6:視ているものは同じであるが
ごめんなさい! 遅いのに短くなってしまいました!
目を瞬かせるテリアの前で朔夜は笑いかけながらテリアにとって思いもよらないことを口にした。勿論、先の言葉の事である。
朔夜の「街に行かないか?」という言葉にテリアが驚くのも無理はない。なぜならテリアにとって街とはただの食料保管倉庫であるからだ。引きこもる前、食料を補給するために何度か立ち寄ったことはある。しかし、街とはそれだけの縁しかない。
だからこう言った。
「朔夜は街に行かなければならないほど飢えているのか?」
朔夜の笑顔にピシリと亀裂が入り、開いた窓からは暖かさとは程遠い冷たい風が舞い込んだ。え、ちょっと待って? そんな言葉が朔夜の頭の中を巡る。テリアの気分転換になればと思い連れ出そうとしたというのに、なぜ飢えているのか等と問われなければならないのか、最早朔夜には意味不明だった。
「いや、待って。聞いてもいいか?」
「何をだ?」
「街に行くのに飢えてるってどういうこと?」
言い方的にはどこかソフトな感じだが、実際には絶対に聞き出そうと思っている朔夜。テリアの肩を両手でがっしりと掴む。このままテリアを外に出したらまずいと本能が告げた。
もしもこんなことを街のど真ん中で叫んでしまったらどうする? 好奇の視線ならまだしも非難されたらもう街を出歩けない。
「飢えてるから街に行くんじゃないのか?」
キョトンとしたテリアのそんな表情はこれから何度も朔夜が見ていくはずのものだ。それを知らない朔夜は脳内での処理が追いつかずオーバーヒート。そして、一気に冷静になった。
「お前が街に対してどんなイメージを持っているかは大体分かった。そのうえで言う。絶対に外でそんなことを言うな」
「なん――」
「何でもだ」
テリアの言葉を遮りながら強い口調で言い切った朔夜は、そのままこの部屋に居るように告げて足早にシャワー室へと向かう。
一人残されたテリアはしばらく朔夜の言葉に口を開けて驚きを顕にしていたが、次第に不機嫌になってきたようだ。じっとしているのは性に合わないとでもいう風にベッドに上って窓から下を見下ろす。眼下では昨日の朔夜と同じ服を着た男たちとそれに似たようなデザインと色合いの服を着た女たちが歩き、時に走っていた。
◇◇◇◇◇◇
お湯の粒が髪や体にあたり、汗や臭いを洗い流していく。時折夢のことすらも洗い流してくれるのではないかと淡い期待を抱くが、期待するだけ無駄だと言うようにいつまでもヘドロのようにこびりついて朔夜の心を締め付ける。
――さ、くや……。だい、じょ……ぶ、?
あのあと、自分は何をしたのだろう。何をしてしまったのだろう。そんなことを考えずにはいられない。その言葉のあとの記憶は抜き取られたかのように消え去っていてどう頑張っても思い出せない。覚えている記憶すらも所々が消えかかっている。
蛇口を閉め、扉を開けた先で乱暴に水気を拭う。用意してあったシャツを着て、上から制服を着る。
シャワー室から出て視界に入ったものは、一心不乱に窓にかじりついて今にも落ちてしまいそうな少女だ。窓から手を出しているというわけではない。窓枠に手とお腹をのせてそれにだけ体重をかけているのだ。足は浮いて、頭よりも高い位置にある。
「ちょ、おいこらあほか! なにやってんだよお前は!」
「下を見ていた。やることもないならば少しでも知識を蓄えた方が良いと思ってな」
「いったい何が面白いんだか。お前にはここから何が見えて何を学べる?」
テリアの下半身だけををベッドの上へと戻した朔夜は同じように窓から下を向く。どうやっても上半身は離れないのだ。
目に見える景色は朔夜にとっては日常がほとんど変わらずに進んでいるようにしか見えないというのに。
テリアの表情は真面目だ。よく言えば真剣。悪く言えば人形だと朔夜は思う。黙っているだけでも異質な存在感がある。
朔夜は改めて自分が興味をひかれなくとも、テリアにとってはどれも興味深いものなのだろうと思った。
「見えているものは同じだろう。ただ受け止め方が違うだけだ」
時に馬鹿と天才は紙一重と言う。常人では想像もつかない着眼点から優れた研究や作品を生み出す者を天才と言い、常識を知らない者を馬鹿と言うそうだ。常人には想像がつかなすぎて常識が分からないのではと思われるからこそ、馬鹿と天才は紙一重なのだ。
テリアはそのどちらなのか朔夜には謎で仕方がなかった。
「ところで、街に行くのではなかったのか?」
悩んでいた朔夜に子供のような純粋な瞳を向けているテリアは本当に別人のようだ。
「……目立つよな、やっぱり」
朔夜のいうその言葉が指し示すのはこの空間に似つかわしくない異質な少女。紅色の髪と瞳だけでも珍しいというのに端正な顔立ちとこの喋りかた。今はマントを着ていないからそれほどでも無いが、着ていれば不審者と間違われかねないこの服装。
それを見て苦肉の策として選んだのが変装である。
「テリア、髪の色とか瞳の色って変えたりできるか?」
「当たり前だ。私を誰だと思っている? 服も変えられるし、対して苦労もない」
「なら、良かった。黒目黒髪の人間みたいになってくれるか? 服は女子用の制服で頼む」
テリアはベッドの上に立ち上がって白銀色の光を纏う。足元に円環が出現し、複雑怪奇な紋様が描かれる。やがてその円環から現れたベールのような光がテリアを包み込む。絡まったその様は繭のようだった。眩しい光に朔夜は思わず眼を瞑る。光はすぐに熔けて消え、そのあとに見えた姿の方に朔夜は息を飲んだ。
紅い髪と瞳は朔夜と同じ黒へ、服は白を基調とした女子用の制服へと変わる。手首には細い金の腕輪が。
その容姿はただの学生とはどこか深いところで異なっていた。消え去った白銀色の光の代わりに凛とした空気を纏う。そんな人物を誰がただの学生だと思うだろうか? 否、ただの学生だと思う者などはいないだろう。それほどまでにかけ離れた美しさなのだから。
「これでどうだ!」
朔夜は正直には言わないが、見とれていた。素直に美しいと思ったのだ。そして同時に残念にも思う。
もともと人の視線を集めないために変装してもらおうと思ったのだ。なのにこれでは意味がない。
テリアは結局、目立つことになるのだろう。
「早く! 急げ! 町に行くぞ!」
小さな子供のようにハイテンションで跳ねまくるテリアとそれをあしらう朔夜は互いに心を許しあってるように見える。
朔夜の心の中にはとある思いが芽生え始めていた。
◇◇◇◇◇◇
現在の時刻、午後零時丁度。
日本帝国の中心地、中央都市神楽坂の大通りはいつも活気に湧いている。計算し尽くされた白亜の石畳と白石造りの建物の絶妙な組み合わせに瑞々しい緑が映える。どんな色も輝きを忘れず人々を楽しませ、皆がそれを堪能するのだ。
現象には理由がある。人々がいつもより騒がしいのは、新入生という顧客を確保するチャンスだからだ。どこの店も値下げをし、クーポンを配るのだ。
制服を着ている子供たちや、辺りを飛び交う聖霊たちが全身で喜びを表している。外出許可が出たばかりで始めて見るものも多く興奮しているのだろう。
そんな中、たったひとりだけ買い物袋一つ持っていなければ笑ってもいない者がいる。正しく言えば幸せだと言い表せないような冷えきった笑みは浮かべているのだ。
米神に青筋を浮かべ、正しく鬼の顔と呼ぶのが正しい笑みを張り付けているその男は、三武朔夜その人だった。
その傍らには先程まで一緒だったテリアの姿はない。町に出て凡そ二十分しか経っていないというのにだ。その間に朔夜を置いて消え去ったのだ。なんという落ち着きのなさだろうか。外見がどれだけ変わろうが中身は変わらないことを朔夜は身をもって思い知った。
「くそっ! どこに行ったんだ本当に!」
この大通り、広いところは六メートル程の幅がある。狭いところでも確実に四メートル程はある。朔夜一人では確実に探せないだろう。だがそれでも探すしかないのだ。朔夜自身、面倒を引き起こす側、引き寄せる側である。それでも探すのはこれ以上面倒に巻き込まれたくないから。そして学院からの信用を落としたくないからだ。
契約聖霊の不始末は契約者の不始末。テリアが何かすれば責任は全て朔夜へと回る。目的のためにも必ずや学院内の頂点をとりたい朔夜は始まってもいないところから負けるわけにはいかないのだ。
テリア探しを再開した朔夜は、走りながら一人毒づいた。
「あの小娘、見つけ出したら絶対にぶん殴る……!」
◇◇◇◇◇◇
同時刻、大通りから一本裏に入った道で黒目黒髪の少女が走っていた。言うまでもなく、変装したテリアである。食べ物の匂いにつられてふらふらと店という店を回っていたのだが、不意にとんでもなく良い匂いがしたのだ。朔夜に目立つなと言われたから裏道への道を探してその勢いで走っていたのである。
そしてある家の前でその足を止めた。
一見なんの変哲もない民家だが、一ヶ所だけ他と違っているところがある。
扉の真ん中からかけられた、黒い石板に描かれたOPEN の文字。よごれからか、少々灰色へと変化した壁や扉と並べるとやはり目立つのだ。しかしテリアはそれを見て立ち止まった訳ではなかったのだ。先程の特別な匂いはこの家から発されている。テリアは匂いにつられてやって来たのだった。
テリアは聖霊であるがゆえに人間よりも五感が発達している。今回は嗅覚を使っての探索だったがいざとなれば他の感覚でも探索は可能である。
「ふふ、いったい何が出てくるのだろうな?」
いつまでも店の前で立ち続けているわけにはいかない。髪を風の思うままに靡かせて、颯爽と足を動かした。
重厚な扉を開け、言いはなったのは――!
「さあ、この私に甘味を献上しろ!」
「……迷子か?」
「違う!」
大声で叫んだテリアに対し、至極真っ当な疑問を返したのは右奥のテーブルを拭いていた端正な顔立ちの男だった。男からしてみれば飛び込んできた不審人物がいきなり可笑しなことを叫ぶのだから頭がどうかしてるのかと思うのは当然のことだろう。
そしてテリア。反射的に噛み付いてそのままずかずかと入り込み、その男の元に向かった、わけではなく。
――厨房へと足を向けた。
「待て。チビ助ちょっと止まれ」
「誰がチビ助だ! この手をどけろ!」
足早に戻ってきた男の手によって、ぶら下げられる形で止められたテリア。猫のようだ。
「手をどけろったって、放すと厨房へ行くだろうお前」
呆れたように言う男のことを下から睨んで、爪でガリガリと男の肌を引っ掻く。
「当たり前だ。何のために此処に来たと思っている?」
「知らん。黙れ」
「ふざけるな!」
というようなやり取りが十分ほど続いた後、男にとっては一応救世主と思われる人が来た。あくまで一応である。
「たっだいまー! さあ、私に甘味を寄越すのだぁー!!」
自身の黒い髪を左側で編み込みにしたハイテンションな少女が先程のテリアと似たような台詞を口にしながらやって来た。
満面の笑みを浮かべた塔野茜がそこにいた。
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