3.秘密
「……る」
「鶴!」
「あっ……え?」
鶴丸は、ようやく現実に引き戻された。
夕餉の席。
正面には父母。
右には兄。
皆、鶴丸の顔を覗き込んでいた。
「な、なんじゃ、親父もお母も、どうしたんじゃ」
「どうしたんじゃ、と訊きたいのはこちらの方じゃ。先ほどから、何を言うても上の空ではないか」
治右衛門は盃を舐めつつ、上目遣いに鶴丸を見た。
「親父。さようなことは」
「ありますよ。今日の鶴丸は変です」
「お母まで、そんな」
「まあまあ、親父もお母も良いではないか。鶴にだってぼーっとしたいときもあろう」
太郎次は、さりげなく口を挟んだ。
「かもしれませんが、心配です」
母のお寿は、ふくよかな顔を曇らせた。
「お母、何がじゃ」
「だって、鶴丸がご飯をお代わりしないなんて」
「あっ」
お寿に言われて、鶴丸は自分の椀を覗き込んだ。
確かに、1杯目の飯をまだ半分しか食っていない。
鶴丸は、やにわに飯を掻き込むと、
「お母。お代わり」
椀を母に向けて差し出した。
こんなことで、母親に心配をかけるのは、本意ではない。
その夜。
「う……ん」
鶴丸は、何度目かの寝返りを打ったところで、もそもそと起き上がった。
眠ろうと頑張ってみたものの、どうにも眠れないのだ。
「……」
隣では、太郎次が軽く寝息を立てている。
鶴丸は、くしゃくしゃと頭を掻きまわすと、そろりと部屋を後にした。
鶴丸は、ゆっくりと砂浜に足を踏み入れる。
島々の浮かぶ海はまだ昏く、空は微かに紫色に染まるのみ。
夜明けまでは、まだ時間がありそうだ。
(……?)
仄暗い波打ち際に人影を認めた鶴丸は、ふと足を止めた。
(こんな時間に、誰であろうか?)
目を凝らしていると、その影が動いた。
「やはり来たな。鶴丸」
笑いを含んだ、聞き慣れた声。
治右衛門の声だ。
鶴丸は、さくさくと音を立てて砂浜を進む。
「親父、どうしてここに」
「お前と同じじゃ。どうにも眠れなくてな」
「なんぞ、あったのか?」
「お前こそ、何があった」
「……」
「まあよい。海に出るぞ」
治右衛門は、船着き場に向けて歩き出した。
「あっ」
鶴丸は慌ててその後を追う。
――父の背中に、秘密の匂いがした。
父と子は、小舟に乗って沖へと漕ぎ出した。
瀬戸内の海は表面は穏やかだが、水面下の潮流は複雑だ。
「この辺りで良かろう」
治右衛門は、潮の流れが緩やかな場所を探し当て、そこで櫓を止めた。
海を渡る風が、一度だけ舟を大きく揺らした。
治右衛門と鶴丸は、姿勢を低くして揺れが収まるのを待った。
「さてもさても、なかなかに悪戯な風じゃの」
治右衛門は楽し気に呟いた。
だが、風の悪戯はこの一度きり。
揺れが収まってしまえば、まごうことなき凪の海と変化した。
「ふむ。海神は我らを招き給うたか」
治右衛門は、唸るような声を上げた。
「親父。先ほどから何を言っているのじゃ」
鶴丸は困惑の声を上げた。
全くもって、意味が分からない。
治右衛門は、鶴丸の戸惑いをあからさまに無視した。
「鶴丸。太郎次から聞いたぞ」
唐突にそんなことを言われ、鶴丸は更に困惑を深めた。
「兄者から?何を?」
「お前、鶴姫様に会うたそうじゃな」
「えっ」
鶴丸はぎくっと身体を硬直させた。
治右衛門がここでその話を持ち出す理由がわからない。
治右衛門は、鶴丸の動揺などお構いなしに、訥々と言葉を繋いだ。
「夕餉の場でのお前は、どこからどう見てもおかしかった。故に、太郎次に尋ねたのよ。鶴丸に何があったのかと」
「……」
鶴丸は頭巾を被らぬ顔に手をやった。
「話を聞いて、さしもの儂も驚いた。まさかあのお方が供の者も連れず、かようなところにお越しになるとは」
治右衛門は声もなく笑った。
「儂は、お前とあのお方が顔を合わせる日など来ぬことを願っていた。だが、会うてしもうたのなら致し方ない」
「親父。一体何を知っている?」
鶴丸の声音が一層険しくなった。
「まあそう急くな。順番に話す故」
治右衛門は、鶴丸の背に手を添えた。
「鶴丸。儂とお寿はお前にこう言うて聞かせていた。お前は儂の親戚の子で、赤子の時に両親を失い、儂ら夫婦が引き取った。それ故、お前は家族の誰とも似ておらぬのだと」
父の言葉に、鶴丸は小さく頷いた。
「だが――」
治右衛門は、そこで言葉を切った。
月に照らされた息子の顔をちらりと伺い――何かを逡巡するように水面を見つめた。
「……」
鶴丸はごくりと唾を飲み、ただ父の次の言葉を待った。
ややあって。
「鶴丸――それは、全て嘘じゃ」
治右衛門は、鶴丸にとって思いもよらぬことを打ち明けた。
「嘘――?」
鶴丸の顔から血の気が引いた。
嘘?
嘘とは、何じゃ。
親父は、何を言っているのじゃ。
治右衛門は、意を決したように屹とした眼差しで告げた。
「お前は、儂とは全く血の繋がっていない、赤の他人の子なのじゃ」
「親父。それはどういうことじゃ!」
鶴丸は声を荒げた。
「鶴丸。これは余人に知られてはならぬことぞ」
対する治右衛門の声は、この凪の海のように穏やかだった。
「故に、儂はお前をここに連れてきた。これから話すことを心して聞け」
星は、育ての父と子のその姿を見守り。
風は、そよと優しく海を渡り。
父が全てを話し終えた時。
静かだった海が、再び小さく動き出した。
「――これが、儂の知る全てじゃ」
「……」
鶴丸は、がくりと両膝をついた。
「そんな……」
鶴丸は、膝の上で両の拳を握りしめた。
(俺は、要らぬ子だったのか……っ!)




