2.衝撃
「鶴!しくじったな!」
太郎次は舌打ちすると、悲鳴が聞こえた方へと駆け出した。
「あっ」
弾かれたように、鶴丸も後を追う。
(畜生。俺としたことが)
鶴丸は内心歯噛みする。
あの距離で、的を外したことなどなかったのに。
今日に限って、どうして。
二人は、斜面を転げるようにして道に出た。
そこには、あふあふと動き回る馬と、倒れ伏した少女の姿。
「どう、どう」
「だ、大事ありませんか!」
太郎次は興奮した馬を取り押さえ、鶴丸は少女へと駆け寄った。
「あ……痛っ」
少女は顔をしかめつつ、ゆっくりと起き上がった。
見事な馬具。
少女の出で立ち。
そして、その身体から醸し出される気品。
どう考えても、身分の高い家の娘だ。
(もしやして、このお方は――!)
兄弟の背中を嫌な汗が流れ落ちた。
「そ、卒爾ながら、鶴姫様とお見受け致します!」
太郎次と鶴丸は、酷く慌てた様子で少女の前にがばとひれ伏した。
「我らの失態によりて御馬を驚かせてしまい、大変申し訳ござりませぬ!」
「失態……?」
頭の上で、座り直す音がした。
「はっ、我ら、当地にて弓の稽古をしておりましたところ、折悪く放った矢が外れ、こなたに飛んだものと」
「なに、矢が」
「姫様御到来を知らぬこととは申せ、大変申し訳ござりませぬ!お詫びの言葉も御座りませぬ!」
言葉を尽くして謝罪する太郎次の横で、鶴丸はただただ額を地面にこすりつけた。
「両名とも。事情はわかった。であれば、謝罪には及ばぬ」
対する鶴姫の声音は、実にあっけらかんとしていた。
「確かに、そなたらの流れ矢に我が愛馬が驚いたのは事実。だが、我がうまく対応出来なかっただけのことじゃ」
「はっ、し、しかし」
「我としたことが、馬から落ちるなど……口惜しや」
桜色の唇から、心底悔し気な呟きが漏れた。
(……)
兄弟は頭を下げたまま、困惑の視線を交わし合った。
この姫は、馬から落ちたことがそんなに悔しいのか。
「さ、二人とも。面を上げるがよい」
「は、ははっ」
鶴姫に優しく促されて、二人はおずおずと顔を上げた。
鶴丸は、ゆっくりと視線を上げる。
ぶっ裂袴。
腰に巻かれた鹿の毛皮。
小太刀。
浅黄色の小袖。
紅梅色の袷。
零れる黒髪。
そして。
まだあどけなさの残る、美しいその顔――。
(えっ?)
頭巾の中で、鶴丸は瞠目した。
(そんな……バカな……!)
鶴丸は思わず顔を伏せた。
――見てはいけないものを見てしまった。
直感的に、そう思った。
「これ、さように怖がらずともよい」
鶴丸が、罪の意識に震え上がったと思ったのだろうか。
鶴姫は、更に優しく声をかけてきた。
「はっ、は……まことに、申し訳なく」
鶴丸は再び地面に頭を擦りつけた。
「ふふふ。これに懲りたら、弓の鍛錬をすることじゃな」
「は、はい。承知致しました」
「ときにそなたたち、何処の者じゃ」
「はっ、三島水軍にて足軽を務めます、中津治右衛門が一子、太郎次。これなるは弟の鶴丸にござります」
「おお、中津治右衛門か。その名は父より聞き及んでおる。先だっても武功を上げたそうじゃな」
「畏れ入ります。その言葉、父はさぞや喜びましょう」
太郎次は頬を紅潮させた。
父を褒められたことが、素直に嬉しかった。
「鶴丸とやら」
「はい」
「そなた、その被り物は如何した」
鶴姫は、鶴丸の頭巾に興味を示した。
「え……」
鶴丸は困惑した。
(何と、答えたら)
鶴丸は、我知らず頭巾に手をやった。
彼が不安を感じている時の癖だ。
「畏れながら、鶴姫様」
太郎次は鶴姫に向き直ると、
「実は、弟の顔には酷い火傷の跡がござりまして――幼い頃、囲炉裏に落ちて、それで」
さりげなく助け舟を出してくれた。
「ほう。それは気の毒じゃな」
その言葉を信じた鶴姫は、美しい顔を曇らせた。
「じゃが、鶴丸とやら。そなた。両の眼はしっかりと見えるのじゃな」
「は、はい」
「であれば――侍としては、何の問題ない」
「……!」
「研鑽を積み、良き将となられよ」
鶴姫は、頭巾から覗く鶴丸の目を見つめて、大きく頷いた。
(この方は、俺を勇気づけようとして下さるのか)
鶴丸の胸が熱くなった。
(はじめてお目もじしたが――優しい姫様じゃ)
そして、鶴姫は再び馬上の人となる。
「では両名。今後も励め。但し、今日のようなしくじりはするでないぞ」
「ははっ」
深く頭を下げる兄弟から、馬の足音が遠ざかっていく。
「――驚いたな」
太郎次がぽつんと呟いた。
「兄者。驚いたのは、俺の方じゃ」
「そうか。それもそうじゃな」
太郎次は、弟の肩を抱いた。
「帰るぞ。鶴丸」
「うむ」
住まいに戻った鶴丸は、井戸端に立った。
井戸から水をくみ上げ、脇のたらいに流し込む。
被っていた頭巾を、外す。
露になったその顔。
太郎次が言っていた、酷い火傷の跡など微塵もなく。
それどころか――。
男にしておくには惜しいほどの美貌だ。
鶴丸は、たらいの水が落ち着くのを待っていた。
その水が空を映すまでに平らかになった時――。
彼はためらいながら、その水面に己が顔を映した。
「……うう……」
鶴丸の顔が、歪んだ。
水面に映る鶴姫の顔が、同じように歪んでいた。




