47.鶴たちの行方
鶴姫と安成を乗せた船が来島城に到着したのは、空が白み始めた頃だった。
突然の、しかも早朝の訪いであったにもかかわらず、村上通康はすぐに面会してくれた。
「これは驚いた。まさかに、鶴姫殿が直々にお越しになるとは」
簡単な挨拶を交わした後、通康は率直な驚きを口にした。
そして、鶴姫の傍らに座る安成に視線を転じた。
「安成殿。命永らえたか」
「はい。生死の境を彷徨いましたが、こうして生きること叶いました」
安成は左手をつくと、通康に向けて頭を下げた。
「うむ。それは重畳」
通康は目元を綻ばせた。
「して、鶴姫殿。如何なるご用件でこちらに?」
「はい。兄より書状を預かって参りました。どうぞご披見下さりませ」
鶴姫は懐より書状を取り出すと、通康の側近に手渡した。
「――拝見しよう」
通康は側近から書状を受け取ると、直ぐに読み下し始めた。
「……むう」
読み進めるうちに、その表情が変化する。
苦くもあり、そして、何か胸につかえているような。そんな複雑な表情だ。
「左様か……」
読み終えた通康は、茫洋と呟いた。
「……」
通康の様子に、鶴姫は眉根を寄せた。
兄の書状は来島への援軍要請の筈だ。
だが、それにしては通康の反応はどうにも合点がいかぬ。
(――通康は、如何したのであろうか)
「安成殿。身体は辛くはないか」
通康はまず、重傷を負った安成を気遣った。
「正直に申しますれば、長く座ることはまだ」
「それはいかぬな。すぐに床を取らせよう」
通康が目配せすると、側近が席を立った。
「鶴姫殿。我が城は手狭にて、客人を長逗留させるには向いておらぬのだ」
「えっ?」
鶴姫は瞠目した。
通康の言葉の意味が、全く呑み込めない。
「今治に儂が懇意にしている豪商がいる。儂から話を通しておく故、準備が整い次第そちらへ移られるが宜しかろう」
「通康殿、お待ち下さい!」
鶴姫は困惑の声を上げた。
「我は、兄より援軍を願えと申し付かって参りました。今のお話は、何かのお間違いでは――?」
「なんと」
通康の眉がぴくりと動いた。
「もしや、鶴姫殿は何もご存じないのか?」
「……通康殿。それは、どういうことでしょうか」
鶴姫は、美しい顔に険しさを滲ませた。
「……」
通康は、安成の表情を窺った。
安成は、苦し気にただ首を小さく横に振った。
「なるほどのう」
通康の唇から、やるせない溜息が漏れた。
「鶴姫殿。これに目を通されよ」
通康は、安舎の書状を鶴姫に突き出した。
鶴姫は、震える手で書状を受け取った。
ごくりと唾を飲む。
一度目を閉じる。
そして。
意を決したように、兄の書状に目をやった。
「――あああ!」
やがて、鶴姫の口から、魂切るような叫びが上がった。
「そんな――兄上、何故じゃ!」
安舎の書状には、鶴姫を逃がすための計略の全てが記されていた。
即ち――。
陶隆房が持ち掛けた和睦に応じるふりをして、時間稼ぎをし。
彼奴等の油断を誘った上で、夜陰に紛れて鶴姫とその夫・安成を来島城へと向かわせた。
誠に勝手なお願いながら、通康殿におかれては、鶴姫と安成をどこか安全な所に匿って頂きたい。
なお、大三島に残る我らは「偽の鶴姫」を立てて、陶隆房の首を取らんがため夜明け前に襲撃をかける。
このことの結果の如何に関わらず、これを以て鶴姫は表舞台から姿を消す。
神の娘たる鶴姫を、人質として周防に連れて行かれることだけは断じて許容致し難く。
通康殿。どうかどうか、我らの思いをお汲み取り願いたい。
この二人が共に生きることこそ、我らの希望そのものであるから――。
「いやじゃ、こんなの、いやじゃ!」
鶴姫は金切り声を上げた。
「鶴姫殿、落ち着かれよ」
「我のために、鶴丸が――そんなの、いやじゃ!絶対にいやじゃ!」
鶴姫はやにわに立ち上がると、そのまま何処かへ駆け出そうとした。
「鶴姫殿!何処へ行かれる!」
「知れたこと!大三島に戻ります!」
「それはならぬ!」
通康は鶴姫を抱きとめた。
「通康殿!後生じゃ!行かせて下され!」
「もう、遅い!見よ、とうに陽が上ってござる!」
通康はぴしゃりと残酷な現実を口にした。
「――!」
鶴姫は、びくんと身体を硬直させた。
「鶴姫殿。全ては終わったのじゃ」
茫然と立ち尽くす鶴姫に、通康は諭すように語りかけた。
「これからそなたがすべきことは、皆の思いを無下にせぬことのみぞ。そうは思われぬか?」
「あ……ああ!」
鶴姫は、その場に泣き崩れた。
(鶴丸――鶴丸……っ!)
瀬戸内の海に、穏やかなる朝の陽光が降り注ぐ。
「……」
鶴丸は、海の中からその光をぼんやりと眺めていた。
周囲には、この戦で命を落とした者たちの姿。
敵も味方も、最早関係ない。
彼らは潮に揺られ、ゆらゆらと水面に向けて少しずつ動いている。
だが。
鶴丸だけは、ゆっくりゆっくりと海の中へと沈んでいく。
「顔の奇麗な子は海神の御国に連れて行かれるのだ」
幼い頃に聞いた、治右衛門のあの話が鶴丸の脳裏に蘇る。
ああ、そうか。
鶴丸は得心した。
俺は、海神の御国に連れて行かれるのか。
結局、陶隆房の首は取れなかった。
追い詰めて、腕に傷はつけた。
だが。
そこまでだった。
惜しかったな。
鶴丸はただそう思う。
悔しいとか、無念だとか。
そのような感情は、不思議と沸いてこなかった。
やがて。
鶴丸の脳裏には、家族の姿が。
親父。すまない。約束、守れなかった。
兄者。姉上と仲良く。
お母。お母の飯はまこと日の本一だったぞ。
おたみ。
何も伝えてなくて良かった。
本当に。
ちりん。
どこからか、巫女鈴の音が聞こえてきた。
お鶴?
鶴丸は、目を凝らして水面を見上げる。
様々な美しい色合いに揺らぐそこには。
「つるまる!」
鶴姫の、あの笑顔――。
お鶴――。
鶴丸は、水面へと手を伸ばす。
お鶴。
無事に逃げ延びたか。
安成様と二人、笑うておるか。
お鶴。
お鶴。
俺たちの海は。
今日も。
奇麗だ――。




