EP 3
ネギオ師匠とのレスバ対決
村外れにある、木造りの温かみのあるコテージ。
荷物を下ろした私たちは、さっそく夕食の準備に取り掛かっていた。
「ふふ〜ん♪」
私は鼻歌を歌いながら、エプロンをきゅっと結び、市場で買い込んできた新鮮な野菜たちをキッチンに並べた。
窓の外のテラスでは、ルーベンス様が椅子に深く腰掛け、買ってきたばかりの最高級『ポポロシガー』に火を点けて、至福の表情で紫煙をくゆらせている。
平和だ。アバロン魔皇国での、あの殺気立った執務室の空気が嘘のようだ。
「よし。お肉の下ごしらえをして……あとは、香りの良いおネギがあれば完璧なんだけどな」
ルナミス帝国でもお馴染みの『ネギと豚肉の胡麻油炒め』を作る予定なのだが、市場でネギを買い忘れてしまったのだ。
「ルーベンス様、すみません。少しだけ裏の畑の方へ、ネギを分けてもらえないか見てきてもいいですか?」
私がテラスから声をかけようとした、その時だった。
「ほう。良い葉巻を吸っているじゃねえか、都会の優男」
ガサガサッ! とテラスの前の茂みが揺れ、そこから『緑色の謎の生物』が姿を現した。
「ひゃっ!?」
私は驚いて声を上げた。
それは、世界樹の葉と蔦で構成された人型の植物……いや、植物にしてはあまりにもふてぶてしい顔つきで、おまけに左腕には、身の丈ほどもある巨大な『ネギ』を剣のように構えている。
「俺はネギオ。このポポロ村で至高の哲学と葉巻を愛する者だ。……おい、そこの魔族の兄ちゃん。そのシガーの煙、素人が吸うにはちと早すぎるんじゃねえか? 俺と『存在論』についてディベート(論破対決)をしようじゃねえか。負けたらその葉巻、俺によこしな」
なんと、緑色の植物人間が、ルーベンス様に向かって堂々とレスバ(口喧嘩)を挑んできたのだ。
ルーベンス様は、手に持っていたポポロシガーの灰をトントンと落とすと、氷の瞳でネギオを冷ややかに見下ろした。
「……世界樹の生体兵器の突然変異体か。エルフの森を飛び出して、こんな辺境で葉巻のパツキン(カツアゲ)とは、随分と落ちぶれたものだな。ただの雑草が、アバロンの内政統括であるこの俺に口戦を挑もうとは片腹痛い」
ルーベンス様の、容赦のないド直球の皮肉。
しかし、ネギオも負けてはいなかった。
「ハッ! 権力と肩書きでしか己を語れねぇとは、哀れな都会の歯車だぜ。てめぇのアイデンティティは、そのスーツと名刺にしか存在しねぇのか? 裸の魂で語り合えねぇ奴に、ポポロシガーを味わう資格はねぇ!」
「ほぅ? 言うじゃないか、このネギもどきが。貴様のその安っぽい哲学こそ、本を数冊読んだだけのガキの戯言だろう。俺の積んでいるストレスと疲労の前に、そんなペラペラな論理が通用すると――」
バチバチバチッ!!
テラスで、アバロン魔皇国No.2の冷徹貴公子と、ポポロ村の論破王ネギオによる、高度で大人気ない煽り合いが始まってしまった。
(ど、どうしよう。せっかくの旅行が、喧嘩になっちゃう……!)
私が慌てて止めに入ろうとテラスに飛び出した、その瞬間だった。
私の目に、ネギオの左腕に握られている巨大な『ネギの剣』が飛び込んできた。
ツヤツヤとしていて、根本は真っ白。そして葉の先は鮮やかな緑色。
水分をたっぷりと含んだそのネギは、私が今まで見たどんなネギよりも、圧倒的に……。
「わぁぁ……っ! なんて美味しそうな、立派なおネギ!!」
「「……は?」」
バチバチと睨み合っていたルーベンス様とネギオが、同時にポカンと口を開けて私を見た。
「あのっ、ネギオさんと言いましたか!? その左腕のおネギ、とっても瑞々しくて最高ですね! 根本の白いところは甘みが強そうですし、青いところは香りがバツグンに良さそうです!」
「お、おう? そ、そうか? こいつは俺の誇る聖剣ネギカリバーで……」
「これ、少しだけ削っていただいてもいいですか!? ちょうど今夜、旦那様が大好きな『ネギと豚肉の胡麻油炒め』を作ろうと思っていたんです!」
私はネギオの剣にズイッと詰め寄り、目をキラキラさせてまくし立てた。
「あのですね、分厚いシープピッグの豚バラ肉から出た甘い脂と、芳醇な胡麻油を、この最高のおネギに吸わせて、強火で一気にジャッ! と炒めるんです。シャキシャキの歯ごたえを残したまま、焦げた醤油草の香ばしさを纏わせれば……もう、お酒が無限に進む最強のおかずになるんですよ!」
「……っ!」
私の熱弁(というかただのB級グルメの調理実況)を聞いたネギオは、ビクゥッ! と肩を震わせた。
「だ、旦那さんが……大好物……だと……?」
「はい! うちの旦那様、すっごくお仕事を頑張って疲れているので、ネギオさんのこの極上のおネギを食べたら、きっとすっごく笑顔になってくれると思います! ネギオさんのおネギで、旦那様を元気にさせてくれませんか!?」
私は両手でエプロンをきゅっと握りしめ、純度100%の「旦那様にご飯を作ってあげたい」という願いを込めて、ネギオを真っ直ぐに見つめた。
「…………〜〜〜〜っ!!」
ネギオは、顔(?)を真っ赤……いや、元の緑色から赤茶色に変色させるほど茹で上がり、数歩後ずさった。
「くそっ……! 『家族への愛』と『食の喜び』という、根源的で圧倒的な肯定感……! どんな屁理屈をこねようと、愛する者の胃袋を満たそうとする妻の純粋な祈りの前には、小賢しい哲学など無力……っ!」
ネギオはブツブツと哲学的な敗北宣言を呟くと、ガクンと膝をついた。
「ま、負けたぜ……。見事な論破だ、姉ちゃん。俺のアイデンティティたるネギカリバーを、単なる『美味い食材』として、しかも旦那への愛のために所望するとは……。完敗だ!」
(え? 論破……? 私はただ、美味しそうだからお料理に使いたいって言っただけなんだけど……)
ポカンとする私の前で、ネギオは左腕のネギカリバーを惜しげもなくザシュッ! と切り落とし(すぐにニョキッと新しいものが生えてきた)、私に差し出した。
「持っていきな! そして、たっぷりの胡麻油で、最高に美味く炒めてやってくれ! 旦那さんに食わせて、精をつけさせるんだな!」
「わぁ! ありがとうございます、ネギオさん! 大切にお料理しますね!」
私が嬉々として巨大なネギを受け取ると、ネギオは満足げに立ち上がった。
「ふっ……良い夫婦じゃねえか。都会の兄ちゃん、あんた、良い奥さんもらったな。俺の負けだ、葉巻は諦めて帰るぜ」
背中を向けて去ろうとするネギオ。
しかし、その背中に、ポーン、と一本の真新しい『ポポロシガー』が投げ渡された。
「……持って行け」
ルーベンス様だった。
彼は呆れたような、けれどどこか楽しそうな笑みを浮かべて、葉巻をくわえ直した。
「妻に免じて、一本恵んでやる。……うちのアリアは、どんな分からず屋でも一瞬で手懐ける、世界最強のテイマーだからな。お前が勝てる道理がない」
「へっ……ありがたくもらっとくぜ、旦那!」
ネギオはニヤリと笑い、葉巻を掲げて茂みの奥へと消えていった。
「ふふっ。ネギオさん、不思議な人でしたけど、とってもいいネギをくれましたね!」
私がネギを抱えてニコニコしていると、ルーベンス様は深いため息をつき、私の額にコツンと自分の額をぶつけてきた。
「……君は本当に、恐ろしい女だ。エルフの生体兵器の精神を、胡麻油の匂いと俺へのノロケだけで完全破壊(論破)するとは」
「ええっ!? そんなつもりじゃ……」
「だが、気分は悪くない」
ルーベンス様は私の鼻先を軽くつまみ、甘く目を細めた。
「俺のために、そんなに必死に極上のおかずを求めてくれるんだからな。……さぁ、アリア。俺の胃袋は、もうその『ネギの胡麻油炒め』を受け入れる準備が完全に整ってしまっているぞ」
「ふふっ、お任せください! すぐに作りますから、ルーベンス様はイモッカの熱燗を用意して待っていてくださいね!」
こうして、私たちは村の論破王ネギオから『至高のネギ』を無自覚にカツアゲすることに成功し、ポポロ村での最初の夜を、極上のB級グルメとともに最高に幸せな気分で過ごすことになったのである。




