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バビロンの謎―七つの星門と失われた王国  作者: 虫松


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第6話 水星の塔、バベルの真実

月の塔が沈黙した直後。


バビロンの街から、音が消えた。


市場で値段を叫んでいた商人。


荷車を引いていた奴隷。


神殿へ向かっていた巫女。


青銅の槍を手に巡回していた兵士。


誰もが動きを止め、同じ方向を向いている。


都の中央にそびえる、青緑色の塔。


水星の塔。


塔の頂上では、翼を広げた蛇の紋章が不気味に輝いていた。


やがて、老人が口を開いた。


「我らは一つ」


続いて、幼い少女が同じ言葉を発する。


「我らは一つ」


商人も、兵士も、奴隷も続いた。


「我らは一つ」


声は瞬く間に街全体へ広がった。


数千人の声が、一つの言葉を繰り返す。


「言葉は一つ」


「意志は一つ」


「迷いは一つもない」


アントニウスは月の塔の窓から、その光景を見下ろしていた。


「操られているのか?」


ナディアは首を横に振った。


「操られているだけなら、まだ救えます」


「水星の塔は、人々の頭へ命令を送る塔ではありません」


「人と人の意識を、直接つなぐ塔です」


ルキウス・カッシウスが眉をひそめる。


「言葉を使わずに、考えを伝えるというのか?」


「はい」


「最初は便利な力です。言葉の違う者同士が、誤解なく理解し合える」


「しかし、長くつながれば境界が消えます」


ナディアは自分の胸へ手を当てた。


「自分の記憶が、他人の記憶へ混ざる」


「自分の感情が、誰のものか分からなくなる」


「最後には、“私”という存在そのものが消えるのです」


街の人々が一斉に動き始めた。


全員が同じ歩幅で、同じ速度で水星の塔へ向かっていく。


その列には老人も、子供もいる。


転んだ者を助ける者はいない。


助けを求める声さえ上がらなかった。


なぜなら彼らの意識には、転んだ一人も、歩き続ける全員も、同じ存在として認識されているからだった。


ルキウスは低く呟く。


「兵士としてなら、理想的だ」


アントニウスが鋭く振り向く。


「本気で言っているのか?」


「恐怖も迷いもなく、一つの意志で動く軍団だ。命令を取り違えることも、裏切ることもない」


「それは軍団じゃない」


アントニウスは列を見下ろした。


「一つの頭に動かされる、何千本もの手足だ」


ルキウスは反論しなかった。


しかし、その目は水星の塔から離れなかった。


言葉の消えた街


三人は月の塔を下り、バビロンの大通りへ出た。


人々は無言のまま水星の塔へ歩いている。


ナディアが一人の少年の肩を掴んだ。


「止まりなさい!」


少年は足を止めた。


ゆっくりと顔を向ける。


「ナディア」


その口から出たのは、幼い少年の声ではなかった。


男。


女。


老人。


子供。


無数の声が重なっていた。


「なぜ拒む?」


ナディアの手が震える。


「あなたは誰?」


「我らに名はない」


「名は、個体を分けるための印」


「我らは分かれていない」


少年の背後で、数百人が同時に立ち止まった。


全員がナディアへ顔を向ける。


「ナディア」


「王家の娘」


「孤独な逃亡者」


「我らへ戻れ」


ナディアの顔が強張った。


彼らは彼女の正体を知っている。


それだけではない。


彼女が誰にも話していない記憶まで知っていた。


「お前は幼い頃、母を置いて逃げた」


「違う……」


「お前は母の手を離した」


「母が逃げろと言ったのよ!」


「だが、お前は生き延びた」


「母は死んだ」


「お前は今も喜んでいる」


「自分だけが生き残ったことを」


ナディアは後ずさった。


アントニウスが少年との間へ入る。


「人の記憶を盗み見るのが、お前たちの理解か?」


少年の顔が、今度はアントニウスへ向く。


「ガイウス・アントニウス」


その瞬間、街にいるすべての人間が同じ名を呼んだ。


「ガイウス・アントニウス」


「十二年前、四十七人の部下を失った男」


「撤退の命令が遅れた」


「副官マルクスを見捨てた」


「自分だけが生き残った」


アントニウスは剣の柄を握った。


だが、目の前にいるのは武器を持たない少年だ。


「怒りを感じている」


「罪悪感を隠すための怒り」


「我らとつながれば、苦しむ必要はない」


「罪は全員のものとなる」


「悲しみも、恐怖も、孤独も薄まる」


アントニウスは少年を見据えた。


「喜びも薄まるのか?」


無数の声が、一瞬だけ止まった。


「誰か一人を愛する気持ちも」


「自分だけの夢も」


「命を懸けて守りたいものも、すべて薄めるのか?」


少年の顔から、わずかに表情が消えた。


「個別の愛は争いを生む」


「自分の夢は他者の夢と衝突する」


「守る者を選ぶから、守られない者が生まれる」


「ゆえに不要」


アントニウスは静かに剣から手を離した。


「なら、お前たちは人間を理解していない」


「人間を消して、争いだけを消したつもりになっている」


少年は答えなかった。


次の瞬間、数百人の口が同時に開いた。


「排除する」


群衆が一斉に三人へ襲いかかった。

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