45.夜襲
大内の軍勢は、ぐっすりと眠りについていた。
見張りの兵だけは起きていたが、彼らもどこか弛緩していた。
何しろ、あれだけの抵抗を見せていた大山祇神社の大祝が、和睦に応じたのだ。
もう、戦は終わったのだ。
そんな雰囲気が大内勢の間に蔓延していた。
「この辺りは海賊の巣窟だ。用心せよ」
隆房はそんな言葉で引き締めようとしたが、それは不発に終わった。
「村上水軍ならいざ知らず、その辺の小勢力がこれだけの軍勢に挑みかかろうとは思うまいよ」
まさに。
大内の軍勢は、慢心していたのだ。
「ん?」
本陣の宿直の兵が怪訝そうな声を上げた。
「どうした?」
仲間の兵が声をかける。
「いや――今、何か動いた気がしたのだが」
「どこじゃ」
「あの辺りだ」
仲間が指し示した方角に目を凝らしても、そこは暗闇が広がるばかり。
「何もないぞ」
「そうか。波でも見間違えたのやも知れぬ」
「人騒がせな」
「済まぬ」
異変を口にした兵は、ばつが悪そうに頭を掻いた。
だが。
残念ながら、それは気のせいではなかった。
三島の軍勢は今、まさに本陣を守る舟に静かなる攻撃を仕掛けようとしていたのだ。
(油を撒け)
(おうよ)
(早うせい。見つかるぞ)
(わかっておる)
関船によじ登った足軽は、敵の目を盗みながら甲板に油をたっぷり撒いて回った。
「なんじゃ、臭いのう」
呑気に出てきた宿直の兵は、声もなく脇差で仕留められた。
(よし、行くぞ)
足軽達は関船を離脱する。
そして。
「それ、これでも喰らえ」
油をたっぷり食らわせた甲板に向け、焙烙玉をぽいぽいと投げつけたものだ。
ぼおっ!
関船の甲板から、勢いよく火の手が上がる。
あちらの船からも、こちらの船からも。
まさに、一斉攻撃だ。
「あっ、火事じゃ!」
「早う消せ!」
大内勢は突然のことに大慌てだ。
「……ん?」
本陣に設えた部屋で眠っていた隆房は、何やら焦げ臭い匂いで目が覚めた。
「なんだ!何があった!」
「殿!関船に火災が生じておる由にござります!」
「なに、火事じゃと?」
隆房は、慌てて部屋を飛び出した。
その姿は、佩楯と小手を身に着けてはいるが、肝心の甲冑は付けておらぬ。
つまり。
安舎の策略に、他ならぬ隆房さえもまんまと嵌められたのだ。
「くっ」
隆房は周囲をぐるりと見渡す。
燃えている関船は1艘だけではない。
本陣を守る船全てが紅蓮の炎に包まれようとしていた。
「――!」
隆房は奥歯をギリッと噛み締めた。
「おのれ、三島め――儂を謀りおったな!」
「殿っ」
「三島の奇襲じゃ!本陣を移動させる!無傷な舟を護衛に回させよ!」
「はっ!」
「使番!このことを各隊に伝えよ!三島の軍勢、決して生かして帰すな!殲滅せよ!」
隆房は憤怒の表情のまま、下知を飛ばした。
「ははっ!」
「おのれ、安舎っ!絶対に許さぬ――っ!」
隆房の怒りは凄まじかった。
「殿――っ!」
「今度は何じゃ!」
「左舷より、火に包まれた荷舟が突っ込んできます!」
「後方からも同じく!」
「くっ!躱せ!本陣にぶつけさせるな!」
「はっ!」
次の瞬間。
どん、という衝撃音と共に、左前方に炎が上がった。
「!」
続いて、後方からも同じ衝撃。
「くそっ!火を消せ!」
そして。
隆房は、信じられないものを目にする。
いつの間にか、油を持った三島兵が甲板に立っていたのだ。
「こやつら、いつの間に――!」
「火船に気を取られて、お留守になっておったからじゃ」
三島兵はにいっと笑うと、油を乱暴にまき散らした。
「貴様っ!」
三島兵は繰り出される刃を巧みに躱すと、本陣の舳先に飛びあがった。
「おーい、油撒いたぞお」
「おうよ」
短いやり取りの後に投げ込まれたのは、火がめらめらと燃える焙烙玉。
「くそ!」
隆房は咄嗟に焙烙玉を蹴とばした。
焙烙玉は空に放物線を描くと、隣の関船に落下した。
「――あっ」
狼狽する隆房の前で、焙烙玉の火が油に引火した。
立ち上る火柱。
逃げ惑う兵達。
「へへっ。御大将自ら味方の船を燃やすとは。皮肉なもんじゃのう」
三島兵はふてぶてしくも、そんな嫌味を投げつけてきたものだ。
「――!」
隆房の目の前が真っ赤になった。
「皆の者!こやつらの首を大山祇神社に晒せ!」
その唇から、神をも畏れぬ下知が飛んだ。
「そうはさせぬ」
凛とした声が、騒然とした本陣に舞い降りた。
――女の声だ。
「!」
隆房は反射的にそちらを振り向く。
「――あ……」
声の主を認めたその目が、驚愕に見開かれる。
隆房が、大内本陣の兵達が目にしたもの。
それは、姫装束に甲冑を纏い。
手には薙刀を携え。
勇ましい鉢巻き姿の、うら若い娘の姿。
「まさかに……鶴姫殿か――っ!」
呻くような声が、隆房の唇から漏れた。
「如何にも!」
娘は力強く隆房の言葉を肯定した。そして、
「大内の者共!我は大三島を束ねる大祝安舎が妹・鶴である!」
薙刀を振り回すと、大音声で名乗りを上げた。
「鶴姫……!」
「鶴姫じゃと?」
大内の兵達の間からざわめきが立ち上った。
鶴姫は三島大明神が憑いた神の娘。
過去の対戦で数々の奇跡を起こした、あの娘が――?
「陶隆房殿に申し上げる!」
「鶴姫」は、立ち尽くす隆房に薙刀の切っ先を向けた。
「兄が何を申したかは知らぬが、我は人質として周防に出向くこと、全く承服致しかねる!」
「!」
「加えて、先だっての戦でそなた等は我が夫となるべき男の命を奪った!その憎っくき大内にどうして従えようか!」
「鶴姫」は、どん、と薙刀の石突を甲板に打ち付けた。
「よって、我は今この時、心ある者を引き連れ、安成殿の敵討ちに参った!隆房殿!尋常に勝負せよ!」




