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44.「鶴姫」最後の出陣

 同じ頃。

 治右衛門(じえもん)と二人の息子は、出陣前の水盃(みずさかずき)を交わしていた。

 貧しい足軽故、縁起物は揃えられぬままに。

 「いざ」

 治右衛門の合図とともに、三人は盃をぐいと(あお)り。

 腰の刀の(つか)で、かわらけを割った。


 その姿を、お寿(ひさ)とお奈津(なつ)は声もなく見守っている。

 「んむ、ぶぶ」

 お奈津の腕の中で、三太(さんた)が不思議そうに声を上げた。

 「三太。父様の出陣ですよ」

 お奈津は三太に優しく語り掛ける。

 「三太も一緒に、ご武運を願いましょうね」

 「うあっ」

 思いがけず、三太は大変良い返事をした。

 「おお、三太がご武運をと申したぞ」

 「それは頑張らねばならぬな」

 「必ず、陶隆房(すえたかふさ)の首を挙げて来ようぞ」

 治右衛門一家は、思わず破顔した。


 「では、行って参る」

 「皆々様、ご武運を!三島大明神のご加護を!」

 男たちは死地に向かい、女たちはその背中を見送る。

 戦が終われば、またここに戻ってくる。

 誰もがそのことを信じて――。


 

 「では、親父、兄者。後で会おう」

 「心得ました、鶴姫様」

 「もう、兄者。この期に及んでふざけるのはやめよ」

 「ははは。しっかり支度して参れ」

 鶴丸は、父と兄に見送られながら一路大山祇(おおやまづみ)神社へと向かった。

 最後の「鶴姫」としての役目を果たすために。

 


 大山祇神社では、弥次郎(やじろう)が待っていた。

 「弥次郎殿。お鶴は?」

 「先ほど、出立なされた」

 「そうですか」

 鶴丸は小さく(うなず)いた。

 (お鶴。早や行ってしまったか)

 鶴丸は、少しだけがっかりしていた。

 今後、いつ会えるともわからない妹だ。

 (……顔を、見ておきたかったな)

 あの太陽のような、無邪気な笑顔を。


 「鶴丸。来たか」

 社では安舎(やすおく)越智安正(おちやすまさ)が出迎えてくれた。

 「そなたには面倒をかけるが、宜しく頼む」

 「この策を言い出したのは俺です。どうぞお気になされませぬよう」

 鶴丸は安舎を気遣った。

 

 この「兄」は「父」とは違い、本当に優しい男だ。

 故に鶴丸は、安舎には余計な心労をかけたくないと思った。

 

 「鶴丸殿。狙うは陶隆房の首ただひとつ。宜しいな」

 「はい」

 安正の言葉に、鶴丸は小さく頷いた。

 「腕を落とされた安成の父として、(わし)も陶に挑む覚悟じゃ。共に参ろうぞ」

 安正は力強い言葉と共に、鶴丸の肩を抱いた。

 「鶴丸殿。今のうちに言うておく。そなたは孤独などではない。それをゆめ忘れるな」

 「安正様……」

 不覚にも、鶴丸の視界が(にじ)んだ。

 「さあ、皆が待っている。支度してきなさい」

 「はい」

 安舎に促されて、鶴丸は「鶴姫」になる。


 2年前にも身につけた姫装束(ひめしょうぞく)。そして甲冑。

 化粧は鶴姫付きの女房の手で丁寧に。

 「まあ、ほんに姫様に瓜二つ!」

 化粧を終えた女房は感嘆の声を上げた。

 鶴丸はそれへほろ苦い笑みを返して、鏡の中の「鶴姫」を見つめた。

 

 「つるまる!」

 

 「えっ」

 どこかから妹の声が聞こえた気がして、鶴丸はきょろきょろと辺りを見回した。

 「鶴丸殿。どうされましたか?」

 「あ、いや……」

 鶴丸は曖昧に誤魔化(ごまか)した。

 (そうだな。気のせいだな)

 鶴姫は今頃、安成と共に来島(くるしま)へと向かっている最中だ。


 鶴丸は、もう一度鏡を(のぞ)く。

 (お鶴。行って参る)

 鏡の中の妹に、心の中で語り掛けた。


 

 そして。

 虎の下刻(午前4時ごろ)――。

 治右衛門の声掛けに応じた兵達が、三々五々(さんさんごご)と集まってきた。

 あと半刻(はんとき)もすれば、空が白み始める。

 それまでが、彼らに与えられた時間だ。


 三島水軍は、一昨日の戦いで大幅に戦力を減らしていた。

 最早正攻法や攪乱(かくらん)で大内勢に対抗するのは無理筋だ。

 正直な話、奇襲によって活路を見出す以外の選択肢がないのだ。

 「良いか。これが最後の機会じゃ」

 安正は、集まった兵達を前に厳かに告げた。

 「必ずや陶隆房の首級を挙げるべし!大三島が生きる道はそれしかないと心得よ」

 「……」

 一同、握り拳で胸をトントンと叩き、その意思を表した。


 そこへ。

 姫装束に身を包んだ鶴丸が姿を見せた。

 一同、無言のまま頭を下げて「鶴姫」を出迎えた。

 「皆々。よくぞ集まってくれた。礼を申す」

 鶴丸は兵達に向け、深々と頭を下げた。

 「これが、泣いても笑っても最後の戦いじゃ。必ずや大内勢を打ち払い、大三島に平穏を取り戻そうぞ」

 「……」

 一同は、先ほどと同じ仕草で鶴丸に応えた。

 「では、参ろうか。目指すは敵本陣。陶隆房の首ひとつ!」

 鶴丸の声を合図に、兵達はそれぞれの持ち場に散った。


 「安正殿。我が方の船の数は?」

 「小早舟15と、荷船が5じゃ」

 「荷船には油と焙烙玉(ほうろくだま)がたっぷりでしたね」

 「左様。まずは盛大に燃えてもらう手筈」

 安正は不敵な笑みを浮かべた。

 

 焙烙玉を始めとしたこれらの武器は、戦に出られない者たちが寝ずの番で作ってくれた。

 他ならぬ、神の島を守るために。

 皆がそれぞれに、己に出来る方法で力を尽くしている。

 

 「安正殿。では、こなたの差配を頼みます。俺は敵本陣へ」

 「心得た。気をつけてな」

 「はい」

 鶴丸と安正は短く会話を交わすと、小早舟に乗り込んだ。

 「……」

 鶴丸は、さっ、と軍配を振るう。

 攻め太鼓も法螺貝(ほらがい)の音もなく。

 三島水軍は静かに出陣した。

 

 

 (三島大明神よ。海神(わだつみ)よ)

 (神に捨てられし子が神の娘を生かすため、出陣致します)

 (どうか我らが軍勢に、あなた方のご加護を――)

 鶴丸は海に祈りを捧げると、(きつ)と正面を向いた。

 夜が明ける前の、暗闇の中。

 鶴丸の目には、目指す敵の姿がはっきりと見えている。


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