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1.鶴丸と鶴姫

 天文7(1538)年、夏――。

 じりじりとした太陽が辺りを容赦なく照りつける中。

 その少年はひとり、砂浜から海を見ていた。

 

 成長過程の華奢な身体。

 腰にはボロボロの(こしら)えの小太刀を差し。

 薄汚れた小袖の尻をからげ。

 袖と裾から覗く日に灼けた四肢は、まさに野生そのもの。

 腕を組めばしっかりと筋肉が隆起し、見た目に拠らず鍛錬を積んでいるように見受けられた。


 不思議なことに――。

 彼は頭から頭巾をすっぽりと被っていた。

 面体を隠さねばならぬ理由があるのか。

 それとも。


 ざわっ。

 海が、不意にさざ波だった。

 「何だ?」

 少年は、背伸びするようにして、沖合に視線を巡らす。

 「あ」

 その口から呆けたような息が漏れる。

 彼の目に留まったもの。

 それは、商船と思しき大きな船が、何艘もの小早舟に執拗に追いかけられている様だった。

 小早舟に掲げられた旗印は、来島(くるしま)水軍のもの。

 恐らく商船は、彼らに支払うべき関銭を渋って、怒りを買ってしまったのだろう。


 逃げ惑う商船は、真直ぐにこちらに向かってくる。

 (これは、剣呑)

 少年は頭巾の中で厳しく瞳を凝らした。

 

 「おーい、鶴丸よお」

 自分を呼ぶ声に、少年は振り向いた。

 その視線の先には、一艘の小早舟。

 舟には壮年の男と、少年より2つ3つ年上の若い男の姿がある。

 壮年の男は彼の父親、中津治右衛門(じえもん)

 その傍らに立つのは、兄の太郎次(たろうじ)だ。

 「何じゃあ、親父」

 鶴丸と呼ばれた少年は、声を張り上げて返事した。

 「出張るぞ。お前も乗れ」

 「あの船のことか」

 「そうじゃ。あの調子だとおっつけ神域に入る故、その前に追い返す!」

 「わかった!すぐ行く!」

 鶴丸は砂浜を駆けだし、波打ち際手前でぽん、と大地を蹴った。


 ひらり。

 華奢な身体は宙を舞い。

 すとん、と小早舟の中央に降り立った。

 「よし。出してくれ」

 治右衛門の合図に、水夫たちは櫂に力を込めた。



 鶴丸たちが住まう大三島(おおみしま)は、大山祇(おおやまづみ)神社を戴く神の島。

 その大切な島を守る役目を背負うのが、治右衛門が属する三島水軍だ。

 主な任務は神の島の防衛だが、今回のように、ふりかかりそうな火の粉を未然に払うのも重要な役目である。


 鶴丸たちを乗せた小早舟は、商船の行く手を阻むように立ち塞がる。

 「太郎次、鶴丸。少々驚かせてやれ」

 「心得た」

 治右衛門の指示を受け、二人の息子はきりきりと弓を引き絞る。

 「わわ、こなたにも海賊が!」

 商船から慌てふためいた声が飛んできた。

 「海賊とは無礼な。我らは神域を守る三島水軍じゃ!」

 「そうじゃ。神の軍勢を侮辱した罪は重いぞ!」

 二人の息子は大声で言い返すと、引き絞った弓弦を解放した。

 「ひいっ」

 射かけられた商船は、這う這うの体で沖に逃げていく。

 だが。

 そこには来島水軍が、網を張って待ち構えていた――。


 「よし。戻るぞ」

 商船が来島水軍の手に落ちたことを見届けると、治右衛門たちは浜へと帰っていった。

 「親父。あいつらどうなるかな」

 「たっぷり油を搾られ、法外な金を取られ、ついでに高価な荷も取られるな」

 治右衛門はあっさりとした口調で答えた。


 これが、瀬戸内の海のありふれた日常の姿である。

 

 

 さて、その数日後――。

 大山祇神社には、直垂姿にて威厳を正した武将とその供の者の姿があった。

 来島水軍を率いる、村上通康(むらかみみちやす)だ。

 「いやはや、またしても三島水軍にはお手間をおかけ致した」

 「なんの。こちらは神域に来られても困る故、追い払っただけのことじゃ」

 通康の正面に座り、談笑している束帯姿の男こそ。

 大山祇神社の大宮司にして神の島の支配者・大祝安用(おおほうりやすもち)である。

 

 「失礼致します」

 奥から、茶器を目上に掲げて、山吹色の小袖姿の少女が顔を見せた。

 白い肌に豊かな黒髪。

 少し紅潮した頬はまだあどけないが、なかなかの美貌である。

 「おお、これは鶴姫殿」

 通康の口から感嘆の声が漏れた。

 「通康殿。ようお越し下されました」

 鶴姫は、口元に微かな笑みを浮かべた。

 「私が点てた拙き茶なれど、どうぞお召し上がりくださりませ」

 「おお、左様か。では、有難く頂戴致そう」

 通康は、作法に従って、茶を口に含む。

 「うむ。旨い」

 「まあ……ありがとうござります」

 「そういえば、鶴姫殿が触れた者は戦で傷を負わぬとか」

 「謂れなきただの噂に御座りますれば、どうかお聞き流しを」

 「いや。侍とは担げる縁起は全て担ぐもの。本日はまこと良きものを頂いたものじゃ」

 通康は上機嫌だ。


 通康は、珍しい色彩の置物と、銭の入った袋を置いて帰っていった。

 「父上、これは?」

 「ふふふ」

 娘の問いかけに、安用は意味ありげな笑みを浮かべるばかりだった。

 

 

 鶴姫は当年13歳。

 安用が側室・妙林(みょうりん)に産ませた子で、正妻の子である嫡男・安舎(やすおく)とは親子ほども年が離れている。

 彼女はまだ子供から少女へ変わり始める年頃なれど、父に乞われて早くも巫女の役目を果たしている。

 「そなたを早や巫女に致せと、畏れ多くも御神託があったのじゃ」

 というのが安用の言い分であったが、真偽のほどはわからない。

 (まあ、よいわ)

 鶴姫は調子のいい父の願いを受け入れた。

 いずれにせよ、大祝家の娘は巫女として神前に上がるものであったからだ。

 

 鶴姫は、その美しい顔に似合わず快活で男勝りな一面もあった。

 馬で遠乗りに行ったり、道場にて武芸に励んだり。

 良家の娘としての習い事よりも、鶴姫はむしろこちらの方を好んでいた。

 「兄上、一手御指南を!」

 鶴姫は、直ぐ上の兄・安房(やすふさ)を捕まえては稽古を望んだ。

 「お鶴。またか」

 安房は呆れ声を上げながらも、妹の望みのままにした。

 彼もまた、このじゃじゃ馬のことが可愛くて仕方ないのだ。


 

 そして。

 今日も鶴姫はそのお転婆ぶりを発揮し、単騎にて遠乗りに出掛けていた。

 女房達は供を連れて行くようにと懇願したが、鶴姫は頑なに拒絶した。

 

 鶴姫は大祝(おおほうり)家の姫。

 常に誰かしらの視線に晒されて生きている立場だ。

 鶴姫には、それがどうにも息苦しくてたまらなくなることがある。

 そうした時に、単騎にて遠乗りという暴挙に出るのである。

 「それ」

 鶴姫は踵で馬の腹を擦り上げる。

 馬は耳をきゅっと絞ると、更に速度を速めた。

 「ふふ、爽快」

 鶴姫の顔が、楽し気に綻んだ。



 その頃。

 太郎次と鶴丸の兄弟は、大きな木に的を設えて弓の稽古をしていた。

 「では、俺から行くぞ」

 太郎次は自信たっぷりに矢をつがえる。

 「兄者、腕を上げたのか」

 「おうよ。よう見ておけ」

 「さては、親父に散々こき下ろされたのが悔しかったか」

 「煩い。要らぬことを言うな」

 弟の揶揄に、太郎次はあからさまに嫌な顔をした。


 ひゅん。

 軽い音を残して、矢が放たれた。

 それは過たず的に向けて飛んでいく。

 そして。

 矢は、小さな音を立てて的に突き刺さった。

 「見よ、ど真ん中じゃ」

 太郎次は得意そうに胸を張った。

 「兄者。やるのう」

 鶴丸は素直に感心した。

 「ははっ」

 弟に褒められた太郎次は、それは嬉しそうな顔で笑った。


 「鶴丸、次はお前じゃ」

 「おう。兄者には負けられぬ」

 鶴丸は矢をつがえる。

 (兄者がど真ん中なら、俺もど真ん中じゃ)

 ひゅん、と弓弦が鳴る。


 ところが。

 放たれた矢は、どういうわけか明後日の方へと飛んで行った。

 

 「あっ……!」


 (しまった!)

 鶴丸は狼狽した。

 矢が飛んだ先には、道がある。

 


 ひひーん!!

 「きゃあ!」


 馬と女子の悲鳴が交錯した。


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