43.それぞれの覚悟
どさっ。
戸口で、何かが落ちる音がした。
「鶴丸……夜襲をかけるとは、まことですか?」
茫然としたお寿の声。
振り向くとそこには、野菜の入った籠を取り落とし、棒立ちになったお寿の姿があった。
「お寿。聞いておったか」
「……聞こえてしまいました」
お寿はのろのろとした仕草で、落とした野菜を拾い集めている。
「お母。済まぬ」
「お前が謝ることはありません」
「……」
「母の覚悟が未熟ゆえのこと。気にしてはなりません」
お寿の表情と、その唇が出した言葉は、まるで裏腹だ。
「鶴丸が行くというのなら、お前様も行かれるのでしょう?」
「当たり前じゃ。息子ひとり死地に向かわせてなるものか」
「しかし親父。その傷では」
「何を言う。お前よりはよほど働けるわ。心配せずともよい」
治右衛門は武骨な顔を綻ばせた。
「あいや待たれよ。二人が行くなら、俺も行く」
「兄者!」
振り向くと、そこには頼もしく腕組みをして佇む太郎次。
そして、その後ろには。
三太を抱いて、泣きそうな顔をしているお奈津――。
(姉上)
その姿に、鶴丸の心はずきりと痛んだ。
でも。
太郎次に「お奈津のために残れ」などということは、とても言えない。
戦いこそが武士の本分。
それを否定することなど、出来るわけがなかった。
「お寿。景気づけに美味いものを食わせてくれ」
「まあ。今日は野菜しかありませんよ」
「それでよい。お寿の作る飯が一番じゃ。なあ」
「そうじゃ。お母の飯は日の本一じゃ」
「鶴丸。お奈津の飯も負けておらぬぞ」
「兄者ののろけなど、誰も聞いておらぬ」
「こやつ!」
先ほどの重苦しい雰囲気は、家族のいつもの会話で流されていく。
ただ。
それぞれの心には、小さなしこりのように残されたままで。
夕餉を待つ間、男たちは頭を突き合わせて、夜襲の話をしていた。
「――なるほどのう。表向きの筋書きとしては、人質に出されることを承服しかねた鶴姫様が、安成様の仇を討たんと手勢を集めて事に及ぶというわけか」
「そうじゃ。それで、これはお鶴が勝手に同心する兵を集め、事を起こしたことにする」
「それは、大祝様の言い訳が立つようにするためか」
「兄者。そういうことじゃ」
「さてもさても、よう考えたことよ」
太郎次は半ば呆れたような顔をした。
「うむ。夜襲を言い出したのは俺だが、この筋書きは大祝様がお考えになられた」
「なんと。あのお優しい大祝様がのう」
治右衛門は唸るような声を上げた。
「で、肝心の鶴姫様はどうなさるのじゃ」
「我らの襲撃の少し前に、安成様とお二人で来島に向かう手筈になっておる」
「お二人揃って、逃がすのじゃな」
「そうじゃ。安成様は昨日命を落としたことになっておる。つまりは、大三島からお二人で消えるのは道理」
「なるほどのう」
鶴丸の説明に、治右衛門と太郎次は小さく頷いた。
安舎は和睦に応じ、敵の使者には安成は死んだと嘘をついた。
安成の死に憤慨した鶴姫は、三島の軍勢を引き連れ夜襲を仕掛ける。
陶隆房に、許嫁を殺されたその怒りをまざまざと見せつけ、あわよくばその首を取る。
そして。
この奇襲の結果の如何を問わず、鶴姫はそのまま「生死不明」として姿を消す。
それが、安舎が立てた筋書きだ。
「で、鶴丸。お前が鶴姫様として夜襲に出張るのじゃな」
「うむ。それこそが、此度の俺の役目じゃ」
鶴丸は、力強く頷いた。
「ということは、夜襲が終わればお前が鶴姫様に化けることもなくなるのう。さすればまた、しがない足軽の次男坊に逆戻りじゃ」
太郎次は不意に、そんな軽口を叩いた。
「太郎次。しがない足軽は余計ぞ」
「おっと、うっかり口が滑ったわ」
「こやつめ」
「あっ、殴るな親父」
おどけて拳を振り上げる治右衛門と、大袈裟に頭を両手で隠す太郎次。
鶴丸はその様子をただ笑って見つめていた。
治右衛門一家は、お寿が腕によりをかけて作った夕餉を愉しんだ。
太郎次も鶴丸もいつものようにお代わりをした。
いつもと変わらぬ、笑い声の絶えない家族の団欒。
この日三太は、一度もぐずることなく、籠の中ですやすやと眠っていた。
そして。
翌・虎の中刻(午前3時ごろ)――。
大三島のとある桟橋から、一艘の船が静かに海へと漕ぎ出した。
何処にでもあるようなありふれた荷舟だ。
沖に点在する灯りは、大内勢のもの。
和睦を明日に控えてはいるものの、宿直の者が念のため周囲を警戒しているのであろう。
「気取られぬよう、島に沿って進め」
「心得た」
水夫が小さく言葉を交わす。
耳に聞こえるは、瀬戸内の穏やかな波の音のみ。
荷船は潮の流れに乗って、来島に向けて進んでいた。
目立たず。静かに。ゆっくりと。
「……」
鶴姫は、荷の間にすっぽりと収まって、息を潜めていた。
その傍らには、横になっている安成がいる。
「安成様。お辛くはありませぬか?」
「大事ありません。波が穏やかで助かりました」
「まことに。これも海神の思し召しでしょう」
「鶴姫殿も、左様な所では少々お辛いのでは?」
「我は大丈夫です。むしろ、こうして収まっていた方が落ち着きます」
二人は互いをいたわり合いながら、声もなく笑った。
「夜明け前には、来島城に着きましょう。後は神の御加護を祈るのみ」
鶴姫は、荷物の隙間から海を見つめた。
(海神よ。どうか我らを無事に来島までお運び下さい)
(他ならぬ、大三島を守るために――)
安成は暗闇の中で、鶴姫の横顔を見つめていた。
鶴姫からは、その苦渋に満ちた表情は見えなかった。




