薄紫の手紙
初めて彼の人の姿を目にした瞬間、息が止まるかと思った。
私の理想をそのまま形にしたような方が、この世に実在しているだなんて思わなかった。
私は目の前を通り過ぎて行ったあの人の背中を、ただ呆けたように見つめていた。
まるで白昼夢の幻想のようだった。
それでも、あの人は幻なんかじゃなくて。
その時からずっと、あの人だけを見つめ続けていた。
欲しいだなんて、思わない。
話掛けようとすら、思わない。
そんなこと、とても恐れ多いから。
近づくだけでも、烏滸がましいの。
ただ遠くから見てるだけ、それだけで幸せだった。
いつだってきらきら輝いているあの人を、ただ見てるだけで良かった。
……あの、女が。あの忌々しい女が、あの人に近づき出すまでは……!!
やめて、あの人に話しかけないで。
あの人は、あんたが話しかけて良いような人じゃない!!
……ああ、どうして。どうして、あんな女にそんな表情を見せるのですか……!?
そんな風に、あの女を、特別な存在のように扱うのですか……!?
……憎い。
憎い憎い憎い憎い
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎憎い憎い憎い憎い!!!!!!
あの女が、殺してやりたいほど、憎くて仕方ないっ……!!
……だけど、私は我慢した。
三年もの間、殺意を押し殺して必死に耐えてきた。
あの人に迷惑を掛けたくなかったから。ただ、その一心で。
私、頑張った。
――だから、もういいよね。
これだけ頑張ったから、もうきっと、あの人だって許してくれるよね?
万が一あの邪魔な女を消したのが私だと知られたとしても、「仕方なかった」とそう思ってくれる筈だよね?
だって、私頑張って今まで耐えてきたのだもの。
待ってなさい。
もうまもなくよ。
もうまもなくしたら、あんたに贈り物をするから。
憎いあんたを、永遠にあの人の前から消してあげるから、楽しみに待っていなさい。
「……おっとと。……うん。全部受け止められたな」
「……相変わらず、すごいわね。あんたの靴箱」
靴箱を開いた瞬間、雪崩のように落ちてきた手紙の数々を慣れた調子で受け止めると、一緒に寮に向かう途中だったマーリーンが呆れたように言い放った。
「武闘大会の後だからね。試合を見てくれて、ファンになってくれた娘が結構いるみたいだ。今の時期はテストもないし、結構みんなイベントに飢えているみたいだね」
「それ、全部女の子からなの?」
「時々、剣術の弟子にして下さいっていう熱い手紙を貰うことはあるけどね。まあ、ざっと見た所、今回の差出人の名前は全部女の子みたいだよ」
私は様々な可愛らしいデザインが施された封筒の宛名に目を通しながら、頷いた。
定期的に、学園の他の生徒からこうやって手紙を貰う。
それは私が男装をしていることを中傷するような言葉が書かれた嫌がらせの手紙や、真剣な恋心を綴った恋文だったりすることもあるが、大抵の場合は私の何かしらの行動を讃えるファンレターだ。
今回の武闘大会では残念ながらザイードに負けて優勝は出来なかったが、それでも「女性なのにあそこまで勝ち進むのはすごい!」とたくさんの賛辞の手紙を貰った。恐らく今回の手紙も、同様だろう。
個人的に勝負事は男も女も関係ないとは思っているのだけど、やっぱりその辺はどうしても割増で評価に関係するんだよな……。ザイードも、女相手に対抗意識を燃やすのは……って言っていたし。
「その一番下の、薄紫のシンプルな手紙も? 他と違って、随分と飾り気がないけど」
「ああ。これは武闘大会のファンレターとはまた違うんだ。一年の頃から定期的に靴箱に入っているんだけど、いつも何も書かれていない便箋が一枚中にあるだけで、差出人も何も書いていないんだ」
差出人の性別は勿論、何で靴箱に入れるのかも正直よく分からない。
だけどきっと、手紙を書きたくても照れて書けないような、恥ずかしがり屋の女の子が、せめて何かしらの想いが届くようにと入れているんじゃないかなと思っている。
大人しくて、奥ゆかしい娘なんだろう。
一人納得して頷く私に、マーリーンは私の言葉に口元を引きつらせた。
「……何であんた、そんな手紙貰って平然としているのよ。怖いとかは思わないわけ? 変な魔法とか掛かっていたらどうするのよ」
「まさか。だって、三年間特に何も起こっていないんだよ。危害を加えるならもっと早くしているはずさ」
「おめでたいわね……そんなの機会伺っているだけかもしれないじゃないの。危機感なさ過ぎよ」
「大丈夫だよ。ほら、今回も白紙の便箋が一枚入っているだけ……あれ?」
封筒を開けて、中に入っていたのは見慣れた飾り気のない白い便箋。
しかし、いつもなら何も書いていない筈のそこに、今回は神経質そうな細い文字で、一言だけ文字が書かれていた。
「――『待っていて下さい』って……何を、待てというんだ?」
「……あたっ!」
「……マーリーン? どうしたの?」
手紙の真意が分からず眉を顰めた途端、自身の靴箱を開けていたマーリーンが声をあげた。
「……何でもないわ。私の靴箱にも珍しく手紙が入ってたから、手に取ってみたら封筒の縁に引っかかったみたいで、少し指の先切れただけ。大したことじゃないわ」
「大したことないって……血が出てるじゃないか!!」
「ただ紙で切っただけのかすり傷に、大げさよ」
差し出されたマーリーンの白い人差し指の先には、ぷっくりと血が滲んでいた。
私はそれを見た瞬間すぐに鞄に手紙をしまって、膝下と背中に手を入れるようにしてマーリーンを抱き上げた。
「……ちょ!! 何をするのよ!!」
「かすり傷だって、そこから細菌が入って酷くなることだってあるんだよ!! すぐ保健室に行こう」
「だからって、それで何で私を抱き上げる必要があるのよ!! 早く降ろしなさい、馬鹿!! こないだのネルラ先生の時といい、あんたは女を姫抱きにして保健室に運ぶ趣味でもあるの!?」
「だって、そうしないとマーリーン、逃げるだろ? 保健室に行ったらおろすよ」
「何でそうなるのよ!! こんなの数分もすれば、塞がるに決まってるでしょう!! 保健室に行く意味を感じないわ。……私の話、ちゃんと聞いてる? ねぇ、ちょっと……話を聞きなさいよ!! 馬鹿!! 馬鹿!! ――おろせぇえええ!!!!!!」




