世界をあげる
何が起きたのか、分からなかった。
唖然と立ちすくむ私とアルファンスに視線をやって、カーミラはほんの少しだけ眉を顰めた。
「……あれ。わざと当てないでおいたレイ様はともかく、何でアルファンス王子まで起きているんですか。直撃させた筈なのに」
カーミラの言葉にすぐに反応を示すことなく、アルファンスは唖然と手の中の物を眺めていた。
そこにあるのはまるで焼け焦げたように真っ黒に染まった金属の残骸。
変形していたが、僅かに残った細工の跡から、それが【姿消しの首飾り】だったものであったことがわかった。
「ああ。さっき姿を消すのに使った魔具の効果ですか。最上級の魔具は、本来施されていた魔法効果だけではなく、持ち主に危険が迫った時は防具の役割も果たすと聞いたことがありましたが、本当だったんですね。……まあ、そこまで壊れてしまったら、もう何の役にも立たないただのゴミですけどね。勿体無い」
「――お前、今、何をした?」
「何を? ……私はただこれの力を借りただけですよ」
カーミラは微笑みながら、いつの間にか手に持っていた紙をそっと口元に当てた。
「それは……契約書?」
「さすが。レイ様。こんなにすぐに気付くだなんて、やっぱりレイ様は聡明ですね!! お察しの通り、これは私が悪魔と契約を結ぶ為に作った契約書です。生贄としたあの女の血を染みこませた、正真正銘の本物です」
「何故契約を果たされる前の契約書にそんな特別な力があるんだ!? 契約が果たされてさえなければ、ただの紙きれだろうが!!」
叫ぶアルファンスをカーミラが冷めた瞳で一瞥する。
「……負け犬のように吼えないで下さい。アルファンス王子。喚かなくても教えてあげますよ」
カーミラの紫水晶の瞳が、妖しく光った。
「紫水晶の瞳の噂を知っておりますか? 魔を宿す、紫の瞳。生まれながらに悪魔に愛される、【魔の愛し子】……私達のことをそう言う人たちもいます」
「魔の、愛し子」
「傍から見たらそう見えるだけで、一般的な精霊の愛し子とは、実状は全く違いますけどね。悪魔は人間を気に入ることはあっても、けして愛することはありません。……ただ、気に入った人間に対しては、常人より多少手を貸してくれるだけ。ですが、それでも、悪魔崇拝者にとっては十分特別な存在なんです」
くすくすと笑うカーミラの背後で、黒い靄が揺れる。
「何が悪魔の琴線に触れるのか分かりませんが【魔の愛し子】の中でも私は特別気に入られやすい性質なようで、私は契約を結ぶ前から悪魔の声を聞くことが出来ました。悪魔は、私の願いを聞いて、その願いを叶える為には生贄の五つの不幸を捧げるように言いました。不幸を一つ捧げるごとに、次の不幸を生み出すのに必要な力を貸してくれると。……ああ。レイ様。レイ様は先程、トラドル地方の大雨と、学園の地震を発生させるために、魔具を使ったと推測されてましたが、その点は間違いです。全部、悪魔の力だけで事足りました。悪魔にも何らかの縛りがあるらしく、契約前に分け与えられた力は、次の不幸を生み出す目的以外では使えないという制限がありましたが、威力は十分過ぎるほどですね」
「君が悪魔に願った願いは……」
「『大好きなレイ様が、私の大好きなレイ様のままでいてくれる世界を作ること』」
恋をするように白い頬を紅潮させながら、カーミラはうっとりとした目で私を見つめた。
「レイ様……私、頑張りました。この手で、あの邪魔な女に、四つの不幸を齎してやったんです。悪魔から分け与えられる力は、不幸を捧げるごとに強大になっていきました。これなら、例え学園中の人間が敵に周ったとしても、大丈夫です。立ち向かってくる全ての人間を打ち負かして、隠れているあの糞女を見つけて、殺してあげます。殺して、悪魔と契約を結んで見せます。だから待ってて下さいね。あと少しですから」
――意味が、分からなかった。
「……カーミラ。君は、私がさっき君に言った言葉を、聞いていたのかい?」
カーミラからナイフを奪った時、私は確かに告げた筈だ。
「そんな世界、私は要らない……っ! 親友を犠牲に得た世界なんて、私は要らないんだよ……っ!!」
何故、分からない。分かろうとしない。
言葉にしているのに。これほど感情を露わに叫んでいるのに。
どうして、カーミラには伝わらないんだ……!?
「――レイ様。貴方は、騙されているんですよ。あの女に」
どこか困ったように眉尻を下げて首を横に振るカーミラに、唇を噛んだ。
「全てが終われば、分かります。今は分からなくても、全てが終われば、きっとレイ様は私に感謝するようになります。……だって、私はレイ様の事が大好きなんですもの。レイ様が大好きな私が、大好きなレイ様の為を想ってする行動に、間違いなんてある筈がないでしょう? だって全ては、あなたの為なんですから」
滅茶苦茶だ。
完全に支離滅裂で、論理も何もあったものじゃない。
……だけど、カーミラの中では、それが揺るぎなく「正しいこと」なんだろう。
戯言でも、言い訳でもなく、本気で言っているんだ。彼女は。
「大好きなレイ様の為になるのだったら、大嫌いだったこの紫水晶の瞳にも心から感謝が出来ます。喜んでこの身を、魔に染めましょう。――あなたに、世界をあげる。だから、待っていて下さいね」




