まずは頭を使いましょう
そんな言葉と共に何もなかった筈の空間から、ネックレスを片手に持ったアルファンスの姿が現れた。
私もアルファンスにならってネックレスを外すと、視界の中に自分の姿がまた現れる。
……姿が消えた時も奇妙だったけど、姿が現れるのも変な感じだな。
透明人間が、ある日突然肉を持ったら、こんな感じなのだろうか。
思わずまじまじと数分ぶりの自分の体を眺めていると、ふと視線が未だ繋ぎっぱなしの手に向いた。
それはアルファンスもまた、同様だったらしい。
「……さっさと調査を始めるぞ」
そっぽを向いたアルファンスに乱暴に手を振り払われて、少しだけ胸がつきんと痛んだ。
……普通に手を離してくれたっていいじゃないか。そもそも先に手を握ったのは、君の方だったのに。
もやもやする気持ちを振り払うように、禁書庫の中に視界を巡らせた。
「……ここが、禁書庫?」
思わず眉間に皺が寄った。……私が予想していた書庫とは随分と違う。
狭い。
そして、本が少ない。
埃っぽい室内には、机と椅子を除いては小さな片面の本棚が二つ程あるだけで、しかもそれすら全部本で埋まっているわけではなく、すかすかだ。……書庫というか、物置にも見える。
書庫の中というのは、もっと背の高い両面の本棚がいっぱいあって中にはぎちぎちに本が詰められているイメージだったのだけど。
……こんな場所に、本当にマーリーンを助けられるような有益な情報があるのだろうか。
「……まあ、こんなものだろう」
しかし不審感を露わにする私と違って、アルファンスは動じていなかった。
本の中の一冊を手に取ると、表面の埃を息で吹きかけて飛ばして、ぱらぱらとページをめくりだした。
「……全部ではないが、ちゃんと悪魔関連の本は置かれているようだな。まあ、目を通す価値はあるだろう。……レイリア。俺はこっちの棚の本から目を通して行くから、お前はそっちの棚から見て行け」
「……分かった」
それから暫くは黙って二人で書庫の中の本を読んでいた。
元々本はそう多くない上に、その中で悪魔関連の物となるとさらに、限られる。
それ程時間はかからず、棚の中の本は一通り目を通し終わった。
けれども、五つの不幸によって被害者に逆五芒星の傷を刻むような悪魔の供述は、どの本にも載ってはいなかった。
「……アルファンス。君の方は、どうだい? もう少しかかりそうかい?」
「いや……これで、終わる……」
希望を託した最後の一冊。
だけどアルファンスは溜息と共に本を閉じ、ゆっくりと首を横に振った。
「駄目だな……赤毛の女の事件に類似した話は載っていない」
「そんな……」
それじゃあ、どうやってマーリーンを救えばいい?
どうやって、マーリーンの呪いを解けばいいんだ……。
「……もしかしたら、もしかしたら見落としているのかもしれない! 今度は私がアルファンスが見ていた棚の方を見るから、今度はアルファンスが私の方の棚を……」
「……お無駄だ。レイリア。大方、予想通りの結果だ」
「予想通りって……」
「お前だって、おかしいと思っただろう? ここは余りに本が少な過ぎる」
アルファンスは最後に手を取った一冊を棚に戻しながら、肩を竦めた。
「恐らくここには、『万が一生徒が目にしても大丈夫な程度の禁書』しかない」
ひゅっ、と喉の奥が鳴った。
「お前だって、本当は薄々気がついていただろう? 少なくともそっちの棚には目を通したのだから。どの本もことごとく悪魔の基礎知識は載っていても、具体的な召喚法までは一切触れられてはいない。図書館の本に毛が生えた程度の、浅い知識ばかりだ」
「もしかしたらとは思っていたけど……だけど……何で」
「まあ、貴族の子弟向けの学園だしな。鍵をつけているとはいえ、そんな危険な本は端から置いてはおかないんだろう」
「……だけど、先生たちは専門的な研究をしているじゃないか!! だったら、もっと専門的な禁書があっても……」
「そもそも、この学園には悪魔学を専門としている教師はいない。……それは、最早王の許可を貰った王宮直属の研究者の領分だ。身分が低い教師たちは、法に触れる可能性があると分かって、わざわざ危険な禁書に手を出すとは思えない。万が一手を出すにしても、書庫のような学園全体で共有する場に置いたりはしないだろう」
「……それじゃあ、今から先生たちの研究室を一つ一つを回って、専門的な本を持ってないか尋ね……」
「だから、教師を巻き込むなと言っているだろう。馬鹿。そもそも、持っていたとしても、絶対にあいつらは俺達に協力なんかしないぞ。そういう風に言い含められているだろうからな」
「言い含められているって……誰に……」
頭の中に一つの仮定が過ぎった。
……まさか。そんな、筈ない。
だって、協力して欲しいって。お前の力が必要だって、そう言っていた。
私のことを信じて委ねてくれた、筈。
必死に否定していた過程を、アルファンスは残酷なまでにあっさりと口に出す。
「……俺達の親に、決まっているだろう」
『……恐らく明後日の夜が明けないうちは、まだ五番目の呪いは遂行されていない筈だ。まだ、最悪の事態を防ぐことは出来るんだ。……だがそこから調査を始めたのは、あまりにも時間がない。お前達の協力が不可欠なんだ』
……お父様。
あの時そう言ってくれたのは、嘘だったのですか?
予想外の父の裏切りに、唇が震えた。
「お父様は……私を騙して……」
「騙してなんかいないだろう。ただ、最も安全な……『お前が最も安全な』方法を選択しただけで」
淡々とアルファンスが告げる言葉に耳を塞ぎたくなった。
「お前に何も役目を与えず、一人で感情のままに暴走されても困るし、かといって危険な役目を与えるわけにもいかない。取りあえず安全な場所で、アンダーグラウンドの世界に踏込み過ぎない範囲で、事件について調査させるのが最善だと判断したんだろう。俺だって、その辺りはフェルド家当主殿に賛成だ」
「だけど……だけど、私が安全でも、マーリーンは……!!」
「だから、何でそこでお前は二者択一になるんだ? 何故、自分の犠牲を再前提に置こうとする? 本当、お前は学習しないな!!」
アルファンスはきつい眼差しで私を見据えながら、机を叩いた。
「自分の身を犠牲にして、相手を助けることを真っ先に考えるのは、美談なんかじゃなくただの思考放棄だ。賢い人間は、まず真っ先に自分の安全を確保したうえで、相手も助ける道を考えるんだ。まずお前は頭を使え! 話はそこからだ。元々地頭はある筈なのだから」
「頭を使えって……肝心の本がないのに、どうやって……」
「本ならあるだろう……ここに」
そう言ってアルファンスは、本棚の方を顎でしゃくった。
「浅い基礎的な知識だって、そもそも悪魔に関する知識が殆どない俺達にとっては、十分貴重な情報だ。一つ一つは些細なものでも、繋げて合わせれば見えてくるものもある。まずは悪魔に関する本の読み飛ばした部分をもう一度読み直してみろ。何か分かってくるかもしれない」




