マーリーンの過去
「失礼します……あれ、保健の先生いないみたいだね」
保健室の扉を開けると、ちょうど先生は外出中だった。
途中から諦めて抵抗を止めたマーリーンは、私の腕に抱えられたまま、ふん、と鼻を鳴らした。
「……全く、とんだ無駄な時間ね。治癒魔法が出来ないなら意味がないわ。さっさと寮に帰……」
「いや。一応消毒と、止血だけしようよ。道具は勝手に使っていいって前言ってたからさ」
そのままマーリーンを開いているベッドの上に降ろすと、私は棚の上から救急箱を探した。
確か以前はこの辺りに……あ、あった。あった。
憮然とした表情でベッドの淵に腰を降ろして足を組んでいるマーリーンの元へ、救急箱を持っていく。
「それじゃあ。マーリーン。手を貸して」
「……これくらい、あんたの手なんか借りなくても、一人で出来るわよ」
「出来るかもしれないけど、利き手だからやりにくいだろう?ほらほら」
マーリーンは酷く嫌そうに顔を歪めたが、それ以上は何も言わずに手を差し出した。
手の傷は、紙で切ったにしては結構深く、マーリーンの白い指先にはぷっくりと滲んだ血が浮かび上がっていた。
消毒液を染みさせた白いガーゼで傷口をそっと拭い、細い包帯でぐるりと巻いて止血する。
「包帯なんてするような怪我じゃないのに。……本当大げさなんだから」
そう言って唇を尖らせて、右手を眺めるマーリンの姿が過去と重なった。
「……そう言えば、昔もこんなことあったね。マーリーン」
「……昔っていつの話よ」
「私とマーリーンが出会ったばかりの頃、だよ。ほら、マーリーンがいくら近づくなって言っても、私がマーリーンに話しかけるのやめなかったから、マーリーンが怒って私のことを突きとばしてさ」
「……あんたは軽くよろめいたくらいなのに、なぜか突きとばした方の私が転んで、怪我をしたのよね。思い出したくない間抜けな話だわ。その後、さっきみたいにあんたに抱えられて、保健室に連れて行かれたことも含めて」
苦々しい顔で遠くを見るマーリーンに、思わず口元に笑みが浮かんだ。
マーリーンの赤い髪を一房そっと人指の先で掬いとる。
絹のように柔らかい髪は、さらりと私の指の側面を滑って落ちて行った。
「あの時に比べると随分、髪が伸びたね」
「三年、ずっと伸ばしだったから、これくらいは伸びるわよ。……本当は、また切りたいくらいだけど、まもなく卒業だからそう言う訳にもいかないし。あんたもそろそろ伸ばした方がいいんじゃない? 鬘があるにしろ、流石にその髪のまま卒業を迎えるわけにはいかないでしょう。せめて結えるくらいじゃないと」
「……そうだね。そろそろ考えておかないといけないかもしらない」
今のすっかり女性らしくなったマーリーンの姿からは想像がつかないが、出会った頃のマーリーンの髪は、今の私よりもさらに短かった。
そのうえ、皆より半年ほど遅れて編入したものだから、マーリーンは酷く浮いていた。元々の気が強い性格がさらに孤立に拍車をかけて、周りの生徒は皆マーリーンを遠巻きにして避けていた。
そんなマーリーンが気になって仕方なかったから、私は拒絶を露わにするマーリーンを構い倒して、最終的に親友の座を手に入れたわけだ。
最初に見た時のマーリーンの髪も驚きだったが、その理由の方がさらに驚きだった。
『――いい加減、腹が立ったから全部刈ってやったのよ。「これで、あなたたちの仲違いする材料が一つ無くなったわ。髪が無くなって、今度は目の色まで気になるのなら、今ここで両目とも潰してあげましょうか?」って言ってね』
ようやく「友達」と言えるくらいまで打ち解けたマーリーンは、吐き捨てるようにそう言った。
マーリーンは名門貴族ベルモッド家の、一人娘として生まれた。
燃えるような鮮やかな赤毛と、ルビーのような赤い目の、美しい赤ん坊だったマーリーン。
しかし、両親を始め、一族の多くが焦げ茶色の髪と瞳のベルモッド家の中で、マーリーンが宿している赤い色は、異端だった。
髪と瞳の色は、ほとんどの場合が遺伝によって決定している。……だけど、必ずしもそうというわけではない。
魔力バランスの影響か、宿している魔力の性質によって髪や瞳の色が遺伝的にはありえないものに変わることは稀にありうる。だから、マーリーンの髪の色が特殊なものであっても、不思議はないのだ。
だけどマーリーンの父親は、その可能性よりも先に、妻の不貞を疑った。皮肉なことに、母が昔親しくしていた男性の友人の一人が、ちょうどマーリーンと同じ色を宿していたのだ。
父親の疑いは、マーリーンの魔力が安定し、魔力による親子関係の鑑定が出来るようになる三歳の誕生日まで続いた。
そして三歳の誕生日。マーリーンは、所有魔力の性質から、紛れもない父親の子どもであることが証明された。これにて、全て一見落着……とは、いかなかった。今度は痛くもない腹を探られ、一族からいわれのない中傷を受けていた母親の方が怒りだしたのだ。
――私は何度も何度も、この娘はあなたの子ですと言いました。
それなのにあなたは、鑑定を受けるまで一切私の言葉を信じず、言われない中傷を囁く一族の人間を止めてはくれなかった……。それどころか、一緒になって私を批難さえしましたね。
私は誇り高きタオ家出身の女です。妻にこのような辱めを与える夫と一緒になどいられません!! 離縁致しましょう!!
しかし、こんな理由で当主が離縁されたとなったら、ベルモッド家はそれこそ貴族中に恥を晒すことになる。母親の生家であるタオ家にとっても、ベルモッド家に対する憤りを差し引いても、娘が夫を捨てて出戻って来ると言うのは不名誉なことではある。
周囲の必死の説得もあり、母親は何とか離縁だけはとどまった。しかし、一度芽生えた夫に対する憎悪の気持ちは収まらなかった。
最初はただただ平謝りをしていた父親だったが、元々プライドが高い性質なこともあり、いくら謝罪を重ねようとも頑なに拒絶の姿勢を崩さない妻を、憎むようになっていった。
互いに憎しむ合う二人だったが、それでも娘であるマーリーンには、一応ちゃんと親としての情愛を注いではくれたらしい。特に母親は、夫に注ぐ筈だった愛情の分まで、マーリーンを溺愛していた。
単体では優しい両親だったが、それでも顔を合せれば人が変わったように互いに憎悪を露わに罵りあっていた。そんな両親の姿を見ていたマーリーンが傷つかない筈だない。しかも、その喧嘩の元々の原因は、自分自身が持って生まれた色なのだ。
口さがない親戚の中では、はっきりと「マーリーンのせい」と言うものもいたらしい。……自身の色を選んで生まれたわけでもないマーリーンには、何の罪もないのに、ひどい話だ。
そんな歪な両親の姿を幼少からずっと見せられて来たマーリーンだったが、この貴族学園に入学する前の年に、とうとう切れた。
『……私が全寮制の学園に行っていなくなれば、今以上に二人の関係が悪化することなんて分かりきっていたわ。ならばいっそ、今まで溜めに溜めていた感情を全てぶつけてしまおうと思ったのよ。もしそれで両親との仲が険悪になったとしても、どうせ私は家を出るのだから関係ないし』
マーリーンは、女の命である髪を自らの手で全て刈取り、丸坊主の状態で喧嘩中の両親の前に現れたのだ。
愛娘のあまりの変貌ぶりに、両親は喧嘩も忘れて暫し茫然としていたという。




