5.突撃
がたん。
音を立てて、大たらいが転がり出す。
貧しい小袖を着た「鶴姫」が振り向く。
「誰じゃ!」
「鶴姫」は厳しい声で誰何した。
まるで、鏡を見ているかのよう。
この顔。
どこからどこまで。
まさに、生き写しとは、このこと。
「……っ」
次の瞬間、鶴姫は意外な行動に出た。
「そなた!」
大音声と共に、飛び出してきたのだ。
鏡の中の「鶴姫」は、度肝を抜かれた顔をした。
「ひ、姫……さま?」
魂の抜けたような声が、その唇から漏れた。
鶴姫は、「鶴姫」に向けて突進した。
「そなたは、何じゃ!その顔はどうした!何故我と同じ顔をしているのじゃ!」
心に浮かんだ疑問を、短く投げつけながら。
「え、あっ、いや、その」
対する「鶴姫」は、たじたじと後ずさる。
「逃げるでない!我の問いに答えよ!」
「いや、逃げているわけでは」
「では、何じゃ!」
「え、えっと……」
鶴姫の激しい口撃に、「鶴姫」の眉尻が情けなく下がった。
騒ぎを聞きつけたのか。
「鶴丸、騒がしいのう。如何した」
小屋の中から、壮年の男が顔を出した。
「なっ!」
その双眸が、驚きに見開かれる。
「これは……如何なることじゃ」
茫然とした呟きが、その唇から零れた。
「そなた、中津治右衛門か!」
鶴姫は、鋭い声音で誰何した。
「はっ!如何にも!」
治右衛門は、弾かれたようにその場に片膝をついた。
「では尋ねる。この者は、何じゃ!」
鶴姫は、ぴっ、と右の人差し指を「鶴姫」に突き付けた。
「――っ」
「鶴姫」は、あからさまに嫌な顔をした。
「そなた、何じゃ、その顔は!」
「いくら姫様とて、他人を指さすとはあまりにも無礼ではありませぬか!」
先ほどまでのたじたじとした態度は何処へやら。
「鶴姫」は毅然とした態度で抗議に転じた。
「あっ」
その一言で、鶴姫は冷や水を浴びせられたようになった。
(この者の申す通りじゃ。気が昂っていたとはいえ、我としたことが)
「これは済まぬことをした。許せ」
鶴姫は、「鶴姫」に向けて素直に詫びた。
「卒爾ながら、鶴姫様は何故かようなところに?」
鶴姫が冷静になったところを見計らうように、治右衛門が口を開いた。
「むっ」
鶴姫は「こほん」と小さく咳払いすると、
「じ、実は馬を止めて海辺を散策していたところ、道に迷うてな」
少し頬を赤らめて、そんな嘘をついた。
「左様でござりまするか。では、馬の所までお送り致しましょう」
と、治右衛門が立ち上がりかけるのへ、
「いや、待て」
鶴姫は短く制した。
「治右衛門でも、そなたでもよい。是非にも先ほどの我が問いに答えてもらいたい」
「は……しかし」
「答えねば、どうでも帰らぬ」
鶴姫は、井戸端にどっかりと腰を下ろした。
「……」
治右衛門と「鶴姫」は、困惑したように視線を交わしたものだ。
「そういえばそなた、名を何と申したか」
鶴姫は、お寿が出した白湯で喉を潤すと、改めて「鶴姫」に向き直った。
「鶴丸にござります」
「左様か。我ら、名も似ておるのう」
「はあ……」
鶴丸と名乗った少年は、再び困惑したような顔をする。
息子のその顔を見た治右衛門は、再び鶴姫の前に畏まった。
「――畏れながら、鶴姫様」
「何じゃ、治右衛門」
「我ら、あなた様の先ほどの問いには、お答えするわけには参りませぬ」
「それは何故ぞ」
「このことについては他言無用と、厳しく申し付かっておる故にござります」
「それは、誰の言じゃ」
「……」
治右衛門は、口を噤んだ。
「――さては、我が父か」
治右衛門は、肯定も否定もしなかった。
「父上!父上!」
社に戻った鶴姫は、どすどすと床を踏み鳴らしながら父の姿を探した。
「そなたら、父上を見なかったか?」
「はっ、お部屋にてお休みかと存じますが」
「わかった」
鶴姫は鷹揚に頷くと、父・安用の私室へと歩を進める。
「父上。鶴にござります」
「おお、お鶴か。如何した」
「少々、お尋ね致したきことがございます。ちと宜しゅうござりますか」
「入りなさい」
「はい」
鶴姫は、片膝をついた状態から、静かに障子を開く。
安用は文机に向かっていた。
硯には黒々とした墨。
どうやら、何処ぞへ文をしたためようとしていたらしい。
「これは……お邪魔でしたでしょうか」
「いや。大事ない。明日までに返事を出せばよいものじゃ」
安用は小さく笑みを浮かべると、「さあ」と鶴姫を招き入れた。
鶴姫は頭を下げると、父の前に座った。
「して、お鶴。尋ねたきこととは、何じゃ」
「はい」
鶴姫は、ちらりと父の顔色を窺う。
そして、ひとつ息をつくと、率直に切り出した。
「父上。本日馬にて遠乗り致した折のことですが」
「待て」
安用は片手を上げて、鶴姫を制した。
「お鶴よ。本日は客人を招いての歌会があった筈ぞ」
「……あっ」
「そなた、また顔を出さなんだのか」
「……」
「全く、そなたという女子は。歌は我らの嗜みとあれほど申し聞かせておるというのに」
安用は呆れた様子で首を横に振った。
「お言葉ですが、父上。我は歌が不得手なのです」
「歌など、数をこなせば自ずと詠めるようになる。四の五の言わず、精進せよ」
「……はい」
鶴姫は不承不承に頷いた。
「で、何があったのじゃ」
安用はさらりと話題を変えた。
どうやら長々と説教するつもりはないようだ。
(良かった。今日はご機嫌が良いようじゃ)
鶴姫はほっと胸を撫で下ろした。そして、
「父上にお尋ね致します」
ずいと膝を進めて安用を真直ぐに見上げた。
「なんじゃ、改まって」
安用は怪訝そうな顔をする。
「実は、出掛けた先で我にそっくりな男を見たのです」
「――なに?」
安用の顔が、さっと蒼ざめた。
「その者の面体は、まさに我と鏡写し。とても他人の空似とは思えませなんだ」
「……」
安用の目が、うろうろと宙を舞う。
この父がこれほどあからさまに動揺するとは――。
(やはり、何かある)
そう確信した鶴姫は、眦を上げて父に迫った。
「父上。教えて下さい。あれは、何なのです?」




