4:闘いの後の静寂
言霊を紡ぎ終わった二人は互いに距離をとる。闘技場の端と端にまで下がったのだ。相手の実力が分からない時は距離をとるのが最善だ。二人とも戦い慣れているのだろう。
「私は心が広いからな。一番手は譲ってやる」
「そうか。ならありがたく、小手調べといくか!」
鋭く光る白銀の髪をかき上げて、テンドリシアは不敵に嗤う。対して朔夜は深く濃い淡群青の瞳を見開き愉悦に顔を歪ませる。
「拘束結界、炎の陣」
朔夜が呟いた言霊に反応し、テンドリシアの腰の回りに小さな円環が現れる。赤色の円環だ。その数十二。さらにその回りを紅い壁が囲んでいく。上下左右を囲まれてさすがのテンドリシアも焦ったようだ。
「ちっ、これは!」
「爆ぜろ」
刹那、テンドリシアは轟音と光と炎に呑み込まれた。朔夜は静かに臨戦態勢で見守る。
壁のなかは煙で溢れかえり、中の様子はもちろん見えず、まともに息も出来ない状況だ。煙一筋壁の外に出ることは無い。しかし、煙が消えていく。否、固まっていく。煙だった固まりが薬莢のようにからんと地面に落ちたとき身体にも衣類にも焼け跡一つ残っていないテンドリシアが現れた。ゆっくりとまっすぐに朔夜のもとへ歩み寄る。途中、目の前にある結界を右手に表した円環でガラスを握り潰して破壊する。色を失った結界は光を失い砂となって消えていく。
「致死性の法術だったけど、お前には効かないのか」
予想はしていたという朔夜の言葉にテンドリシアは言葉を選んだ。
「そうでもない。私に防御霊術を使わせたんだ、誇って良い。しかも今の結界霊術は人間が使うには三人用だったはずだ。式の構築も速い。お前、本当にただの学生か?」
空気が変わった。テンドリシアにこの空間を掌握されたかのような錯覚。圧倒的な威圧感。威光だけですべてを従える聖霊を前に、人間は立っていた。
理由は単純。ただの意地だ。圧倒的な力を前にして体が震えていても地に足を着かない。
息は荒く、大量の汗が流れる。
「本当にただの学生だよ。それよりもそういうお前は何なんだ? あの空間で息ができて、煙を固形物にして、結界を破る。ただの聖霊とは思えないな」
確かにそうなのだ。煙は重力霊術の応用で回りから力をかけて圧縮し、結界を破ることについては同じ壊しかたは出来なくても朔夜にも壊すことはできる。ただ息ができることが不思議なのだ。
それに口では簡単に言えるが重力霊術が使える人材が貴重だし、回りから力をかけて圧縮するといっても力の加えかたが甘かったらすぐに戻ってしまう。絶大な集中力だって必要だ。そのあとすぐに結界を破ったことについては驚きを感じ得ない。朔夜が知っている方法はプロが使っているものだが、その方法でも破るのには時間がかかる。どちらも自分の技量に自信が無ければ選べないはずだ。それも瞬時になど考えてることも正気を疑われる。
どれをとってもこの聖霊は規格外なのだ。
「そうか。私に勝ったら教えてやっても良い。だが」
テンドリシアは一度言葉を区切る。
「私は真剣に戦っている。だから誠意を持ってお前を倒す。負けるわけにはいかない」
そう言ったテンドリシアは右手を朔夜へと向けた。朔夜の回りに大小様々な円環が現れる。数は増え続け、やがて頭から足元までを囲んだ。
そして。
「爆ぜろ」
大地が揺れた。先程とは桁違いの轟音が、熱が、光が、炎が闘技場を呑み込んでいく。
テンドリシアは一時も警戒を緩めなかった。むしろ警戒を強めた。自分の霊術の威力は自分が一番よく分かっている。それなのに予測以上に爆発の規模が大きい。
やがて煙が晴れ、無傷の朔夜が現れた。これにはテンドリシアも驚きを感じ得なかった。
「無傷……? 爆発の規模からすると、……まさか反射霊術?」
「その通り」
突然姿が消え、いつの間にか迫ってきた朔夜が腹を殴った。テンドリシアは勢いよく吹っ飛び壁に打ち付けられる。壁には皹が入り暴風が巻き起こる。
「がはっ!」
血へどを吐いて地面に落ちたテンドリシアに十分な距離をとって話しかけた。
「お前は正々堂々と戦うと思った。だから賭けだったけど同じ術でくると思ったんだ」
風の刃が朔夜の後ろに現れる。間一髪でそれを避けた時にはテンドリシアは体勢を立て直していた。
術の勝負では敵わないと思ったのだろう。朔夜は肉弾戦に持ち込んできた。魔術師は普通自分の力に溺れて肉弾戦の努力をしない。しかし二人とも肉弾戦に関しても気を抜かなかった。テンドリシアを右足で蹴る。それを辛うじて防ぎ、距離をとる。
「舐めるなよ、貴様っ!」
一転して飛び込んできたテンドリシアと拳を交わす。それぞれが防御霊術を展開し、朔夜が拳を避けカウンターで蹴り返す。その蹴りを防御霊術で防ぎ、背後から炎弾を飛ばす。気づいた朔夜が反射霊術で跳ね返し、テンドリシアの腹に勢いをつけた拳を撃ち込む。体を捻って右の手のひらで拳をいなし、右足で蹴りを叩き込む。
二人の周りには一時も途切れず紅い華が咲き乱れる。白銀の髪は血濡れた紅と輝き、淡群青の瞳はそれに負けず熱い光を放つ。
「ウォォォァアア!」
「ウガァァァアア!」
そして数十分の激闘の末に、勝負を決したのはテンドリシアの拳だった。
「悪く思うな」
右手に白銀の光を纏い、体を捻って叩きつける。朔夜がとっさに創った防御霊術を貫き体に到達する。熱で服が焼け、腹には大きな火傷の痕が残る。そのまま後ろへと吹き飛び、朔夜の体は壁へとめり込んだ。しばらくして呆気ない音を立てながら地面へと落ちる。
残ったのはテンドリシア。ただ無傷とはいかず服のあちこちが破け、至るところから血が出ている。肩で息をしながらうつ伏せで倒れたままの朔夜のもとへ歩み寄る。
その時、闘技場の入り口の陰から鋭い刃物が放たれた。狙われたのはテンドリシアだった。
しかしそれはテンドリシアに気づかれる前に刃物を放った人影の元へと戻された。空間に水面のようなものが現れ、人影の後ろへと移動したのだ。その人影は反転して刃物を掴む。
「誰だ」
「いやいや連れないねぇ。遊んでくれたって良いじゃないか。というか全身真っ黒とか悪趣味にも程がないかい?」
闘技場の入り口から現れたのは赤い髪と豊満な肢体を持つ女性。この華ヶ舞学院の理事長である岩崎未来だ。
「その子は学院の子の契約聖霊だ。ということは生徒と同じ。危害を加えようっていうなら……容赦はしない」
言い終わったとたんに未来の背後に様々な円環が現れる。それも朔夜やテンドリシアのそれとは比べ物にならないくらい複雑だ。
「まだ、契約していないように見えるが」
全身を真っ黒な衣服で包んでいるのは恐らく男だろう。どこから見ても暗殺者だ。その男が未来に聞いた。
「確かにまだ契約はしていないね。だけどすぐに契約するさ」
何を根拠に確信しているのかは分からないけれど、未来の言葉には確かな説得力があった。
「お前はいつから見ていたんだ?」
「さあ、いつからだろうね。少なくとも組織から派遣されてきた君よりは前だ。そんなことより速くここを去ったほうが良いんじゃないかい? 私もそろそろ我慢の限界だよ?」
しばらく静寂が時を支配した。互いに相手を睨み、やがて動いたのは暗殺者の方だった。足元に巨大な円環を現すと、すぐに姿を消して逃げたのだ。未来を相手に戦うのは分が悪いと考えたのだろう。
「転移か……。厄介だな」
相手が学院付近にいないことを確かめた未来は背後に現していた円環をすべて消した。その表情は険しいままだったが、すぐに呆れたものへと変わる。
「というか、闘技場とこの子達はどうするかねぇ」
視線の先には半壊した闘技場と倒れる朔夜、見下ろすテンドリシアの姿があった。
「おい。生きてるか」
テンドリシアに声をかけられた朔夜は、動くことすら出来ないようだ。壁に叩きつけられた衝撃で骨が何本か折れてしまったのだろう。
「何とか、ギリギリだけどな」
「お前は本当にただの学生か?」
「何回聞くんだよ、それ」
テンドリシアの問いに乾いた笑いで返す朔夜は、無理やり起き上がった。
「それで、どうする?」
「……」
朔夜の問いは言わずもがな契約の話である。即答で返事が返ってこないところを見ると少し期待しても良いのかと考えてしまう。
「嫌だ」
「良い感じだと思ったんだけどなぁ」
「何が良い感じなんだ?」
「ほら、俺は聖霊が手に入るだろ? 言い方悪いけど。それでお前は狙ってくる相手と戦うための仲間が増えるだろ? 俺だけじゃなくて他の人も協力してくれるかもしてくれないし」
ちょうど良いだろと笑う朔夜の言い分は最もだった。しかしテンドリシアはその言葉に驚いたらしい。あり得ないものを見たかのように目を見開いている。
「何でお前はそこまで……」
「なんとなくかな」
「はあ?」
テンドリシアが驚くのも無理はないだろう。たかが聖霊のためにそこまでする人間なんていないのだから。少なくともテンドリシアの知る限りではいなかった。
ただ追いかけられて、石を投げられて、迫害されて。テンドリシアが人間の温かさに触れたのはこれが初めてだったのだ。
彼女の記憶の中では。
「お前は変わっているな。私みたいな異端にそう接するとは」
「何だ異端って? 確かにとんでもなく強いけどそれくらい普通の範囲内だろ?」
肺を傷つけられたというのに、朔夜はその言葉を笑い飛ばした。
「別に。それよりももう寝たほうが良い。傷が塞がらないぞ」
「心配どーも。けど部屋まで戻らなきゃいけないしな」
「そうか、なら寝ろ」
「は? なに言っ……」
起き上がろうとした朔夜は再び地面へと倒れた。テンドリシアが眠らせたのだ。疲れている朔夜を案じての行為なのか。怪我をさせたことについての謝罪の意味なのか。どちらにしろ荒治療過ぎる。無言のまま朔夜に右手を向け、治療を開始する。みるみるうちに傷は癒え、火傷の痕も消えていく。制服の大穴までは修復できなかったようだが。
「……お前は、私が探していたモノなのか?」
小さく紡がれたその問いを誰も聞くことはなく、ただ静寂だけが残った。




