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EP 11

家族の暴言と、アリアの決意

「……お断りします。私はもう、ルナミス帝国には帰りません」

私の口から出たその言葉に、応接室は水を打ったように静まり返った。

ギオン義兄様は、ポカンと間抜けに口を開けた後、信じられないものを見るように目を瞬かせた。そして、腹の底から絞り出すような、嫌悪感に満ちた低い声で凄んだ。

「……今、なんと言った? アリア」

「だ、だから……帰りません。私はアバロン魔皇国で、ルーベンス様の妻として生きていきます」

震えそうになる声を必死に抑え、私はもう一度ハッキリと告げた。

「はっ……ははははっ!」

突然、義兄様は狂ったように大爆笑し始めた。背後に控えていた帝国の護衛兵たちも、せせら笑うように肩を揺らしている。

「おいおい、頭がおかしくなったのか? この名門クロイツ家の汚点、正真正銘のゴミくずであるお前が、魔族の『本当の妻』になったつもりでいるのか? 鏡を見てから物を言え!」

義兄様の口から飛び出すのは、刃のような暴言の数々だった。

「お前が五歳のスキルの儀式で【翻訳】などという無能な力を引き当てた時、父上も俺もどれほど絶望し、恥をかいたか! お前はクロイツ家の泥だ。生きて呼吸をしているだけで我が家の価値を下げる、不良品なんだよ!」

「…………っ」

「そのお前を、帝国軍の兵器開発のために『部品』として使ってやると言っているんだ。屋根裏で一生『黄色い悪魔ゲロオムレツ』をすするだけの人生から、国のために死ねる名誉を与えてやると言っている。嬉し泣きしながら這いつくばって感謝するのが、お前のような無能の義務だろうが!」

かつての私なら、この言葉の暴力に打ちのめされ、泣きながら謝っていただろう。

『不良品』『ゴミくず』『無能』。その言葉たちは、長年私を縛り付け、心を殺してきた呪いだったからだ。

「おい、そこの魔族」

義兄様は、私を庇うように立つルーベンス様に向かって、嘲るような視線を向けた。

「この無能の扱いに困っていたのだろう? 条約の対価とはいえ、こんなガリガリのゴミを押し付けられて迷惑していたはずだ。安心しろ、俺たちが責任を持って回収し、帝国の兵器として死ぬまでこき使ってやる。……おいアリア、さっさとこっちへ来い!」

義兄様が、私の腕を掴もうと一歩踏み出した。

バンッ!!

「ひっ!?」

義兄様の手が私に触れるより早く、彼と私の間を遮るように、漆黒の炎が床に突き刺さった。

ルーベンス様が指先から放った闇魔法だった。絨毯が焦げ、危険な魔力がバチバチと火花を散らしている。

「……俺の妻に、その汚い手で触れるなと言ったはずだ」

ルーベンス様の声は、まるで地獄の底から響いてくるように低く、冷酷だった。

その瞳は絶対零度の殺気を帯び、魔皇国の内政統括としての理性を完全にかなぐり捨てた、恐るべき『魔族』の顔をしていた。

「なっ……貴様、ルナミス帝国の使者である俺に攻撃する気か! 皇帝マルクス陛下への反逆とみなすぞ!」

義兄様が顔を引き攣らせながらも、腰の剣に手をかける。彼の体から、魔力と生命力を融合させた『闘気オド』が立ち上り始めた。

「ルーベンス様、待ってください」

私は、ルーベンス様の前にそっと歩み出た。

彼に守ってもらうだけじゃない。私自身の口で、この呪いを断ち切りたかったから。

「アリア……」

「大丈夫です、ルーベンス様」

私は彼に微笑みかけると、義兄様に向き直った。

もう、足の震えは止まっていた。ルーベンス様の大きな手が、私の肩をしっかりと支え、温もりを与えてくれていたからだ。

「お義兄様。……確かに私は、ルナミス帝国では無能な不良品だったのかもしれません。毎日カチカチの石化クラッカーをかじり、誰からも必要とされず、屋根裏部屋で泣いていました」

私は、ゆっくりと、しかしハッキリとした声で紡ぐ。

「でも、ここは違います。私が作った『肉椎茸丼』を、心から美味しいと食べてくれる人がいます。私の淹れた『陽薬草茶』で、ぐっすり眠れると言ってくれる人がいます。私の【翻訳】スキルを、国の至宝だと、自分の誇りだと言ってくれる人がいるんです!」

義兄様の顔が、屈辱と怒りで歪んでいく。

「ゴミくず」が自分に口答えをしていることが、実力主義の彼には信じられないのだろう。

「私はもう、お義兄様たちの便利な『道具』ではありません。私は、アバロン魔皇国・内政統括ルーベンス様の妻、アリアです。あなたたちの命令に従う義理は、何一つありません!」

言い切った。

生まれて初めて、家族に向かって自分の意思を叩きつけた。

胸の奥に閊えていた黒い靄が、一気に晴れていくような清々しさがあった。

「……この、恩知らずのクズがっ!!」

義兄様の堪忍袋の緒が切れた。

彼は交渉や外交特権という立場すら忘れ、顔を真っ赤にして剣を抜いた。

「魔族に甘やかされて勘違いしおって! お前のような無能は、一生俺たちの靴を舐めて這いつくばっていればいいんだ! 歩かないと言うなら、その両足をへし折って、髪の毛を掴んででも引きずり帰ってやる!」

義兄様の剣に、真っ赤な炎と闘気が融合した『魔闘術』の刃が宿る。

「死なない程度に痛めつけてやる! 覚悟しろ、アリアァァッ!」

義兄様が、凶悪な魔闘剣を振り被り、私に向かって跳躍した。

――だが。

その刃が私に届くことは、永遠になかった。

「……ルナミスのゴミども。誰の妻の足をへし折るって?」

私の背後で。

応接室の空間そのものが歪むほどの、圧倒的で、絶望的な漆黒の魔力が膨れ上がった。

部屋中の光がスゥッと吸い込まれ、昼間だというのに、まるで真夜中のような闇が応接室を包み込む。

それは、最愛の妻を侮辱され、害されそうになった冷徹貴公子が、ついに『本気』の怒りを解放した瞬間だった。

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