6.葛藤
(そんな……バカな……っ)
安用は動揺していた。
(あれは、海に沈めよと命じた筈だ。それが、何故……っ)
握りしめた袴にぎゅっと皺が寄る。
今からでも「消す」か?
いや。
しかし――。
「父上?」
目の前には、訝し気に自分を窺う娘の姿がある。
ああそうだ。
この子は、「あれ」に会ってしまったのだ。
そして、知ってしまったのだ。
自分と瓜二つの人間が、この島に居ることを。
ここは、知らぬ存ぜぬを通す?
他人の空似と嘯く?
否。
この子は聡い。
そのような嘘はすぐに見破ってしまうだろう。
それに。
真直ぐ私の許に来たということは。
私がこのことを知っていると思っているからだ。
私があれを「消し」に動けば、この子は私の仕業と思うだろう。
畏れ多くも大山祇神社の大祝を務める者が、人を殺めろと命じたと知れば。
この子は――神の娘は、私を侮蔑するだろう。
駄目だ。
そのようなことは、あってはならぬ。
安用は首を横に振った。
そして、肚を決めた。
この子には、きちんと話しておこう、と。
――あれを海に沈めよと命じたこと以外は。
「お鶴よ」
「はい」
「よかろう。全てを、お前に話す」
「……」
鶴姫は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「但し、このことは他言無用ぞ。よいな」
安用の念押しに、鶴姫は小さく頷いた。
大永6(1526)年初秋。
大山祇神社の産屋にて、元気な産声が上がった。
「産まれたか!」
神前にて安産祈願の祈りを捧げていた安用は、弾かれたように顔を上げた。
側室の妙林が産気づいてから、早や一昼夜が経とうとしていた。
思いの外の難産に、安用は一抹の不安を覚えていた。
(もしやすると、此度は危ういやも知れぬ)
この時代の出産は、まさに命懸け。
こと難産に当たっては、母子ともに命を落とすことさえ珍しくはないのだ。
いそいそと産屋に向かう安用の耳に、再び赤子の産声が聞こえた。
「!」
ぴたりと、その足が止まる。
喜びに溢れていた安用の顔が、歪む。
「よもや……」
苦し気な呻き声が、零れた。
「やすもち、さま……」
妙林は、ぐったりと安用を見上げた。
「妙林……」
安用は強張った顔のまま、その手を握った。
「もうしわけ、ござりませぬ」
妙林はさめざめと涙を流した。
「……」
安用は何も言えなかった。
本当は、優しい言葉をかけてやりたかったのに。
「大祝さま」
産婆がおずおずと声をかけてきた。
安用は一度目を閉じて、大きく息をつき――意を決して振り向いた。
「元気な、お子様にござります」
「うむ」
「ただ――」
産婆の声音が強張る。
「先に男子、次いで女子のご誕生に御座ります」
……ああっ。
安用の唇から、声にならぬ声が漏れた。
(やはり、そうであったか……)
――不吉。
現代では考えられぬことであるが――。
この時代、多胎は「畜生腹」と呼ばれ、それ自体が「不吉な事」として忌み嫌われていた。
ましてや、それが代々神を祀る家で、起きてしまった。
安用が受けた衝撃の強さは、想像に難くはないだろう。
「誰かある」
「はっ。これに」
「急ぎ、籤の準備を」
「畏まりました」
家人の足音が遠ざかるのを聞きながら、安用は小さく首を横に振った。
これは――どちらかを減らさなければ。
そう思い極めた安用は、他ならぬこの社の主神・大山積の神にそれを問うことにした。
即ち。
産まれた二人の子のうち、どちらを選ぶか。
安用はその選択を、神に丸投げしたのだ。
身を清めた安用は、神前にて籤を引いた。
引いた籤に赤い丸が書かれていれば、女子を。
何も書かれていなければ、男子を。
震える手で引いた籤を開く。
(……)
籤の中には、赤い丸が書かれていた。
「女子の方、か」
安用は、自分でも驚くほどに淡々とした口調で結果を述べた。
(まさにこれは、神の御宣託じゃ)
このことを深く深く、己に言い聞かせながら。
「妙林。我らが娘じゃ」
安用は、神が選んだ女子を妙林の横に寝かせた。
「本日、我らの間に産まれたはこの子のみぞ。よいな」
「――はい」
妙林は、一筋涙を流した。
それが、選ばれなかったもうひとりの我が子への、せめてもの手向けだった。
安用は、神が選ばなかった男子を抱いて、産屋を後にした。
「誰かある」
「はっ、これに」
「弥次郎を呼べ」
「弥次郎殿を、でござりますか?」
「うむ。急ぎの要件じゃ」
「か、畏まりました」
家人がわたわたと駆け出す背中を、安用は複雑な思いで見つめていた。
(此度のことは、固く口留めせねばなるまい)
安用は小さく溜息をついた。
小半時後。
安用の前に、ひとりの武士が畏まった。
「大祝様。遅くなりまして申し訳ござりませぬ。弥次郎、お呼びにより罷り越しました」
「弥次郎。忙しい所を済まぬな」
「なんの。して、何用でござりましょうや」
「うむ」
安用は、真白なおくるみに包まれた赤子を抱き上げると、弥次郎の前に披見した。
「弥次郎。不吉なことが起きた。あろうことか、畜生腹であった」
「なんと……では、その御子が」
「神が捨てよと命じられた子じゃ」
「……」
「弥次郎」
「はい」
「この子を――」
安用の命に、弥次郎の左の眉がぴくりと動いた。
「――というわけで、私はその子を弥次郎に託した。後のことは知らぬ」
「では、あの者は、やはり……」
鶴姫の呻くような声に、安用は無言を貫いた。




