EP 4
迷子のトカゲ(始祖竜クロノ)と絶品おでん
ポポロ村での滞在二日目の夜。
コテージのキッチンからは、醤油草の甘辛い香りと、豊かな出汁の匂いが立ち上っていた。
「よし、大根にもしっかりお出汁が染み込んでるわね」
大きなお鍋の中でグツグツと煮込まれているのは、ルナミス帝国でもお馴染みのファミレス『ルナキン』風を再現した、アリア特製の『ポポロおでん』だ。
分厚く輪切りにした『月見大根』は、黄金色の出汁をたっぷりと吸い込み、中心まで琥珀色に透き通っている。その横には、ステーキのような弾力を持つ『肉椎茸』、シープピッグの豚挽き肉を詰めた油揚げの巾着、そして黄身がトロトロの『トライバードの半熟卵』が、ところ狭しとひしめき合っていた。
「アリア……。その匂いだけで、俺はイモッカを三杯は空けられるぞ」
ダイニングテーブルで待ち構えていたルーベンス様は、ワイシャツの袖をまくり、熱燗のお猪口を片手に、完全に『親父モード』の緩みきった顔でお鍋を見つめている。
「ふふっ、お待たせしました! 今夜は冷え込むので、熱々のおでんにしましたよ」
お皿にたっぷりとよそい、湯気を立てるおでんをテーブルに置く。
ルーベンス様はさっそく、一番出汁を吸っていそうな月見大根に箸を入れ、口に運んだ。
「……っ! ッッッあーーー……っ!!」
ルーベンス様は天を仰ぎ、深く、長いため息を吐き出した。
「美味い……。大根が口の中で溶けるのと同時に、肉椎茸と豚肉の強烈な旨味が溶け出した出汁が、滝のように溢れてきやがる……。最高だ、アリア。君は天才か」
「えへへ、良かったです」
冷徹な魔皇国の貴公子が、ハフハフと火傷しそうになりながらおでんを頬張り、イモッカの熱燗をクイッと煽る。その幸せそうな顔を見ているだけで、私の胸はいっぱいになるのだ。
私たちが平和で温かい夕食を楽しんでいた、その時だった。
『――深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている。……故に、我はこの虚無を埋める真理を求め、流浪する者なり』
「えっ?」
突然、テラスの開け放たれた窓辺から、地を這うような、ひどく厳かで重々しい『声』が響いた。
驚いて振り向くと、そこには一匹のトカゲがちょこんと座っていた。
犬くらいの大きさで、背中にはゴツゴツとした岩のような鱗がある。ルナミス帝国でもよく見かける、飛べない竜『ジオ・リザード』の子供のようだ。
しかし、ただのトカゲではない。その口はパクパクと動き、確かに言葉を発していたのだ。
「喋るジオ・リザード……いわゆる『賢竜』というやつか」
ルーベンス様が箸を止め、面白そうに目を細めた。
「だが、あいつが今喋っているのは現代語じゃない。神話の時代に使われていた『古代竜語』だ。俺も多少は知識があるが、難解すぎて何を言っているかまでは聞き取れんな」
ルーベンス様でさえ解読できない古代の言語。
しかし、私には、頭の中で【翻訳】スキルが自動的に作動し、そのトカゲの言葉がはっきりと日本語(現代語)として変換されて聞こえていた。
『――世界は力への意志なり。我が胃袋で鳴り響くこの雷鳴は、破壊の予兆か、はたまた再生の産声か。ツァラトゥストラはこう語った。我に、供物を捧げよと!』
偉そうな声で、ものすごく哲学的なことを語っているように聞こえるトカゲ。
私は思わず、手に持っていたお玉をコトッと置いて、クスッと笑ってしまった。
「アリア、あいつが何を言っているか分かるのか?」
「はい、ええっとですね……。要するに、『お腹がペコペコで死にそうだから、そのいい匂いのするご飯を一口恵んでください』って言ってます」
「…………は?」
ルーベンス様がポカンと口を開け、窓辺のトカゲも『ギクッ!?』としたように肩(?)を跳ねさせた。
「あ、あれ? 違いましたか? 深淵がどうのって言ってましたけど、要するに『胃袋が空っぽ』って意味ですよね?」
『な、なぜ我が崇高なる古代哲学の隠喩を、そこまで俗っぽく、かつ的確に直訳できるのだ、小娘……!?』
「あ、また言ってます。『どうして俺のポエムを一瞬で見破ったんだ』って」
『ポエムと言うなァァァッ!! 我は始祖――ゴホンッ、気高き賢竜なり!』
顔を真っ赤にして(トカゲなのに)ジタバタと地団駄を踏む姿が、なんだかとても可愛らしい。
「ふふっ、迷子になっちゃったんですか? 可愛いトカゲさん。お腹が空いているなら、一緒におでんを食べますか?」
私が小皿に、出汁の染みた月見大根と、お肉がギュッと詰まったシープピッグの巾着を取り分けてテラスに置いてあげると、トカゲは「ふんっ」とそっぽを向いた。
『我をその辺の野良犬と一緒に――クンクンッ。……なんだこの、暴力的なまでに食欲を刺激する香りは』
トカゲは抗えない引力に引き寄せられるように小皿に近づき、警戒しながらも、巾着を一口パクリと齧った。
その瞬間。
トカゲの目から、ボロボロと滝のような涙が溢れ出した。
『美味ェェェェェェェッ!? なんだこれは!? 噛んだ瞬間に溢れ出す、獣の脂の甘みと、醤油草の芳醇な香り! 全てを優しく包み込む出汁の海! 神蟲魔大戦の時代から何千年と生きてきたが、こんな美味い食い物は初めてだァァァッ!!』
あまりの美味しさに哲学的なキャラも崩壊し、トカゲは猛烈な勢いでおでんをガツガツと平らげていく。
「あはは、ゆっくり食べてくださいね。まだお鍋にたくさんありますから」
『ツァラトゥストラはこう語った! 否、アリアはこう語った! これぞ至高の真理!! お代わりを所望する!』
私が次々とおでんを取り分けてあげると、トカゲはすっかり私に懐いてしまい、私の足元にスリスリと頭を擦り付け始めた。
「可愛いなぁ。ルーベンス様、この子、おでんがすごく気に入ったみたいですよ」
私がしゃがみ込んでトカゲの背中を撫でていると、ルーベンス様は少しだけ眉間にシワを寄せ、面白くなさそうにため息をついた。
「……まぁ、ただの腹を空かせた賢竜の子供だろう。アリアが嬉しいならペットにしてもいいが……おい、トカゲ。俺の妻の飯を横取りするなよ。それは俺のものだ」
ルーベンス様は、完全に『自分のおでん(と妻の愛情)を取られるのではないか』という、大人げないヤキモチを焼いているらしい。
『ふん、都会の優男が。我はこの偉大なる料理人(超人)の眷属となることをたった今決めたのだ! 貴様などに負けぬわ!』
「えっと……『旦那さんには負けないぞ』って言ってます」
「ほう……? ジオ・リザードの分際で、魔皇国の内政統括であるこの俺に喧嘩を売るとはいい度胸だ。お前は明日から、一生ゲロオムレツの刑にしてやろうか」
「る、ルーベンス様、トカゲさんに大人気ないヤキモチ焼かないでください!」
私とルーベンス様、そして喋る迷子のトカゲ。
にぎやかで、心温まるポポロ村の夜。
――しかし、この時の私たちはまだ知る由もなかったのだ。
おでんの旨味に釣られてアリアのペット(眷属)になることを誓ったこの小さなトカゲが、かつての古代大戦で世界を滅ぼしかけた、あの伝説の『始祖竜クロノ』の仮の姿であったということを……。




