第12話 試練 金星の塔
紅紫色の扉が、静かに開いた。
ギィィィ……
甘い花の香りが流れ出す。
戦場の匂いではない。
故郷を思わせる、どこか懐かしい香りだった。
ナターシャは眉をひそめる。
「気をつけて。」
「この塔は剣より心を狙う。」
アントニウスは静かに頷く。
三人は金星の塔へ足を踏み入れた。
愛の回廊
塔の内部は、鏡でできた巨大な迷宮だった。
壁も。
床も。
天井も。
すべてが鏡。
そこには三人の姿だけではない。
過去の思い出が無数に映し出されていた。
アントニウスには、幼い頃に両親と笑い合う光景。
ナディアには、王宮で家族と過ごした幸せな日々。
ナターシャには、滅ぼされる前の狼族の村。
誰もが足を止める。
その時、塔全体に美しい女性の声が響いた。
「ようこそ。」
「金星の塔へ。」
「私は、この塔を司る神官アフラ。」
紅紫色の法衣をまとった女性が現れる。
年齢は三十代ほど。
穏やかな笑みを浮かべている。
「私は争いが嫌いです。」
「だから人の心を研究しました。」
「愛されたい。」
「信じたい。」
「守りたい。」
「その願いを少しだけ強くしてあげれば、人は自ら武器を置きます。」
アントニウスは剣を抜く。
「心を支配して平和を作るつもりか。」
アフラは悲しそうに微笑む。
「違います。」
「私は、人が本当に望んでいるものを与えるだけ。」
第一の試練 アントニウス
鏡が砕ける。
次の瞬間。
アントニウスは一人になっていた。
目の前にはローマ。
戦争は終わっている。
市場には笑顔。
子どもたちが走り回る。
元老院の腐敗もない。
その中心に、一人の女性が立っていた。
「お帰りなさい。」
見知らぬ女性。
しかし不思議と懐かしい。
その腕には、小さな男の子。
「お父さん!」
少年が駆け寄ってくる。
アントニウスは動けない。
「これが……俺の望み?」
女性は優しく笑う。
「もう戦わなくていい。」
「家へ帰りましょう。」
その言葉に、心が揺れる。
だが彼は目を閉じた。
「違う。」
「これは俺が失った未来じゃない。」
「俺が想像した理想だ。」
幻は静かに崩れ始めた。
第二の試練 ナディア
ナディアの前には、燃えなかった王宮があった。
父も母も生きている。
侍女たちも笑っている。
王は玉座から手を伸ばした。
「ナディア。」
「帰っておいで。」
母が微笑む。
「もう逃げなくていいの。」
涙が溢れる。
あと一歩。
あと一歩近づけば、
失った家族へ触れられる。
しかし、その時。
母の瞳が紅紫色に染まった。
「ベルシャザル様のおかげで。」
「私たちは幸せなの。」
ナディアは立ち止まる。
「違う。」
「母は最後まで自由を選んだ。」
彼女は首飾りを握り締める。
「偽物に……母の顔を使わないで!」
王宮が音を立てて崩壊した。
第三の試練 ナターシャ
ナターシャの前には狼族の村があった。
父。
母。
兄弟。
仲間。
皆が笑っている。
幼い妹が走ってくる。
「お姉ちゃん!」
ナターシャは妹を抱き締める。
暖かい。
鼓動まで伝わる。
妹は涙を浮かべて言った。
「もう行かないで。」
「一緒に暮らそう。」
ナターシャの瞳から涙が落ちる。
だが次の瞬間。
彼女はゆっくり妹を離した。
「ごめん。」
「あなたが本物なら。」
「私を逃がしてくれる。」
妹の笑顔が消えた。
村は黒い霧となって消えていく。




