君を守るよ
「……誰もいないわね。空耳かしら」
マーリーンと最後に会ってから、まだ一日も経っていない。せいぜい半日と言ったところか。
たった、半日。それなのに、すごく久しぶりの邂逅のように思えた。
マーリーン……隈が濃いな。もしかして、あまり眠れていないのかな。
何だか痩せた?……いや、流石にたった半日でそれはないか。……だけど心なしか昨日以上に、やつれて見える気がする。
溜息を吐いて、開け放たれた窓の外の景色を眺めるマーリーンの姿に、胸がざわめいた。そのまま、差し込む朝の光の中に溶けて消えてしまうんじゃないかと、そんな有りえない考えが頭に過ぎる。
「馬鹿みたいだわ。私。……レイから名前を呼ばれたような気がしたなんて」
鋭いマーリーンの独り言に、ぎくりと思わず固まる。
……サラといい、何でみんなそんなに勘がいいんだ。
それとも、私がそれだけ気配丸出しなのか……!?
しかしそんな内心の焦りは、マーリーンの顔を見た瞬間、瞬時に消え去った。
「本当、馬鹿だわ……レイが、こんな場所にいる筈がないのに……だって、レイは私のせいで怪我をして、まだ保健室で寝ている筈なのにね」
宝石のような赤い瞳から、ほろりと一筋涙が零れ落ちた。
マーリーンは図書室の方に視線をやりながら唇を噛みしめて、肩を震わせた。
「……私の、せいでレイが……私が、本棚の下敷きになるべきだったのに……」
……違う。
違う。違う。違う。違う!!!!
君の、せいじゃない……!! 私が怪我をしたのは、マーリーン、君のせいなんかじゃない!!
私が、望んだ結果だ……!! 私が、選んだことだ……!!
だから、マーリーン、そんな顔をしないで。泣かないで。
そんな風に自分を、責めたりなんかしないでくれ……!!
叫びたかった。
泣いているマーリーンの体を抱きしめて、慰めたかった。
流れる涙を、拭って、そして傷つけたことを謝りたかった。
だけど、湧き上がる衝動は、一層強く握り締められたアルファンスの手によって胸のうちに抑え込まれた。
……今は、まだ。今はまだ、その時じゃない。
今姿を表わしてマーリーンに声を掛ければ、マーリーンは驚いて声をあげるだろう。それで他の生徒にまで気づかれる結果になったら、せっかくの計画が台無しになってしまう。
そうじゃなかったとしても、計画の内容を知れば、マーリーンはきっと私が関わることを反対するに違いない。昨日の怪我のことで、こんな風に自分を責めているマーリーンなら、きっと。そして差し出した手を振り払って、全部自分で背負いこもうとするんだ。……マーリーンは、そういう子だ。
――それに私は、未だ「正しさ」に対しての答えが出ていないんだ。
約束を破ってマーリーンを庇ったことで、傷つき憤ったマーリーンに対して、かけるべき謝罪の言葉が今もまだ分からない。
行動そのものに反省も後悔もないうえに、これからさらに「深入りするな」と言ったマーリーンの言葉を破ろうとしている私が、泣いているマーリーンに対して何と言えるのだろう。
だからやっぱり、まだここでマーリーンと話すべきではないんだ。
……ないのだと、分かってはいるけれど。
「っ風が強くなってきたわね……」
窓から突然の突風が入り込み、マーリーンの赤い髪と制服の襟元を舞い上げる。
窓を閉めるべくマーリーンが窓際に寄ったことで、廊下に通り道が出来た瞬間、アルファンスが手を引いた。
……この風、もしかしなくてもクオルドが起こしてくれたのかな。私とアルファンスを通してくれる為に。
姿を隠してくれる貴重な魔具も、どうやら人型の高位精霊には効かないようだ。
アルファンスに手を引かれるままに、マーリーンの後ろを通り過ぎる瞬間、風に紛らせてマーリーンの髪を一房だけ指で掬い上げた。
脳裏に浮かぶのは、擦り切れる程読んだ絵本の一場面。
理由があって声に出して想いを語ることが出来ない王子様が、お姫様が背を向けた時に気付かれないようにその髪の毛の先に口づけて、彼女を守り抜くことを誓う。
『なんていうかさ……浅い感じしない? 言っていることとか、やっていることとか、何か薄っぺらくてさ。全部綺麗ごとって言ったら言い過ぎかもしれないけど。あの人見ていると、舞台のお芝居というか、子どものごっこ遊びを見せられている感じするの。……寒いんだよねー。見ていて』
『私はそんなこと……ただ、私は無理に背伸びをしている姿が、何だか痛々しく見えると言っただけですわ』
『分かってないな~。二人とも。……あの作り物みたいな、薄っぺらい王子様を演じているからこそ、レイ様はいいじゃない』
先ほどの彼女達は、正しい。……私は、絵本の王子様のようにはきっと、なれない。
どんな困難をも華麗に乗り越えて、格好よくお姫様を救い出すことなんか、私には出来ない。
それでも。
それでも……必ず、君を守るよ。マーリーン。
そこに至るまでの過程はどうしようもなく無様で格好悪いだろうけど、それでも必ず君を、呪いから救い出して見せる。
だから、待っていて。
全てを解決して、また君の隣に戻るから。
そんな誓いを込めて。髪の先にほんの一瞬だけそっと唇を当てた。
そしてすぐに指の間にすり抜けていくマーリーンの髪の感触を感じながら、そのまま通り過ぎていった。
背中に視線を感じた気もしたが、振り返ることはしなかった。
「……ちょっと、待ってろよ。今、開けるから」
小さなアルファンスの声と共に、小さく金属がぶつかるような音がする。
まるで内側から鍵を捻ったかのように鍵穴が周り、開いた扉の隙間から部屋の中に滑りこんだ。
「……鍵を閉めたから、もう、魔具を外していいぞ」