3:美しき月明かりの下で
「え……」
自らが弾き飛ばした人間が水面に落ちていく様子を、聖霊の少女は茫然と見ていた。血の気が引いていく。その間にも朔夜は水に落ちていって、手を、伸ばされた。何とかしたいのに何もできなくて。また、あの時と、同じなんて。涙が頬を垂れていく。
「嫌、嫌だ」
ついに、手から力が抜ける。それよりも少し、ほんの少しの差で朔夜を外界に出せと命じる。そして朔夜は外界に移動した。
大丈夫なはずだと、自分に言い聞かせる。まだ死んでいなかったはずだと。
身体に力が入らない。必至で息をして、セカイを直していく。やがて十分な時間をかけて元通りにした。しかし聖霊は死んでしまったらどうしようと、そんなことしか考えられなかった。
縮こまって身体を小さく丸めた聖霊は、自分の足元にネックレスが落ちているのを見つけた。白い宝石が埋め込まれていて、その周りには細かい意匠が凝らされている。女性が持つには少し無骨なチェーンに、白い宝石はアンバランスだ。
この空間にもあまりにも似合わないそれは先ほどまでここにいた朔夜のものだろう。震える手をのばし、それを手元に引き寄せる。胸に抱えたから胸元が少し水面の水で濡れた。
「返さなきゃ……」
これを見ていたら朔夜の無礼な物言いが思い出された。
「――自分に自信がないだけのただの子供だろうが!」
心臓をわしづかみにされた気分だった。あの言葉が聖霊の頭にこびりついて離れない。私はそんな子供じゃないと言ってやりたい、そう思うようになった。体の震えは止まり、悲しみはだんだんと怒りへと変わってきた。
「ああ、腹が立ってきた」
いつの間にか涙は乾いていた。弱々しい表情などではなく先ほどの傲慢な表情だった。
「必ず訂正させてやる」
そして聖霊は朔夜に会うために外界へと出たのだった。
◇◇◇◇◇◇
目を覚ました朔夜が始めに目にしたのは、星空だった。
「なっ……!」
景色が違うことに驚き、飛び起きた。いったいここはどこなのかという疑問が朔夜の頭の中を占めていた。
夜の闇に紛れて見えづらかったが、しばらくたつと見たことのある空洞が見えた。学園の闘技場、その入り口だ。場所が分かって落ち着いた朔夜はそのままどこか遠くを見つめていた。
「帰って来たのか」
その言葉に含まれていたのは安堵でも嬉しさでもなく、哀しさだった。
あの聖霊はどうなったかと、随分と酷いことを言ってしまったと、そんな気持ちが込められていた。あの一言で大いに傷ついただろう。本来はそこまで傷つけるつもりは無かったのだ。ただ自分に注意を向けて欲しかっただけなのに。ただ話を聞いて欲しかった。
そして願わくば。
「……契約を結んでくれれば良かったのにな」
「そんな軽口を言えるのなら平気だな」
「はは、軽口とか酷くないか? 結構真面目に言ってるのに」
「真面目に、か」
「お前が外に出たくない理由も解消してやりたいしな」
「……」
「そう言えば外に……」
ようやく会話していることに気づいたらしい。笑ったまま数秒固まり頭を再起動させてから勢いよく後ろを見た。いわゆる目が点の状況で後ろに立っていた人影を見る。
そこに居たのは一人の少女だった。無骨な金の飾りが付いている黒いマントの下には同じく黒のベストとレースの縁取りの真っ赤なスカート。
紅色の髪は腰にまで届いていて星々の輝きを反射する。その様は辺りを漂う淡い光と相まって、戦場を巡る死神のようだった。同時にその目は鋭く、見る者を威圧させる。
身長は茜と同じくらいだろうか。朔夜は何度も目を擦ったりして確認しているがどこから見ても人間にしか見えない。そして間違いなくあのセカイで見て、どこか懐かしいと心が訴えかける少女だった。
「お前が、あの聖霊なのか?」
「ああそうだ。お前に引きこもりと言われた自分に自信がないだけのただの子供の聖霊だよ」
少々イラついているようだ。その事は朔夜にも分かったらしい。見つめられて居心地が悪くなった朔夜はそっぽを向いた。どちらも切り出すに切り出せず、なかなか話が進まない。話を切り出したのは朔夜の方だった。
「外、出れたんだな」
「お前の評価を訂正させようと思ってな」
少し胸を張って自慢げに言う。そんな聖霊を見て、未だに名前を知らないのだと思い至った。
「俺は三武朔夜だ。お前の名前は?」
「名前か。そんな物もあったな」
「……まさか忘れたとか言わないよな?」
本当に「そういえば」という表情だった。聖霊の少女の言葉はそれだけ人と会っていないということを裏付けるのに、どこも悲観した様子がなかった。それはひとえにそんなことも考えなくなったということなのだと、朔夜は理解した。
「私の名はユナイツ・D・テンドリシア」
だからこそ朔夜はこの聖霊の少女に引かれるのだ。捕まると言っていたのに。それでもまだ己の名を誇り高く名乗る姿に憧れた。自分はそんな風には生きれないと思うから。そんなことは気恥ずかしいから絶対に言わないが。朔夜は照れ隠しとしてテンドリシアを弄ってみる。
「評価を訂正させるとか言うのは建前で、死にかけた俺を心配してるから、とか?」
「んにゃっ!?」
一瞬にして顔を染め舌を噛む。痛みで悶絶しているテンドリシアを見ながら「え、図星?」などと考えた朔夜は悪くはないだろう。実際に図星なのだから。
「そ、そそそそんなわけないだろう! 私はただお前があんな、無礼なことを言うからそれでっ!」
頬が赤くなる。少し前のめりになりながら口ごもるテンドリシアに今ならいけるかと冗談っぽく訪ねてみる。
「じゃあ契約でもするか」
「それは嫌だ」
即答だ。そっぽを向いて突っぱねるその姿は何とも子供だった。可愛らしい。
「別に契約したっていいだろ。お前が追われている件についても何とかできるかも知れないんだぞ」
「そんなの無理だ」
「やってみなきゃ分かんないだろ」
そう言って静かな戦いが始まる。相手を睨み付けたりして威嚇しているが、はっきり言って小学生の喧嘩レベルだ。どちらもなかなか折れず、拮抗状態となってしばらくして遂にテンドリシアが折れた。
「……分かった。ただし私に勝てたらな」
「望むところだ」
聖霊と契約するには聖霊の試練を受けなければならない。闘技場の中央に立ち、互いに右手を伸ばす。
この時朔夜は、やっと聖霊が手に入ると思った。自分の望む未来のために。
祷りを 此の世の全てに願いを
世界を構築し創造する理は 此処に在り
生命の灯火を遍く照らす
朔夜の深く集中した低い声とテンドリシアの澄んだ儚いながらも強い声。
二つの声が紡ぐのは――。
言霊。
天島における最強の力。法術と霊術のための言葉。努力して強くなれば天変地異を起こすこともできるという。
二人の紡ぐ契約の言霊は祝詞とも呼ばれる神聖なものだ。真剣でこの戦いに挑むと、約束を違えることは無いとこの世界に誓うのだ。だからこそ祝詞と呼ばれれ、人々に神聖視される。
悠久の調べは留まること無く
我等も共に流れ行く 終焉の待つ最果てに
対となりて 重なりあい
螺旋となりて 駆け巡る
記録と記憶の渦の中 只ひたすらに愛を乞う
テンドリシアと朔夜の足元を中心に白銀色と淡群青色の光を出す円環が表れた。そこに次々と言霊が刻まれていく。幾千もの言霊が一つの円環へと納まっていく。
世界の真なる姿は 今此処に
世界の理を示す霊式が闘技場に二柱の柱として現れる。美しい光景だった。学園の寮から見るものや、すぐそばで結界を張りながら見ているものなど実に多くの人が見た。
「さぁ、始めよう」




