め、拗ねた子供のように低く呟いた。
「俺は、君の飯を美味そうに食うあの駄犬やトカゲを見て……腹の底が煮えくり返るほど、嫉妬した」
「えっ……」
「君が俺以外の男(たとえそれが犬や神であろうと)に優しく微笑みかけ、手料理を振る舞うのが、耐えられない。……君のすべてを、俺だけが独占していたい。そんな自分勝手な独占欲を抑えきれなかったんだ」
ルーベンス様の腕に、ギュッと力がこもる。
冷徹で完璧な魔族の貴公子が、私ひとりのために、ここまで余裕をなくしてヤキモチを焼いてくれている。
その不器用で真っ直ぐな愛情が、なんだかとても愛おしくて。
「ふふっ……」
私は、彼の濡れた黒髪にそっと手を伸ばし、優しく撫でた。
「ルーベンス様は、心配性ですね。……私はルーベンス様の妻ですよ。フェンリルさんやクロノは、ただお腹を空かせた迷子みたいで放っておけなかっただけで……私が一番お料理を作ってあげたいのは、世界中でルーベンス様だけです」
私が彼を見上げて微笑むと、ルーベンス様はハッと息を呑み、氷の瞳を熱く揺らした。
「アリア……。君は本当に、俺を狂わせる天才だな」
ルーベンス様の大きな手が、私の頬を包み込む。
お湯の熱さとは違う、彼の体温が直に伝わってくる。
「俺以外の奴に無防備な笑顔を見せた罰だ。……今夜は、たっぷりお仕置きさせてもらうぞ」
「えっ、お仕置きって……んっ……」
言葉の続きは、甘く塞がれた唇に飲み込まれた。
温泉の熱気と、ポポロシガーの仄かな残り香、そしてルーベンス様の深い愛情が、私を思考の彼方へと溶かしていく。
「……はぁっ、る、ルーベンス様……っ」
息継ぎのために少しだけ離れた唇が、今度は首筋や鎖骨へと這っていく。
ゾクゾクとするような甘い痺れが全身を駆け巡り、私は彼の広い背中にすがりつくことしかできなかった。
「君は俺のものだ。誰にも、神にすら渡さない……」
耳元で低く囁かれる、独占欲にまみれた甘い愛の言葉。
ポポロ村の静かな夜空の下、私たちは誰にも邪魔されることなく、夫婦水入らずの深く甘い時間を、心ゆくまで分かち合ったのだった。
――その頃。アリアたちが留守にしているコテージのキッチンでは。
『おいトカゲ。ねーちゃんが作り置きしてくれた「肉椎茸のスタミナ炒め」、俺が7割食うからな。お前は体が小せぇんだから3割で我慢しろ』
『黙れ駄犬! 我は偉大なる賢竜ぞ! アリアの愛情は半分ずつに決まっておろうが! 貴様のその尻尾、凍らせて引きちぎってくれるわ!』
神話の神々による、アリアの『作り置きおかず』を巡る血で血を洗う争いが、こっそりと繰り広げられていたのだった。




