4.好奇心
天文8(1539)年、秋――。
鶴姫は14歳になった。
武芸に励むお転婆ぶりは相変わらずだったが、女性としての教養も学ぶようになっていた。
数年後には必ず来るであろう、その日のために。
彼女には、許嫁者がいた。
元々は家同士の話し合いで決められたことだが、鶴姫は正しくその男を愛した。
その男の名は、越智武丸。
鶴姫と同い年の、涼しい瞳をした少年だ。
男女7歳にして席を同じうせず。
そのように言われていた時代のこと。
二人が顔を合わせるのは、武丸が父・安正に連れられてこちらに顔を見せる時ぐらいだ。
「鶴姫殿」
「武丸さま」
二人は再会を喜び合い、大人たちが用を済ませる間、暫し散策などして共に時を過ごす。
「いつか、武丸さまと厳島など行ってみたいものです」
「鶴姫殿。あちらの女神様は大層嫉妬深いと聞いております。恋仲の男女が社を訪れると、別れさせてしまうとか」
「まあ、それは大変」
「故に、厳島へ行くのは、我らが共に暮らすようになってからに致しましょう」
「……」
武丸の言葉に、鶴姫は思わず頬を赤らめる。
「安正殿。そろそろ話を進めてもよいかと」
「安用殿。同感です」
二人の仲睦まじい様子をそっと見守っていた二人の父は、同じ思いを口にした。
その数日後のこと――。
「姫様!」
「姫様!これから歌会に御座りまするぞ!」
女房達の変わらぬ声が、大山祇神社から聞こえてくる。
その声を振り切るように、馬が駆け出した。
馬上の人は、鶴姫だ。
鶴姫を乗せた馬は、色づき始めた木々の間を軽快にすり抜ける。
(そういえば)
鶴姫は、唐突に思い出す。
(昨年の夏、ここであの者に会うたな)
あの、頭巾を被った、不思議な少年に。
「……」
鶴姫は馬の足を緩め、耳をそばだてた。
だが、聞こえるのは風が木々を揺らす音のみ。
「やはり、おらぬか」
鶴姫は思わず独り言ち――。
(あっ)
己の心の動きに、瞠目する。
(――我は一体、何を期待しておるのか)
(まさかに、またあの者に相まみえたいとでも?)
やがて、鶴姫は海岸に出た。
海を渡る風の心地良さに、彼女は思わず目を細める。
(これは良い)
鶴姫は暫し、海沿いを散策することにした。
沖に目を転ずれば、村上の旗を立てた小早舟がすいすいと海を走る。
その後ろを、悠然と進む商船と思しき大きな船。
水軍とは、時に「海賊」と揶揄される存在だが、金さえ払えばこのように旅の安全を保障してくれるのだ。
(まさに、海には海の理があるということじゃな)
鶴姫は、興味深くその様を眺めている。
翻って。
三島水軍は村上水軍と違って、往来する船から関銭を取らぬ。
加えて、大三島自体が神域故、魚を獲る漁師もいない。
それでも人々の暮らしが成り立っているのは、ひとえに大山祇神社を抱える島としての特殊性にある。
大山祇神社の主神は大山積神。一般には「三島大明神」の名で呼ばれるこの神は、瀬戸内の海の守護神だ。
故に、大山祇神社はこの瀬戸内の海で生計を立てている者の絶大なる信仰を集めている。
そして彼らは、良いことがあれば大山積神にお礼の品を捧げ、また心配事があれば金を払って祈願を依頼する。
下世話な言い方をすれば、この島は人々の信仰のかたちで十分潤っているのだ。
(武丸さまの許に嫁ぐまでの、短い期間ではあるが――)
(なればこそ、我も巫女の役目を精一杯果たさねばなるまい)
鶴姫は、手綱を握る手に力を込めた。
やがて、彼女の視界に、三島水軍の旗を掲げた小舟が飛び込んできた。
水夫の他に、三人の男達。
その中に、頭巾を被った少年の姿がある。
(あっ……あれは、いつぞやの)
鶴姫の目が、少しだけ大きくなった。
鶴姫は、舟を追い始めた。
何故なのか、自分でもわからない。
ただ。
あの少年の行き先が、気になって仕方なかったのだ。
舟は、簡素な船着き場で止まった。
がやがやとした声を立てて、男たちが下船してくる。
鶴姫は咄嗟に馬から降りると、馬を連れて木立の中に隠れた。
三人の男と水夫は、挨拶を交わして別々の方向へと別れた。
鶴姫は馬をその場に繋ぐと、そろりそろりと後をつけ始めた。
男たちは、後をつけられていることなど全く気付いていないようだ。
(……褒められたことではないが、なかなかに面白い)
鶴姫の瞳が、悪戯に輝いた。
男たちは、海にほど近い粗末な小屋へと入っていった。
どうやら、ここで暮らしているようだ。
(あの者たち、中津治右衛門の子息と申しておった)
(治右衛門は、武功上げること度々と聞き及んでいるが――身分は低いままか)
それは、何故か。
鶴姫はふと眉を顰めた。
武家の社会には、人としての道理とは別の理があることを、彼女は知らぬ。
ややあって。
がたっと音を立てて、戸が開いた。
「あっ」
鶴姫は慌てて物陰に身を潜める。
手拭いを片手に出てきたのは、頭巾を被ったあの少年だ。
「……」
鶴姫の背に、緊張が走った。
何故なのかは、わからない。
少年は、井戸端にやってきた。
手拭いをそこに引っかけて、井戸から水を汲む。
脇にあるたらいに、ざぶりと水を移す。
そこで少年は、周囲をぐるりと見渡した。
どうやら、人の目を気にしているようだった。
「弟は、顔に酷い火傷の跡があるのです」
少年の兄の言葉が、鶴姫の脳裏に蘇る。
(火傷の跡を余人に見られたくないのじゃな)
鶴姫は、少年の行動の意味をそのように受け取った。
であれば――。
今ここで、少年を覗き見している己はどうなのか。
少年が隠そうとしているものを、陰に潜んで見ようとしている、この我は。
しかも、神聖なる大山祇神社の大祝を務める家の娘が。
だが。
鶴姫は、立ち去ることが出来なかった。
少年の隠された素顔への純粋な興味か。
それとも――。
少年は、無造作に頭巾をはぎ取った。
小さく息をついた、その顔――。
「――えっ?」
それを目の当たりにした瞬間、鶴姫の思考が停止した。
これは、何じゃ?
我は、何を見ている?
思わず、身じろぎしたその時――。
がたっ!
大きな音を立てて、立てかけてあった大たらいが転がり落ちた。




