46.隆房の首
「くっ――」
隆房の唇から、言葉にならぬ呻きが漏れた。
主君・義隆から連れて帰れと命じられた人質が、あろうことか刃を手に己が目の前に立っている。
(武器を奪って、捕らえられるか)
(否。頭からそのつもりで掛かるのは危険だ)
何故なら。
「鶴姫」も三島水軍も、本気で己の首を取りに来ているからだ。
「皆の者!」
隆房は遂に決断した。
「鶴姫殿とて構わぬ!三島水軍を殲滅せよ!鶴姫の首級を挙げて手柄と致せ!」
「承知っ!」
大内の兵達は猛然と三島水軍に挑みかかった。
「三島の兵どもよ!雑魚に構うな!目指すは陶隆房の首ひとつ!」
「鶴姫」は大音声で味方を鼓舞した。
「本陣に火を放て!」
「はっ」
「させるか!」
大内の兵が、火をかけようとする三島の兵に躍りかかる。
「邪魔じゃ!」
三島兵は大内兵を蹴り上げる。
「ぐふっ」
「命が惜しくば、船から降りよ!」
三島兵は叫びざまに、本陣に火を放った。
「笑止!降りたところで、行くところなどないわ!」
大内兵は何とか火を消しにかかる。
「無駄じゃ!甲板にはたっぷり油を吸わせておる!」
「くっ!」
「我らは雑兵には興味はない!命が惜しくば逃げるがよい!」
「おのれ、我ら大内水軍を愚弄致すか!」
「何じゃと!この石頭め!」
二人は罵り合いながら、刃と刃をぶつけ合った。
「者共、進め!隆房を追い詰めよ!」
鶴丸は薙刀を振るいながら、味方を鼓舞し続けた。
彼が動く度に、甲冑につけた巫女鈴が小さな音を立てる。
(お鶴。俺に力を――)
鶴丸はその鈴の音に、妹の面影を重ねた。
全ては、妹に代わって神なる島を守るために。
そして。
愛しい妹の行く末を守るために。
「隆房!我と勝負せよ!」
鶴丸は声を張り上げ、ただひたすらに逃げる隆房の背中を追い続けた。
ただ。
薙刀は使い慣れていない上に、その重量故にどうしても機動性を犠牲にしてしまう。
(くっ……これでは、追いつけぬ)
(やはり、俺は俺として戦うべきか)
そう判断した鶴丸は、薙刀を捨てて愛用の小太刀に切り替えた。
ちりん。
巫女鈴が、この判断を肯定するかのように小さくなった。
(お鶴。共に陶の首を取ろうぞ)
身軽になった鶴丸は、あっという間に隆房の背後に迫る。
「殿!お逃げ下され!ここは我らが!」
鶴丸の前に、屈強な武将が立ちはだかった。
どうやら名のある将のようだ。
「ちっ」
鶴丸は紅を引いた唇で、その美しい顔に似合わぬ舌打ちをする。
(残念だが、貴殿の首に興味はない)
鶴丸は襲い掛かる敵将の刃をかいくぐり、さっと身を屈める。
そして、足を滑らせて躊躇なく相手の股の間を潜り抜けた。
「なに!」
敵将は狼狽した声を上げる。
まさかに、うら若く美しい娘が、己の股の間を潜るとは思わなかったのだろう。
「ま、待て!」
敵将の声を後ろに聞きながら、鶴丸は再び隆房に迫った。
「おのれ、しつこい奴!」
「殿、相手をしてはなりませぬ。ここは御身大事に!」
隆房の苛立ちは、側近の諫めに立ち消えた。
隆房はその手勢を犠牲にしながら、何とか乗り継ぎ先の小早舟に辿り着いた。
大内水軍の総大将が乗るには、あまりにも粗末で小さな舟だ。
(くそっ……三島水軍め――っ)
隆房は歯噛みした。
まさかに、大内義隆を支える重臣である陶隆房ともあろう者が、こんな無様な姿を晒すことになろうとは。
「よし。出してくれ」
側近の合図に、漕ぎ手は櫂を握る手に力を込めた。
「と、殿!」
「お待ちください!」
乗り遅れた兵たちの叫びを背に、隆房を乗せた舟は本陣を離脱した。
「待て!隆房!逃げるか卑怯者!」
鶴丸はその側近たちを蹴散らすと、大音声でその背中に罵声を浴びせた。
それに構わず、隆房の背中は次第次第に遠ざかる。
「くそっ」
鶴丸は苛立ちを拳に込めた。
(最早、ここまでか)
鶴丸の美しい顔が、悔しさに歪んだ。
その時――。
「鶴姫様!」
本陣の影から、三島水軍の小早舟が姿を見せた。
その数、僅か三艘。
先頭の舟には安正が、続く舟には治右衛門と太郎次が乗っている。
「最早本陣には用はございません!共にあやつを追いましょうぞ!」
「!」
安正の言葉は、折れかけた鶴丸の心に再び闘志の炎を灯した。
「さあ」
安正が鶴丸に手を伸ばす。
鶴丸は、姫としてその手を取り、安正の舟に乗り移った。
彼らが目指すは。
陶隆房の首、ただひとつ。
逃げる隆房。追う三島水軍。
その間に、大内勢の小早舟が割り込む。
何とか総大将だけは逃がそうと、彼らも必死だ。
「……」
鶴丸は小早舟の舳先に立ち、敵舟の距離を測る。
(あの船共を足場にすれば、陶の舟に――)
届く。
「安正殿。舟を変えます」
「鶴姫様!」
鶴丸は、ひょいと身体を躍らせると、父と兄が乗る舟に飛び移った。
「鶴丸!」
「親父。敵の舟を利用して、陶に迫りたい」
「!」
鶴丸の言葉に、さしもの治右衛門も戦慄した。
「バカな……よせ!敵兵ひしめく舟を渡り歩くなど、無理じゃ」
「そうじゃ。返り討ちに遭ったらどうするのじゃ。こなたも助けに入れる保証はないぞ」
治右衛門と太郎次は、口々に鶴丸を止めようとした。
「親父、兄者。この通りじゃ」
鶴丸は、二人の前に深々と頭を下げた。
「俺は、お鶴のこの鈴に誓ったのじゃ。必ず陶隆房の首を取ると」
「鶴丸……」
「やるだけやって、どうでも無理なら諦める。それで良かろう?」
鶴丸は、それは美しい顔で二人に笑いかけた。
「……わかった」
遂に、治右衛門は許諾した。
「但し、約束せよ。必ず生きて戻ると」
「無論じゃ」
鶴丸は、力強く請け負った。
「それ、大内の舟と併走せよ」
治右衛門の下知を受け、親子を乗せた舟はすいすいと波を切って進む。
鶴丸は敵方の舟との距離を測り。
そして。
家族の乗る舟を蹴って、敵の舟へと踊り込んだ。
「敵じゃ!」
「討ち取れ!」
迫りくる敵を蹴散らしながら、鶴丸は次の舟へと飛び移った。
治右衛門たちは、鶴丸を必死で追いかけた。
だが、敵の舟に阻まれ、その背はどんどんと小さくなっていく。
「鶴丸!」
太郎次が弟を呼ぶ声は、俄かに起きた強い風にかき消された。




