第3話 砂漠にいるはずのない将軍
アントニウスは剣を下ろさない。
「なぜ、お前がここにいる?」
ルキウスは両手を広げた。
「第九軍団の捜索だ」
「皇帝の命令で、第十二軍団の一部を率いて東へ来た」
「お前と同じ任務だよ」
アントニウスの目が細くなる。
「皇帝は軍を送らないと言った」
「神話に軍団は役に立たないともな」
ルキウスの笑みがわずかに固まった。
「状況が変わったのだろう」
「ローマでは、皇帝の決断など一日で変わる」
ナディアが小声で囁く。
「信じてはいけません」
ルキウスの視線が彼女へ向く。
「その女がナディアか」
アントニウスが振り向く。
「知っているのか?」
「バビロニアの巫女」
「古代文字を読み、七つの塔へ入ることができる唯一の女」
ルキウスは一歩進む。
「我々も彼女を探していた」
ナディアは後ずさる。
その顔には、明らかな恐怖が浮かんでいる。
「ローマ軍ではない」
彼女は言った。
「その兵士たちから、金星の塔の香がします」
ルキウスの背後の兵士たちは、無表情のまま立っている。
瞬きすらしていない。
アントニウスは旧友を見据える。
「ルキウス」
「兵士たちに兜を取らせろ」
「何を疑っている?」
「いいから取らせろ」
沈黙。
やがてルキウスは、小さく息を吐いた。
「昔から、お前は勘だけは鋭かった」
その言葉を合図に、兵士たちが一斉に剣を抜く。
彼らの首筋には、青い楔形文字が刻まれていた。
トスが叫ぶ。
「操られている!」
戦闘が始まった。
旧友との剣
アントニウスは最初の兵士の剣を受け流し、肘で顔面を打つ。
だが兵士は倒れない。
鼻から血を流しながら、再び剣を振り下ろす。
「痛みを感じていない!」
ナディアが叫ぶ。
「金星の塔が忠誠心を増幅しています!」
「命令に従うことだけが、彼らの喜びになっている!」
トスが短刀で一人の足を払う。
ルキウスは動かず、戦いを見つめていた。
アントニウスは二人を倒し、旧友へ斬りかかる。
ガキィンッ!
二人の剣が激突する。
火花が散る。
「説明しろ、ルキウス!」
「お前は誰に従っている!」
ルキウスは剣を押し返す。
「ローマだ」
「今も昔も、それだけだ」
「嘘をつけ!」
「なら、なぜバビロンの力を使う!」
ルキウスの顔から笑みが消える。
「力が必要だからだ」
「お前はローマを離れていたから知らない」
「元老院は腐り、将軍は私兵を抱え、民は飢えている」
「皇帝一人の哲学では、帝国を救えない」
アントニウスは剣を振り抜く。
ルキウスは紙一重でかわす。
「だからバビロンを利用するのか!」
「利用できる力を捨てるほど、私は愚かではない!」
二人の剣が再びぶつかる。
力はルキウスが上。
速さはアントニウスが上。
かつて背中を預けた者同士だからこそ、互いの癖を知り尽くしている。
決着はつかなかった。
そのとき、神殿全体が激しく揺れる。
黒い粘土板から光が溢れ、床に巨大な星図が浮かび上がった。
七つの円。
七本の光。
その中央に、青い門。
ナディアが息を呑む。
「門が、私たちを選んだ」
壁が崩れ、地下のさらに奥に巨大な空洞が現れる。
そこには、人間の手では造れないほど巨大な扉があった。
青い煉瓦。
黄金の獣。
天井まで届く二枚の門。
アントニウスが十二年前に見たものと同じだった。
「……青い門」
ルキウスも剣を止め、その威容を見上げる。
門の中央に、三つのくぼみが浮かび上がった。
一つは黒い粘土板の形。
一つは王家の星飾りの形。
最後の一つは、ローマの鷲の形。
ナディアの顔が青ざめる。
「三つの鍵が揃ってしまった」
アントニウスの粘土板。
ナディアの王家の血。
そしてルキウスが持つ、第十二軍団の鷲章。
偶然ではなかった。
誰かが、三人をここへ導いたのだ。
青い門の向こうから、低い声が響く。
「血の鍵」
「星の鍵」
「帝国の鍵」
「すべて揃った」
門がゆっくりと開き始める。
その隙間から、黄金色の光とともに、巨大都市の影が現れる。
空中庭園。
天を突く塔。
無数の青い城壁。
そして、砂漠の上空に浮かぶもう一つの都。
ナディアは震える声で告げる。
「あれが、本当のバビロンです」
アントニウスは、ナディアとルキウスを交互に見る。
案内役となる謎の王女。
敵か味方か分からない旧友。
どちらも、バビロンの秘密を握っている。
その瞬間、門の奥から無数の兵士の声が響いた。
ローマ軍団の号令だった。
アントニウスには分かった。
あれは間違いなく、第九軍団の声。
「まだ生きている……」
しかしナディアは首を横に振る。
「声だけです」
「彼らがまだ人間であるとは限りません」
門の向こうで、五千の影が一斉にこちらを向く。
その瞳が青く光った。
ルキウスは剣を構え直す。
「答えは門の向こうにある」
アントニウスも剣を握る。
「お前の裏切りの答えもな」
ルキウスは薄く笑った。
「それを知っても、私を斬れるか?」
三人の前で、青い門が完全に開いた。
滅びたはずの帝国が、彼らを迎え入れる。




